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歩く歩く歩く。ただひたすらに黙々と前へ進んで、三人(正確には二人と一冊)が森の中を歩いて行く。空に登る陽も少し落ち始めてきているのだが、まだまだこの森の出口は遠そうだ。
一旦止まり、どこまで進んだのか確認しようとソフィアを開き、地図で現在位置をチェックする。ついでに地名も確認したのだが、ソフィアの本来の呼び名である“名も無き本”に引き続き、『名も無き~』という言葉から始まる森だった。
「またか!」と間髪入れずにそう叫んだのは、焔では無くリアンの方だった。
何か思うところがあったからなのは理解出来たが、全身が真っ黒に染められていようがそれでも穏やかそうな印象を持つ彼の大声に驚き、焔とソフィアは一時フリーズ状態になってしまった。
「……す、すみません。大声を出してしまい、失礼致しました」
丁寧に頭を下げて、リアンが詫びを入れる。
「いや、別に。そんな声もあげるんだなと思っただけだ」
「あまりにもな時は、たまに……」
「『名も無き』に、そんな苛立つ要素があるのか?お前には」
パタンッとソフィアの体を閉じ、まだ先は長いぞと三人が歩き出しながら焔が問い掛けた。
「そうですね……。仕方のない事だとわかってはいるのですが、なにぶん私はこの世界では古参の部類に入るので、何かするたびに『名も無き森』だ『名も無き町』だ『名も無き剣』だなんだと、数多くの『名も無きシリーズ』には泣かされてきた者の一人なので」
過去を思い出し、リアンが服の胸の辺りをギュッと掴む。
アレはどうだ、コレはどうだと頭を悩ませながら仲間達と話あってダンジョンを造り、地名を決めていく行為の何と大変で、それが……また愉快でもあった事か。勇者を迎え撃つ為にとゼロから色々造りあげていく作業は死ぬほど苦労もしたが、何も出来ない今よりは断然楽しかった。
あの日々がもう戻ってこないのだと思うと何度も切なく感じてしまう。
「……じゃあ、此処の地名を勝手に決めておくか?」
『主人が、名前を?』
意外に思い、ソフィアが驚きを隠せない。
「此所は所詮、元の世界とは違うのだからな。ならばちょっとくらい名付け行為をおこなっても、罰は当たらんだろう」と言い、焔がにやりと笑う。
そんな焔を見て、名に重きを置くお方でもたまには遊び心を擽られる事もあるのですねぇと思うと、ソフィアはちょっと嬉しくなった。
『いいでしょう、ワタクシもお付き合い致します』
「じゃあ、コレで何かあってもお前も共犯か。リアンはどうする?」
「……わ、私も参加したいです。そういった行為は、とても好きなので」
リアンは自分の心が少し弾むのを感じた。“勝手に地名を決めてしまう行為”なんかとても些細な遊びでしかないのに、懐かしい雰囲気がとても楽しい。
「じゃあ決まりだな。さて、何にしようか……」
んーと唸りながら、焔が腕を組んで空を見上げる。
「南雲、南風、南岸……」
『確かに南の方角にある森なので“南”を入れたい気持ちはわかりますが、少々和風過ぎやしませんか?主人。ワタクシの装飾や、リアン様の燕尾服風なデザインの黒衣を鑑みても、確実にこの世界は全体的に洋風の創りでございますよ?』
「東の地方へ行けばこの世界でも和風な物はありますよ。ですが……確かに、この地域で和風の地名は、多少違和感があるでしょうね」
少し不貞腐れた空気を醸し出しながら「じゃあ何か他に案はあるのか?お前達には」と焔が訊く。
『ワタクシは、何かを新たに生み出す能力はあまり……』
正体が付喪神であるソフィアは悲しげな空気を纏った。
「南という言葉から取るのであれば、ノトス、スール、イフ…… あとは、ユークといったものはどうでしょうか?全て南を意味する単語なので」
「じゃあ、その中からソフィアが選べば、三人で決めた事になるな。どの響きが好きだ?お前は」
