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そう決意してアイリス様が待つ応接室に向かったのだが……着いた途端懐かしい手口に引っかかってしまった。
ドアを開けた瞬間、頭上から水が落ちてきたのだ。
おかげで俺の執事服も掃除したばかりの床もびしょびしょである。
「久しぶりねクラウス!3年ぶりかしら?」
喋りも行動も昔に戻ってやがる。
充分元気じゃねぇか。
俺の期待と心配を返せよ。
「………」
「あ!怒った?怒っちゃった?でも、私侯爵令嬢よ。そんな態度とっていいの?」
ニヤニヤしながら俺を見つめてくるアイリス様。
イラッとするが、素を出すのはよろしくない。
俺は怒りを鎮め笑顔を作る。
左手を前にして腹部に当て、右手は後ろに回す。
活目せよ!この完璧な所作を!
「……滅相もありません。私はアイリス様に仕える使用人でございます。そのようなことは決してございません。旦那様からお話は窺っております。何かご要望がありましたらお申し付けください、誠心誠意お支えさせていただきます」
「……え?」
俺が何年使用人やってきたと思っている?
この程度で動揺する訳ないじゃないか。
……舐めるなよ。
その意趣返しも含めてこの対応をしたのだが……。あれ?なんで反応ないんだよ。
ふと、アイリス様を見ると……ニヤけ顔から一転悲しい顔をしていた。
目も少し潤んでおり、泣きそうな顔に見える。
何かやらかしたか?
いや、おそらくこれも彼女の罠かもしれない。
こういう演技もしてくるのがアイリス様である。
俺はそう思いつつ懐から旦那様の手紙を取り出し濡れた上着を脱ぎ左腕にかけ、アイリス様の行動を咎める。
「アイリス様、お戯はおやめください。このことを旦那様が知ったらなんとおっしゃることか。カンタール侯爵家のご令嬢としての自覚をお持ちください」
「そ……そうよね。ごめんなさい。悪ふざけがすぎたわ」
ふ……甘いぞアイリス様。
手紙で旦那様から大義名分をもらっているのだ。
旦那様からの手紙は濡れてしまったが、上質な紙。文字は滲んでしまったが、消えることはない。
俺はアイリス様に近づいて手紙を見せながら下から三行目を指差す。
「アイリス様……これは私宛に旦那様が送った手紙でございます。ここの部分をお読みください」
「え?……ええ。わかったわ。……『立場や粗相を気にしなくていい。一人の友人としてどうか娘が心行くまで相手をしてほしい』……お父様、私のために……クラウス、これがどうかしたの?」
まだ気がついていないのか。
つまりだ。この手紙から旦那様から直々に失礼をしてもいいと許可がおりているのだ。
実は濡らされたこの執事服、今日おろしたてのおニューなのだ。
しかも俺専用に仕立ててもらったオーダーメイド。
……そんな新品をびしょびしょにされたのだ。このまま黙って許すほど俺はできた人間ではない。
俺はびしょびしょに濡れた上着をアイリス様の顔に被せる。
「え?!……冷たい!な…何するのよ!」
「ちょっとクラウス!貴方なんてことを。お嬢様大丈夫ですか?」
突然のことにギョッとするアイリス様にそれを俺の行動を咎めるマリカさん。
は?……そんなの決まっているだろう。
「何って……やり返しただけでございます」
これでアイリス様は化粧は多少なりとも落ちただろう。
嫌がらせとしては充分。
俺は平然と返答した。
「ぅ……あははは」
「……お嬢様?……クラウス、貴方は着替えてきなさい」
ほら言ったことか!弱々しい声だが、笑いだした。
やはり演技だったのだろう。
アイリス様は一向に俺の被せた上着を取るそぶりを見せないが、マリカさんが何かを察したらしい。
詳細はわからないが最近の付き合いの長いマリカさんに任せた方がいいだろう。
「わかりました。何か御用がありましたいつでもお呼びください」
一礼して退室した。
「クラウス、お嬢様が今すぐに来るようにとのことです」
次の日、早朝身支度を整え、職場の朝礼が終わった後だった。
マリカさんから声がかかった。
ちなみに昨日の一件で誰にも咎められることはなかった。まぁ、俺には大義名分があるので怒られてもそれを盾にすれば問題ないのだが。
それにしてもアイリス様……絶対何か企んでいる。
