次の週、麻布にある高級タワーマンションのエレベーターの前に一組のカップルがいた。
男の名は長谷部良(はせべりょう)・32歳。楓の兄だ。
良は一流大手商社の丸菱商事に勤めていた。
そして良の隣には美しい女性がいた。
女性は白井桜子(しらいさくらこ)・25歳。桜子も丸菱商事に勤務し重役の秘書をしている。
桜子は丸菱商事の専務・白井孝太郎(しらいこうたろう)の愛娘だった。
白井孝太郎の親族には大物政治家や官僚が多く、孝太郎自身も近々丸菱商事の副社長のポスト、そしてゆくゆくは社長の座への道が開けていた。つまり丸菱商事の中において孝太郎はかなり力を持った存在である。
その孝太郎の愛娘桜子と一緒に、良はこのマンションで暮らしていた。
ウェーブのかかったライトブラウンの髪を肩に垂らした桜子は、色白で育ちの良い上品な顔立ちをしている。
学生時代には学内のミスコンで優勝したほどの美貌だ。
今日の桜子はふんわりとした上品なピンク色のコートを身に纏い、左手には真っ赤なガーベラの花束を持っていた。おそらく近くのフラワーショップで購入したのだろう。
一方、良は仕立ての良いスーツに上質なコートを羽織り桜子に寄り添うように立っている。良は麻布にある高級スーパーの紙袋を持っていた。二人は途中買い物をしてきたようだ。
エレベーターを待つ間、桜子は嬉しそうに言った。
「それにしても驚いたわ。まさか父が結婚前の同棲を許してくれるなんて…信じられない!」
「僕も驚いたよ。絶対に反対されると思ったからね。でも僕達の愛が本物だってわかってくれたんだろうな。だから許してくれた…」
「うん。もちろんそれもあるけど、一番の理由は良さんが父に信頼されているからじゃない?」
「信頼?」
「ええ。だって良さんは仕事も出来るしみんなからの信頼も厚いでしょう? 会社でのあなたの誠実な行動をいつも見ているから父も信頼しているのよ。フフッ、そんな素敵な人が私の婚約者だなんて夢みたい」
「夢みたいなのは僕の方だよ。君と出逢ってからはもう他の女性なんて目に入らない。そのくらい君はあっという間に僕を虜にしてしまったんだよ。罪な人だな……」
良はうっとりと自分を見つめる桜子に熱い眼差しを向けると、そっと唇を重ねた。
二人が熱い口づけを交わしていると『ポンッ』と優しい音が響いてエレベーターが到着した。
二人は名残惜し気に離れると、手を繋いでエレベーターに乗った。
「そういえば父のクルーザーで行く釣り、良さんも一緒に行けそう?」
「もちろん」
「だったら新しい道具を買いに行かなくちゃね。今回は大物がターゲットだから頑丈なロッドを買い揃えた方がいいって父が言ってたわ」
「あ、ああ……今度買わなくちゃね」
「いいロッドは結構なお値段するけど大丈夫? 父の道楽に全部付き合うとお金がいくらあっても足りないわよ。結婚資金の事もあるんだしあまり無理はしないで……」
「ハハッ、そのくらいは平気だよ」
「そう? それなら良かった。でも良さんにご両親の遺産があって本当に良かったわ~。そうじゃないとうちの家族と付き合うのは大変だもの」
「そんな事はないよ。それにこのマンションの購入資金も白井専務に半分以上出していただいたんだ。僕は感謝してもしきれないよ」
「それはそうだけど…。それはそうと行方不明の妹さんの件はどう? やっぱりお式への出席は無理かしら?」
「ああ、多分無理だと思うよ。本当に申し訳ない。君の顔に泥を塗るような事になってしまって……」
「ううん、仕方ないわ、事情が事情ですもの。でも残念ね、良さんのたった一人のご家族なのに…私…お会いしたかったわ…」
「まあ生きていればいつかは会えるかもしれないし。それよりも今度の日曜の式場の見学なんだけど……」
結婚を控えた幸せそうなカップルは微笑みながら会話を続ける。
そしてエレベーターを降りた二人は手を繋いで愛の巣へ消えて行った。
その数時間後、楓は先ほど二人がいたタワーマンションの前にいた。
一樹が知らせてくれた住所には、このマンションの名前が書かれていた。
マンションのエントランスまで進んだ楓は大きく上を見上げる。
(こんな高級なマンションにお兄ちゃんが?)
楓は愕然とする。
(やっぱり私は騙されていたの?)
そんな思いが頭の中を埋め尽くす。
楓が良と最後に会ったのは数ヶ月前だった。
あの時は珍しく良の方から会いに来たので楓はびっくりしたのを覚えている。
『楓、俺を助けてくれ……どうしてももう一度医学部を目指したいんだ……』
『医学部には一発で合格する自信がある。だから年明けまでにまとまった金が必要なんだ』
『俺達は二人っきりの家族だろう? 困った時は助け合えって父さんも言ってたじゃないか』
しかし良が提示した金額は楓の貯金額からはかなりかけ離れた数字だったので、楓はすぐにうんとは言えなかった。
そこでしびれを切らした良が少しキレ気味に言った。
『本当だったらなぁ、俺はもうとっくに医者になって名医としてバリバリ活躍していたかもしれない。でもそれが駄目になったのは全部お前のせいだからな。楓! いいかげん責任を取ってくれよ!』
あまりにも大きな絶望と深い悲しみに襲われた人間は、涙が出ないのだなと初めて楓は知った。
そしてその後楓は半ば強引に良に連れられ一樹の会社が経営するプロダクションへ面接に行った。
その時突然冷たい風が吹き乾いた落ち葉がカサカサと音を立てて転がっていく。
その音で楓はハッと我に返った。
時刻は夜の9時。この時間ならもう良は帰宅しているだろう。
楓は不安な思いを抱えつつマンションの入口まで行くと、意を決して兄の部屋番号を押した。
コメント
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やっぱりクソ兄じゃーん😫
自分が婚約者に見栄を張るために妹にAVに出させて、そのお金で上司に気にいられるために高い物を買うって違うだろう💢 いくら何でも酷すぎるよね。 行方不明の妹?そんなもんあるか💢💢💢💢💢
何なんこの兄😕妹を犠牲にしてまで自分の欲望満たしてた訳?そんなんがいつまでも続くと思ってる訳だね。だけど残念だね,楓ちゃんには兄さんが付いたからこれからは貴方は坂道を転がって貰うわ。