そう訊かれ、ソフィアが喜びにその身を震わせる。 “南”という案を焔が、そしてその意味を有する言葉をリアンが出し、その中からソフィアが決める。その流れがいかにも共同作業っぽくって、嬉しくって堪らない。本来の主人であるオウガノミコトから今回の任を受けた時並に、ソフィアは幸せな気持ちになった。
『……ワタクシは、“ノトス”の響きが一番好きです』
「よし。この森は“ノトス”で決まったな」
焔がそう口にした途端、ソフィアの体が勝手に開く。 『ひゃ!』という声をあげたので、ソフィア自身も予想外の現象だったようだ。
ひとりでに地図のページになり、南方の“名も無き森”と書かれた部分がサッと消え、新たに赤い文字で“ノトス”と表記される。その様子を見て『この変化にキーラ達が不信を抱かねばよいのだが』と思い、リアンは眉をしかめた。
「……正式な地名として周知されたみたいですね、コレは」
ソフィアの能力を過小評価していた事を認め、リアンが少し警戒心を強める。何かしらのきっかけで焔達に正体がバレて殺されるのは別に構わないが、今自分が此処に居る事を部下達に知られる事だけはどうしても避けたかった。
「正式に?あー……俺達だけの通名程度の気持ちでの提案だったんだが……」
焔が少しだけ慌てたが、すぐに気を取り直し、決まってしまったものは仕方が無いと諦めて「こんな事もあるのだな」とあっさり受け入れる。長生きし過ぎたせいか、有りのままの現状を受け入れる速度がかなり早い。
こうして、魔物も生息していない、他の生き物すらもまだ生まれ落ちていない、南方の遥か奥にある“名も無きな森”は、“ノトス”という地名を得たのだった。
一方、魔王の住処であるトイフェル城では、腹心の一人であるキーラがリアンの消えた床に駆け寄り、悲鳴をあげていた。
「——魔王様ぁぁぁ!……あ、あぁあ……ど、どうしよう」
何が起きたのはわからず、あわあわと右往左往にキーラが走り回る。
「消えた……魔王様が、目の前で!あぁぁぁぁぁぁ!くそっ」
丸くて可愛らしい瞳が細められ、鋭く光る。 自分の不甲斐なさが許せず、キーラはリアンの消えた跡を拳で殴りつけた。そのせいで床がひび割れ、敷いてあった美しいタイルが崩れる。小柄な彼の容姿からはとてもじゃないが想像出来ぬ破壊っぷりだった為、激しい音に気が付いた城内の配下達が何事かと王座の間に集まって来た。
「いかがされましたか?キーラ様」
一匹のゴブリンがキーラに近づく。他の者達は周囲を見渡し、王座にリアンが居ない事に気が付いて不安げに瞳を揺らした。
「あれは召喚魔法だった……。ケイトにはそんな事は出来ないし……まさか、ナーガが抜け駆けしたのか?」
ボソボソと喋るキーラを不思議に思い、ゴブリンが「……キーラ様?大丈夫ですか?一体何が」と声を掛ける。だがその言葉を完全に無視し、キーラは部下に対し「ここを片付けておけ!」と命じると、床に散らばってしまった巻物もそのままに全速力で走り出した。
「ナァァァァァガァァァ!」と名前を叫びながら、城内にある一室の、豪奢な重たい扉をキーラが難なく開ける。羊っぽい容姿の可愛らしい容姿をした彼が怒りに燃えながら突然現れた事で、室内で寛いでいたナーガは自らの長い体をゆっくりと持ち上げ、ニタリと笑った。
「あらどうしたの?珍しいわねぇ、アンタが化けの皮剥がして大騒ぎだなんて」
上半身は人、下半身は蛇の姿をしたナーガが水タバコをふぅと吐き出しながら、ケタケタと笑う。アクセサリーだけをジャラジャラと身に付け、布の類を一切纏わぬ姿は妖艶で、金髪の長い髪がよく似合っていた。
「魔王様は何処だ!」
「魔王ちゃん?……王座でしょ?今の時間なら。それとも今日は早く自室に戻ったとかじゃないかしら。今のあの子には、そのくらいしかさせていないでしょう?」
「……お前が、抜け駆けをした訳じゃないのか?」
怒りと焦りから赤かったキーラの顔が一瞬で真っ青に変わる。その様子を見て、ナーガも表情がスッと真剣なものへと変化した。
「そもそもワタシが抜け駆けなんかするわけがないでしょう?今の膠着状態は、結構気に入っているのに」
