Side優羽
初めてのキス、だった。
もう頭の中がぐちゃぐちゃでなんにも冷静に考えられなかった。
彪斗くんは追いかけてこなかった。
わたしは、捨てられた動物のように心細い気持ちになりながら、泣きべそをかいて、ふらふらと庭に出た。
夕焼け空が湖面に映って、あたりは朱色一面に染まっていた。
長い影を引き連れながら、とぼとぼと歩いていく。
キスを夢に見てた。
彪斗くんとのキスを…。
パークに行ったあの日、わたしは新たな自分に気づいてしまった。
彪斗くんが好き…
彪斗くんと…キスしたい…
って望んだ、自分に。
望みは、叶った…。
けど、想像していたものとは、ぜんぜんちがっていた…。
だって、あんな…
あんな、意地悪なキス…
思い出すと、恐怖と困惑で身体が熱くなってしまう。
唇には、まだありありと感触が残っている。
彪斗くんの唇や舌から熱や甘さが流れ込んできて、わたしを中から溶かしていくような気がする。
あんな虐めるようなキス、してほしくなかった…。
どんなに勝手でも、乱暴でも、いつもやさしかった彪斗くん。
もう、解からなくなっちゃったよ。
本当の彪斗くんはどこ?
こんなに…
わたし、こんなに…
彪斗くんのこと…
「おっと…」
下を向いて歩いていたら不意に、ばふっ、となにかに包まれた。
「ご、ごめんなさい…!」
びしょびしょに濡れた泣き顔なのも忘れて見上げて、わたしは目を丸くした。
「どうしたの、初めてあった時みたいに下向いて。自信、なくしちゃった?」
「雪矢さん」
わたしを上から下へとまじまじと見つめると、雪矢さんは冗談めかして微笑んだ。
「麗しき姫君。そんなお姿で、いったいどこの国から迷われてきたのですか?しかもそんな可愛い泣き顔で」
…もういい加減、俺を翻弄するのはおやめくださいますか…
ふっと微笑が強張って、そうつぶやいたように気がしたけど、雪矢さんはまたすぐにニッコリ笑って続けた。
「どうしたの?俺で良ければ話して?」
「いえ…」
「そんな可愛い泣き顔されてちゃ、放っておけないでしょ」
「……」
「彪斗と、なにかあった?」
ぎくり。
となったけど黙っていた。
でもわたし、表に出やすいのかな…。
「図星だ」
雪矢さんに苦笑いを浮かべられてしまう。
「ケンカでもしたの?」
首を横に振った
「じゃあ、怒られた?」
怒られた…
そうかもしれない
あれは…まるで怒っているようだった。
なにかを押し付けるような、どうしようもなくて、苛ついているような、激しい感情をこめた、キス…。
「…もしかして、キスでもされたのかな」
「い、いえ…!そんなこと…!キスなんてそんな!」
ああもう、こんなに全否定したら、かえってバレバレだよね…。
「ふふ。やっぱり優羽ちゃんって、素直だよね」
ほら…。
「すぐわかったよ。だってしきりに唇を気にしてるんだもん」
「って、え…!?」
思わずわたしは両手を後ろにした。
…わたしったら、さっきから唇ばっかりふれてたんだ…もう。
くすくす、と雪矢さんが笑う。
つられて笑みをこぼしたわたしの目には、いつしか涙が消えていた。
夕日に目を細めながら、わたしはたどたどしく口を開いた。
「わたし…彪斗くんのことが解からなくなっちゃったんです…。乱暴だと思ったらやさしくて、やさしいと思ったら乱暴にされて…ホントの彪斗くんが解からない…」
「…彪斗は、ああいう奴なんだ。彪斗の生い立ちは知ってるでしょ?」
こくり、とうなづいた。
「無理矢理子役をやらされて、自分の心を偽る癖を物心がつく以前から擦り込まれてしまって。本当にやりたかった音楽活動を始めた時も、父親やまわりに認められようと必死で、まるで獰猛な野生動物みたいに、がむしゃらで。成功をつかんだ時には、あの性格ができあがってしまっていた。プライドの高さで本心を隠して、勝手を突き通す、俺様気質がね。まぁ、あの性格の要素があったから、ここまで昇りつめることができた、っても言えるかもしれないけど」
ふっ、と鼻笑う雪矢さんだけど、そこには嫌みな感じはまったく無かった。
手のかかる弟に苦笑いをうかべるような、そんな親愛のこもった笑いだった。
「とにかくあいつは、自分の気持ちを素直に表現できないんだ。曲にならいくらでもこめられるのに、ほんと、めんどくさいやつだよね」
でも、そういうところは、わたしもそうだな、って思う…。
さっき彪斗くんが曲を作ってくれたからこそ、想いを歌にして表に出すことができたの思い出す。
じゃあ、きっと…あの曲にも、彪斗くんの本当の心が凝縮されているんだな…。
すごく、すごぉく素敵な曲だった…。
言葉にしがたいいろんな想いが詰まっているのが解かって、熱い想いが胸をいっぱいにした。
…そっか。彪斗くんを解かるのに、言葉なんか必要なかったんだ。
あの曲と、あの曲を聴いて感じた想いが、すべての答えなんだ…。
「ね、優羽ちゃん」
「…?」
「俺と付き合おう?」
不意の雪矢さんの言葉に、わたしは彪斗くんに馳せる想いから意識を戻した。
「彪斗ばっかりずるいよ。君の歌声も唇も奪って、その上、君を泣かせて。もういい加減がまんできない。でも心は…」
雪矢さんが、ゆっくりと近づいてくる…。
「まだ心は、奪われていないなら…俺がもらっても、いい?」
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