近づいて、そして、わたしの頬を包んだ。
いつもしてくれたように、のぞきこむように、いいきかせるように、真っ直ぐにわたしを見つめる。
「君が好きだよ。この学校で出会った時からじゃない。須田さんに初めて歌声を聴かせてもらった、その時から、ずっと。
君は囚われの小鳥なんかじゃない。大空を羽ばたく美しい大鳥。俺が君を導きたい。俺の曲じゃだめ?君に数多の曲を創る。俺の君に対する愛の曲を、たくさん、たくさん創るから…」
「雪矢、さん…」
「優羽ちゃん。君は、誰の小鳥?」
わたしは…
わたしは…
雪矢さんの綺麗な顔が、ゆっくりと近づいてくる。
この距離感…もう解かる、知ってる。
彪斗くんの時と同じ感覚…。
キス、される…。
いや…
いや…
彪斗くんの、唇の感触が、まだ残ってるの…
乱暴だけど、意地悪だけど、熱くて激しい想いを、感じてしまったから…。
消したくない…。
ずっと、ずっと、感じていたいから…
ごめんなさい、雪矢さん…
「ゆ…き…」
けど、
唇はなにも感じないまま…
代わりに柔らかい感触を感じたのは、
腫れて痛む、左頬だった。
「雪矢、さん…」
こちん、と額同士がぶつかった。
雪矢さんは、長いまつ毛を伏せて囁いた。
「…好きだったよ…君のことが。心の底から」
過去形…?
「でも君は、それでも彪斗のことが好き。そうでしょ?そして、彪斗も君のことを…」
「……」
「君は無垢で清らかな、彪斗の小鳥。愛しくてたまらないのに、でも閉じ込めておけなくて…どうしていいか戸惑っているんだ、あいつも。真っ直ぐに伝えればすむことなのに、素直になれないんだ。…だって、あの彪斗だもんね…。…だから、めんどうだろうけど、君が安心させてあげて…。彪斗を解かってあげられるのは、君しかいないよ」
もしかして、雪矢さん…。
これを伝えるために、わたしに告白を…?
キスを…?
「…って、あれ…困ったな…」
雪矢さんのやさしい顔に、苦笑いが広がった。
「どうして泣くの…優羽ちゃん」
「だって…」
わたし、あんまりにも雪矢さんにひどいことを…。
けど、雪矢さんはわたしの頭をそっと撫でてくれた。
「大丈夫…。君への気持ちは、とっくの前に諦めてたよ」
「え…」
「そうだなぁ、パークに行った時が、決定的だったかな」
そんなに前から…?
「あの時、ほんとは彪斗と行きたいって思ったでしょ?君のその気持ちが分かった時点で、『ああやっぱりダメなんだな』って。ふふ…やっぱり君って、すぐ表に出ちゃう小悪魔ちゃんだよね」
「……」
「それでも、まだ少しくすぶるものがあって、踏ん切りがつかなかったけど…ありがとう。これでやっと、吹っ切れたよ」
「…ごめんなさい、わたし…ごめんなさい…」
「いいんだ。俺の方こそ、けじめをつけれてよかった。今度からは、もうちょっと真剣に恋愛をしてみようって思ったし…。
だから…俺はもういいから、行って?」
雪矢さんは、やさしく涙をぬぐってくれながら言った。
「早く行って、あの俺サマくんを安心させてあげて?」
わたしは、大きく息を吸って涙をこらえると、こくり、とうなづいた。
そして、精いっぱいの笑顔を浮かべた。
今更ながら、気づいた…。
わたしを導いてくれたのは、彪斗くんだけじゃなかったんだ…。
「ありがとうございます。本当に…ありがとうございます…」
「ううん…。俺の方こそ、君に出会えてよかった。ありがとう」
いつか、雪矢さんの創ってくれた曲で歌ってもいいですか…?
今度、そう訊いてみようと胸に誓いながら…、わたしは深々とお辞儀をした。
そして、寮へと踵を返した。
※
けど、思わぬ事態がわたしを待ち受けていた。
「彪斗くん…!」
彪斗くんは、さっきいた部屋にはいなかった。
部屋に戻ったのかな、と思ったけど、いなかった。
そのあとも捜したけど、寮のどこにも、いなかった。
夕食にも、戻って来なかった。
そして、翌朝の学校にも―――。
それから、学校祭当日までの一週間、
彪斗くんに一度も会うことができず、
わたしは、本番の日をむかえてしまった…。
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