第8話 音のない町
地方を放浪するバックパッカー、高梨悠斗。
二十代半ば、やや伸びた無精ひげに薄緑のキャップ、カーキ色のパーカーにジーンズというラフな格好。
背には大きなリュックを背負い、靴は泥でまだらに汚れている。
ある日、彼の荷物の隅に「赤いきっぷ」が紛れ込んでいた。差出人不明、日付は翌週。半ば冗談でその日、彼はきっぷを改札に通した。
電車は目的地とは違う線路を進み、やがて小さな町にたどり着いた。
降り立った瞬間、彼は違和感に襲われる。
道行く人々は普通に買い物をし、子供は走り回り、犬が吠えている。──ただし、どれほど目を凝らしても一切の「音」がしない。
悠斗の足音すら、全く響かなかった。
町全体が、巨大な無音の映像のように存在しているのだ。
彼は広場に向かい、ベンチに腰掛けていた老婆に話しかけた。
口は確かに動くが、声は届かない。次の瞬間、老婆は赤いきっぷを差し出してきた。
それは彼の手にあるものと同じだが、印字されていたのは「帰り道」という奇妙な二文字。
恐怖を覚え、慌てて町を出ようと走り出した悠斗。
だが出口の道はいつのまにか何重もの鳥居に変わり、その先に見える町並みは繰り返し同じ光景。
どの角を曲がっても、音のない人々が同じ動作を繰り返している。
リュックの中から異音がした。開けてみると、持参していたカメラが勝手に連写を始めている。
画面には「彼自身が音のない人々と同じ仕草を繰り返す姿」が映し出されていた。
次の瞬間、悠斗の喉から声が消えた。叫んでも音は出ない。
振り返ると、広場の人々全員が一斉にこちらを見て、口だけでこう形づくった。
「ようこそ、帰り道へ」
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