「……じゃあ、ケイトが?いやアイツはアイツで魔王様を監禁出来ているっぽい今の状況を気に入っていたはずだし、そもそも魔法適性が低いから召喚魔法は習得出来ないはずだ」
口元を押さえ、キーラが真っ青な顔のまま早口で喋る。
「ちょっと、召喚魔法って何の話?魔族の中ではワタシがダントツに召喚能力は高いけど、それと魔王ちゃんに何の関係が?」
訝しげな顔をし、ナーガが首を傾ける。手に持っていた水タバコの煙管を台に置くと、ずるずると体を這わせながらキーラの側に近づいて行った。
「……魔王様が、拐われたかもしれない」
ガクンッと体から力が抜けてキーラが膝から崩れ落ちる。 慌ててナーガはキーラの腕を掴むと、「ちょ!大丈夫?アンタ何笑えない冗談を言ってるのよ!」と焦りの混じる声で言った。
「……魔王様が、自室に帰ろうと……そしたら召喚陣が足元に急に現れて……そのままスッて消えていったんだ」
ゆっくり、淡々とキーラが説明をする。飾らず、誇張せず、ただ見たままをナーガに話した。
真っ赤な瞳を怒りに震わせ、ナーガがキーラの胸倉を掴んで体を持ち上げる。ブランッと小さな体が宙に浮いてしまったがキーラは抵抗しなかった。
「動けなかったんだ。何か強力な拘束魔法も同時に発動していて、近寄れもしなかった……」
「……魔王ちゃんは?その時抵抗した気配はあった?」
睨みつけながら問うが、ナーガもキーラに非が無い事はわかっている。だが、『宝物』を知らぬ間に拐われたかもしれない事から湧き上がる怒りが抑えきれない。
(あの子の能力なら召喚士の束縛からは難なく逃げられるはず。だから魔族の中でも随一の召喚士であるワタシでさえ、『召喚魔』として魔王ちゃんを自分だけで囲う真似は諦めていたのに……)
そんな本心は押し殺してナーガがキーラの返答を待つ。なかなか返事がないが、どうやらそれは記憶を遡って事実を確認しているからみたいだ。
「抵抗は……少しだけ。腕をこちらに伸ばして、何かを言ったみたいに口を動かしてはいたけれど、何と言ったのかまでは聞こえなかった。悲しそうな、切なそうな顔をされてはいたが、そのくらいだ」
「まさか、此処から逃げた……とか?抵抗がほぼ無かったのであれば、外部からの手引きがあった可能性もあるわよね」
「逃げる?!何から?何でっ!」
「自分が、ワタシ達に限りなく監禁されているに近い状態かもって、気が付いたんじゃないの?」
「あはは!あるワケがないだろう?あんなにウブな魔王様が。ボク達に溺愛されている事にすらも、気が付いているのかどうか怪しいくらいだったのに」
馬鹿な冗談を言うなと言わんばかりの笑い声をあげ、キーラが身を捩ってナーガの手から逃れてその場に降りた。
「……まぁ確かにねぇ。あまりにウブ過ぎて、乱行に持ち込む気すら起きないくらいだったもの」
「や、まずケイトがそれを嫌がるでしょ。アイツは断然独占派だから」
「ワタシは、そこから寝取るのが好き。皆んなで仲良くあの子をブチ犯すのだって、何度も夢見ちゃうくらいにやってみたいわぁ」
「……流石のボクでもドン引きする発言をどーも」
「あら?アンタも独占派だったのぉ?意外ねぇ」
「煩いなぁ。ボクは別に、今のままでも良かっただけだ。……今のままで……あぁ、まさか、それさえも失うとか……」
両手で顔を覆い、キーラが俯く。 一番近くに居て、召喚の邪魔を出来なかった自分の不甲斐なさも許せないが、何よりもリアンが消えた事実が一番受け止めきれない。
「……取り戻さないと、早く、早く、早く!」
「えぇ、そうね。あの子はワタシ達の、魔族全員の『宝物』なのだから」
自分から消えたのか、それとも誘拐なのか。
全く手掛かりが無い事にヤキモキしながら、二人が揃って爪を噛む。
「ケイトにも知らせよう。他の者達にも伝達をして、全力で魔王様を探し出し、取り戻すんだ」
「そして……ワタシ達よりも先に手出しをした召喚士には、残忍な死を——」 と、方針をどんどん二人で決めていく。
その為、彼らが長い事ナーガの部屋に居たせいで、王座の間に飾られた世界地図に異変があった事には、気が付く事が出来なかったのだった。