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日が昇り始めて外が明るくなると、老人はふと目を覚ました。若い頃からの習慣で、いつの季節も朝日と共に自然と起きてしまう。
音を立てないようにそっとベッドから出ると、足音にも極力気を付けながら身支度を整える。
「おはよう。クロード」
隣のベッドで眠っていた妻も目を覚まして起き上がり、並んで身支度を始めた。いくら物音に気を付けてみても、毎朝必ず妻も一緒に起こしてしまう。クロードはがっくりと肩を落とした。
「すまん。今朝も起こしてしまったな」
「いえいえ、私もこの時間にはつい起きてしまうんですよ」
一緒に住むようになってから40年間、ずっとだった。起こさずに一人で勝手に仕事へ行こうとするのだけれど、どうしても失敗してしまう。ならせめて、彼が出掛けた後にまた横になってくれると良いのだけれど……。
「あるもので適当に済ますから」
「あら、でも私も一緒にいただきますから、少しだけ待っててくださいな」
残り物のパンとミルクさえあれば十分だといくら言っても、何だかんだと朝食を用意してくれる。子供達が巣立ち、二人だけの生活になって、少しは手を抜いて楽に生活してくれても良いのにと思うのだけれど、この妻はそうはしようとしない。
自分が好きな庭師の仕事を続けられているのは、ひとえに彼女のおかげだと思っているが、直接それを言った記憶はない。せめて身体が動く限りは家族の為に働き続けようと心に決めていた。
見送られながら家を出ると、領主邸までの道を歩く。本邸で荷馬車を借りてから森の別邸へと向かうのだが、まずは用意されている荷物を荷台に積むところからだ。以前はベルの契約獣が森へ運んでいたが、道が戻った今は彼が担っていた。
食料や日用品などが主で、注文書の運搬も庭師の仕事だ。と言っても、荷台から乗せたり降ろしたりするだけだが。大方の荷物を乗せたところで、最後に大事な書類があれば直接に手渡されることがある。
その日も一通の封書と一枚のメモを直接に預かった。
馬を走らせて森の道を入ると、一時間ほどで別邸に辿り着く。着いたら館の裏口から厨房に入って、運んで来た荷物を下ろした。
「あと、今日は手紙とメモも預かって来てる」
別邸付きの世話係に封書を託すと、厨房の隅の丸椅子に腰掛けてから、淹れてもらったお茶を味わった。荷物を片付けつつ朝食の支度に勤しむマーサの無駄のない動きに感心しながら、丸くなりかけた背中を伸ばして立ち上がった。今日辺りに、葉月の植えた豆が収穫できそうなのだ。
朝食を食べ終わってお茶を飲んでいる際、マーサから渡された手紙にベルは首を傾げた。
「ソフィー・シュコール? シュコール領主の関係者かしら」
白い封筒に記された名に見覚えは全く無い。不審に思い、一緒に受け取ったメモを先に確認する。メモにはジョセフの字で、「シュコール領主の娘だ」と書かれていた。
つまり、従兄弟の見合い相手からの手紙だった。面倒な予感しかしない。
「どうしたんですか?」
開けてもいない手紙を持って渋い顔しているベルに、葉月が不安気に聞いた。どう答えて良いのかと、ベルはメモを葉月に見せた。途端に、葉月の顔がワクワクした物へと変わった。
「ジョセフさんをください、とかですか?」
悪い冗談だわ、と葉月を軽く睨みつけながら封を開ける。婚約なんて昔の話だし、もうただの従兄弟なのだから好きにすれば良いのに。
二つ折りにされた手紙に目を通してから、大きく溜息をついた。
「これは、私には関係ないことだわ」
そういえばジョセフは見合い相手のことを若いと言っていたわねと思い出す。ならば単なる若さ故の暴走なのだろうか。
気になって仕方ない風の葉月へ読んでいた手紙を手渡すが、読み始めてすぐに知らない文字が出てきたようで苦戦していた。葉月の世界で例えるなら、平仮名は読めるが漢字はまだまだというレベルなので、子供向けの童話などは問題ないが大人の文章はまだ難しいようだ。
ベル自身はあまり気が進まなかったが、葉月からどうしてもとせがまれたので、ソフィー・シュコールからの手紙を声に出して読み上げた。途中、背後で給仕に立っていたマーサが思わず吹き出してしまったので、振り返ってキッと睨みつけた。
手紙の内容を要約すると、ジョセフはソフィーと会った時にはいつもベルへの熱い想いを語って、ベルと一緒になりたいから見合いは断ってくれと言い続けられている。でも、ソフィーは親に逆らうことなどできないから、このまま見合い話は続行させて自分は第二夫人の座に着かせて頂きます、という挨拶とも戦線布告ともとれる内容だった。
「若いですね」
「あら、葉月と同い年って言ってなかったかしら?」
思い込みの激しい者同士でお似合いなのにと、この件に関してはベルは静観という名の放置に決めた。