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夜の宿舎、消灯の時刻を過ぎたはずの和室には、笑い声と押し殺した囁きが渦巻いていた。布団が敷き詰められた畳の上、真ん中に座らされたのは遥だった。まるで囲炉裏にくべられた薪のように、同級生たちの視線と熱気にさらされている。
「なあ、罰ゲームってことでさ」
誰かが言った瞬間、輪の中にどっと笑いが起きた。修学旅行という非日常の解放感は、彼らに容赦という言葉を忘れさせていた。
遥は「嫌だ」とも「やめろ」とも言えなかった。ただ黙って座っている。その沈黙がまた、「空気を読めない」と嗤われる理由になる。
布団が飛んできた。丸めた掛け布団が顔に直撃し、遥はよろける。すかさず別の布団が背中を打つ。笑い声が重なる。布団の重みが次々と投げ込まれ、気づけば山のように覆いかぶさってきた。押しつぶされ、息が詰まる。遥は必死に腕を動かすが、上から誰かが体ごと乗ってきて、もがくたびに「暴れてんじゃねえよ」と押さえ込まれる。
「数かぞえろよ、百まで!」
「笑ってやれよ、ほら盛り上げ役だろ」
暗闇の中で浴びせられる命令。従わなければもっと酷くなると知っている。だから遥は震える声で数をかぞえはじめた。「いち、に、さん……」その声にまた笑いが起き、誰かが「声ちっせーぞ!」と布団越しに蹴りを入れる。
スマホの光が遥に向けられた。懐中電灯のように、輪の中心を照らす白い光。影に浮かび上がる自分の顔が、泣きそうに歪んでいるのがわかってしまう。誰かが実況風に「修学旅行の名物芸です!」と叫び、さらに爆笑が重なった。
「先生にバレたらどうすんだよ」
「大丈夫、こいつが声出さなきゃな」
耳元で囁かれる低い声。遥は息を詰め、声を殺す。だが苦しさに耐えきれず「っ……はぁ」と漏れた途端、「ほら聞こえたぞ」とさらに押さえつけられた。
笑い声と囃し立て、身体にのしかかる重み、押し殺した息苦しさ。すべてが混じり合って、遥には何が起きているのかすら曖昧になる。ただ「従えば楽になるかもしれない」という一縷の希望に縋り、命令通りに数をかぞえ、笑顔を作ろうと歪んだ顔を無理に引きつらせる。
その必死さが、また格好の嘲笑の的になった。
「なにその顔、きもっ!」
「サービス精神すげーな、芸人目指せよ」
部屋の空気は完全にひとつの方向へ傾いていた。誰も止めない。むしろ「こいつなら大丈夫」と安心して矛先を向ける。遥が反撃しないこと、空気を乱さないこと、それが彼らにとって格好の「遊び道具」である証明だった。
やがて布団の山がどかされ、息も絶え絶えの遥が畳の上に晒された。汗で髪が額に貼りつき、頬は赤く腫れている。それを見て、誰かが「あー壊れそう」と笑った。まるで玩具が割れかけているのを面白がる子どものように。
遥は声を出さない。ただ立ち上がろうとして足を取られ、再び倒れる。その様子にまた笑い声。部屋全体が、遥を中心に楽しむ巨大な舞台のようだった。
夜の和室。障子の外には静かな旅館の庭が広がっているはずなのに、そこへは一歩も逃げられない。ここは逃げ場のない舞台。遥の存在そのものが「見世物」であり「笑いの種」であり、そして「修学旅行の思い出」として消費されていくのだった。