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第7話 夜桜の道
春休み、写真サークルに所属する女子大生、岡野紗季はひとり旅の帰りに赤いきっぷを受け取った。
二十一歳、切れ長の目を持つ端正な顔立ちで、肩まで伸びた黒髪は桜色のヘアピンで留められている。
カメラバッグを斜めがけにし、淡いピンクのコートを羽織った姿は、季節に馴染んで華やかだった。
きっぷを手に電車に乗ると、列車は見知った路線を外れて山間部へ向かって走り始める。
車窓の外は急に暗くなり、やがてトンネルへ。だが、トンネルの内部は闇ではなかった。
桜の花がびっしりと咲き誇り、枝が絡み合ってトンネルを形づくっていた。
花びらは光を放ち、電車の中にまで舞い込み、紗季の黒髪に静かに降りかかる。
列車が停まったのは、小さな無人駅。ホームにも線路にも、人影はない。
ただ、桜の花びらに覆われた改札の前に、ひとりの少年が立っていた。
中学生ほどの背丈、学生帽をかぶり、顔は花びらに覆われて見えない。
紗季が声をかけると、少年はゆっくりと手を上げ、彼女の首から下げたカメラを指差した。
無意識にシャッターを切ると、ファインダーの中に“人で溢れた駅”が映った。浴衣姿の人々が夜桜の下を行き交い、笑い声が響いている。
だがシャッターを離すと、現実の駅は無音で空虚なままだった。
次にカメラの液晶を確認すると、撮れた写真には「自分が群衆の一員として微笑んでいる姿」が映っていた。
慌てて顔を上げた瞬間、少年の姿は消えていた。
ホームには赤いきっぷだけが一枚、花びらの上に落ちていた。
紗季が拾おうと手を伸ばすと、それは桜ごと空気に溶けて消えた。
そして気づけば彼女は、予約していたホテルのベッドの上で目を覚ましていた。
ただ、バッグの中のカメラには、一枚だけ──見覚えのない夜桜の群衆写真が残っていた。