基本、アイリス様の世話はマリカさん担当で何事もなければ他の使用人に声がかかることはない。
昨日の一件といい、俺を名指してくるということは何かあるのだ。
「わかりました」
とりあえず返答し、急ぎアイリス様の自室へ向かった。
「アイリス様、クラウスでございます」
「入ってちょうだい」
3回ノックし、許可をもらい入室する。
入るとアイリス様は椅子に座り優雅に紅茶を飲んでいた。
カチャッと小さな音を立てカップをソーサーへ置き、俺に微笑んでくる。
本当に洗練された所作だ。
昔、俺はアイリス様の教育を担当していた。
その時は指摘するところも多かったが、今では指摘する箇所がない。
そう感心していると、アイリス様が話しかけてきた。
「あら、少しは警戒してると思ってたけど」
「アイリス様はご自身の部屋では何も仕掛けませんから」
「何故分かるのかしら?」
「経験則です」
「そ……」
素っ気ない態度のアイリス様。
態度を見る限り想定内だったようだ。
お互い沈黙が続く。アイリス様は話を切り出す気がないようだ。
「……お呼びとのことでしたが、なんのご用ですか?」
「とりあえず座ってちょうだい」
なので、俺から話を切り出したら、アイリス様に座るよう促される。
断る理由もないのでアイリス様の向かいの席に座ろうとして……やめた。
「いえ、お断りします」
「別に気にしなくていいのよ。今更気を使うことないわよ」
「いえ、座ることはできませんよ」
遠慮するなと言われてもな。
細工されている椅子に座るわけないじゃないか。
「これ座ったら壊れますよね?」
「……あー。やっぱりわかるか」
「経験則です」
「それ何かの決まり文句なの?」
「いえ、そう言うわけでは」
「うふふふ……ああ、要件だったわよね。昨日の件で言いたいことがあってね」
昨日の件か……まさか、謝罪をしろってことか?
「別に謝って欲しいってわけじゃないの。昨日は私も悪かったから」
「左様ですか」
なら、何が目的なんだか。
「確認なのだけど、昨日のお父様の手紙の一文『立場や粗相を気にしなくていい。一人の友人としてどうか娘が心行くまで相手をしてほしい』……で間違ってないわよね?」
「はい、一言一句合ってます」
「昨日の粗相はお父様が許容していることだから気にしてないわ」
何やら嫌な予感がする。
……この過程から逐一説明してくるところを見るに何か企んでそうだ。
「それで、アイリス様は何がおっしゃいたいのですか?」
「ええ。お父様はこうも言ったのよね?私が心行くまで相手をしてほしいと」
「……はい」
「つまり私が満足するまで何でもお願いを叶えてくれるってことよね?」
「……は?」
いや、捉え方によってはそう考えられなくもないけど。
流石に無理があると思い指摘しようとするが。
「お父様、ものすごくお怒りよ。ああ……思い出しただけでも震えが」
おい……何だよその見え透いた演技は。
確かに旦那様からの手紙を見る限りお怒りなのはわかるが。
「休養中は週に一度お手紙を送ることになってるの」
「……はい」
「ああ、どうしようかしら。私はお父様を心配させないように配慮してお手紙書こうと思っていたけど、このままだと立ち直れそうにないわ……もしかしたらクラウスのことで有る事無い事書いてしまうかもしれないわ?」
あざとい……わざとらしい。
昨日のこと絶対根に持ってやがる。
「どうしたの?昨日誠心誠意お支えさせていただきますって言ってたじゃない?まさか一度言ったことを訂正するの?……お父様にクラウス|に《・》|も《・》裏切られたって書いていい?」
アイリス様は笑顔のはずなのに、目が笑っていなかった。
無駄に記憶力が高いのは相変わらずだ。
しかもアイリス様、悪い方向に成長してやがる。
言葉に無理やり理由をこじつけ相手を納得させる。追い討ちをかけるような話し方。
「何なりとお申し付けくださいお嬢様」
俺はこう答えざるを得なかった。
旦那様を盾にするのは卑怯だろ。
いや、俺が昨日したことだけど。まさかやり返されるとは思わなかった。
この日から週に一度、アイリス様から無茶なお願いをされるようになった。
だが、甘く見るなよ。
成長したのはアイリス様だけじゃありませんよ。
さぁ、どっからでもかかってこい!