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夕方の教室。窓際の空が群青に変わりかけている。扉が開く音と一緒に、ため息が落ちてきた。
来訪者は椅子を引き、鞄を机に置いたまま腕を組む。
「……どうしても、自分が嫌いです」
その声は、埃っぽい空気に吸い込まれていった。
蓮司は机の角に腰をもたれ、指先でシャーペンを回す。
「嫌いってさ、具体的にどのへん?」
「全部。顔も性格も。
何しても中途半端で、他の人と比べたら何もない」
蓮司は眉をわずかに動かしたが、表情は崩さない。
「比べたら誰だって何もなく見えるよ。
俺だって隣の席のやつと比べたら、勉強も運動も負けてる」
「でも蓮司は、自分のこと嫌いじゃなさそう」
「たぶん、嫌いになる暇がないだけ」
ペンが指の上で一回転して、机にコトリと落ちる。
「俺、完璧じゃないの分かってる。
でも“ここがダメ”って思うより、
“ここは面白いかも”って探してるほうがラクなんだ」
来訪者は黙ったまま、窓の外を見た。
街灯が一本ずつ灯っていく。
蓮司は少し肩をすくめる。
「自分を好きになるって、
いきなり全体を好きになる話じゃない。
今日の髪型がまあまあ、とか、
昨日より早く起きられた、とか。
そのくらいで十分」
「そんな小さいことでいいの?」
「むしろそのくらいがいい。
大きい理由がないと好きになれないって思うほうが、
しんどいだろ」
教室をかすめる風が、紙を一枚めくった。
「……今日、来たこと。
それだけで一個“いい”が増えたじゃん」
来訪者は小さく笑った。
ほんの少し、空気が柔らかくなる。
蓮司は視線を外しながら、
「嫌いな自分がいても、生きてる時間は止まらない。
だったらその中で、小さい“いい”を拾えばいい。
全部じゃなくていい。
それで充分」
窓の向こうで、夜がゆっくり濃くなっていった。