「ありえない……」
思わず口から、こぼれ出てしまった。
この場合の意味は「ここが現実的ではない」ということ。
違った表現をするならば「異次元」や「夢の世界」とも言えるかもしれない。
飛び込みたいと思ってしまうほどふっくらした黒革のソファは艶やかに、大理石のテーブルを囲うように六脚並んでいる。
奥には存在感のある紫檀のデスクがあり、部屋の中央では天井から吊るされたシャンデリアが宝石のように光を放つ。
部屋全体から押し寄せてくる威圧感は、小学生の頃に入った校長室のようだ。
だけど、私が驚愕したのは内装だけじゃない。
この部屋は、たしかに1週間前まで、ただの倉庫だったこと。
「もしかしなくても、職権乱用?」
「誰がそんなことするんだ」
トゲを感じる低い声を耳元でかけられ、私は飛び跳ねてしまった。
ゾクゾクしながら振り返ると、そこには長身の男性が立っている。
そう、彼、 宝条拓也(ほうじょうたくや)が来てから、この部屋は変わったのだ。
第1話 白馬の王子様?
始業の30分前に到着するのが、私、三上恵美(みかみえみ)の習慣。
地下鉄を降り、地上に出てから徒歩5分に私が勤める宝条グループの自社ビルのひとつがある。
『言われなくてもわかってるから』
人の流れに乗りながら、母にメールを送る。
三十路まで1年もないのに、結婚する気配が全くない私を心配して、母が連絡をしてきたのだ。
大学時代からの親友の杏子(きょうこ)以外、仲良しの友達はみんな結婚していて子供もいる。
私だって結婚願望は持っているし、これまでだって恋愛もそれなりにしてきた。
ただ、ここ数年は恋人いないだけで……。
でも、誘われれば合コンにだって行くし、社内に気になっている人もいる。
全然諦めているわけじゃないんだから。
「ん?」
普段とは違うザワザワとした喧騒に、私は顔を上げた。
会社の敷地内はエントランスまで小さな広場のようになっている。
そこを埋め尽くすように人だかりができていた。
「おい、あれってフェラーロじゃないか」
「あの白って限定モデルだったよな?」
「余裕で8桁するだろ……」
そんな野次馬の声を耳に、私もビルに向かいながらも横目で見る。
スマートでシャープな形をした白い高級車が一台止まっていた。
芸能人でもやってきたのだろうか。
なんとか、人の隙間を縫うように進んでいくと、突然、歓声があがる。
私は足を止めて顔をそちらへ向けた。
真っ白な高級車から降りてきたのは真っ赤なスーツを着た高身長の男性。
サングラスをかけていて、派手ながらも完璧に着こなしている。
(かっこいい……)
素直に、そう思ってしまった。
目を奪われていると、ビルから慌ただしく何十人もの黒服が出てきて、道を作るように並んだ。
そして、最後に出てきた白髪の老人が道を取って真っ赤なスーツの男性の前で立ち止まる。
「遅い。9時には着くと言っただろ」
真っ赤なスーツの男性はサングラスを外し、と吐き捨てるように言った。
(うわ、ないわ~……)
黄色い歓声が上がるのをよそに、私はドン引いてしまった。
決して外見は悪くない。
それどころか、超イケメン。
抱かれたいランキングに立候補したら、間違いなくトップを取るだろう。
だけど、「オレ様」のような性格や口調をしている人が、私は大の苦手……いや、大嫌いだった。
「部屋は?」
「仕上がっております」
「案内しろ」
真っ赤なスーツの男性は、老人に続いてビルの中へと消えてく。
いくら顔は良くても、やっぱりダメだと思った、そんな朝だった。
白い車と真っ赤なイケメンがやってきてから1週間が過ぎた。
彼は宝条拓也、34歳。親会社である宝条グループの現会長の息子。つまりは御曹司。
ここに来たのは、業績を伸ばすためであり、それ以上でもそれ以下でもない。
これまでは宝条グループを転々とし、2年以内に必ず成果を出してきたとのこと。
どこから情報を手に入れてくるのかわからないけど、世の中というか女性のネットワークは恐ろしいと改めて実感した。
どんなことを教わったとしても、私には興味も関係もない話だけど。
「三上さん、ちょっといいかな」
昼休みが終わって、午後の仕事も頑張ろうと気合をいれたところで、鈴木課長が話しかけてきた。
「突然で申し訳ないんだけど、今からイドウをお願いできるかな」
「移動? 席替えですか?」
「そっちの移動ではなくてね、部署の異動だね」
「えっ? 今から……ですか?」
「宝条さんの秘書になるようにと通達があってね」
課長は本当に申し訳なさそうに、徐々に範囲を広げている愛嬌のある額に手を当てながら説明してくれた。
だけど、それに対する私の気持ちとしては「無理」の一択。
いかにもオレ様系の人の秘書になるなんて、想像しただけで顔がゆがんでしまいそうになる。
「秘書の希望はしていないですし、やれるかどうか……」
私はやんわりと拒否できないかと口にしてみる。
「僕もね、三上さんのことは気に入っているから他の人を薦めてみたんだけど却下されてしまってね。それどころか今日の15時までに行かなかったら、僕の首も飛んでしまうんだけどね」
「課長の? ということは、私は……」
「僕には大学生と高校生の子供がいてね。今から再就職も難しくてね。三上さんには、非常に大変迷惑をかけちゃうんだけどね」
私の返事しだいで、課長一家が路頭に迷う可能性があると。
なんて横暴な話なんだろうか。脅迫まがいだし、パワハラだ。
でも、私がこの会社に入れたのは親戚のおかげでもあるから、メンツを潰すわけにもいかない。
なによりも課長にはお世話になってばかりだから、恩返ししないと。
「……わかりました」
こんなことがあって、今に至る。
「俺が職権乱用をすると思うのか?」
ジリジリと、ゆっくりと、迫ってくる宝条さん。
私が一歩さがると、宝条さんは一歩つめてくる。
それを4回繰り返すと、背に壁があたってしまう。
「きゃっ!」
宝条さんは私の顔の脇に腕を伸ばし、ドンッと壁に手を当てた。
「文句あるのか?」
私の耳元で、静かに呟かれる声。
また、全身がゾクッとしてしまい、鼓動が高鳴ってしまう。
ううん、壁に手を当てたときに出た音でビックリしたから、まだそのドキドキが残っているだけかもしれない。
でも、それを差し引いても、内容はさておき、顔と同じくらいのイケボ。
強引な男性が好きじゃない私でもトキメキを覚えざるを得ない。
「悪くない」
宝条さんは、自分の中で確認するように、つぶやいた。
第2話へ続く
コメント
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ごめんなさい…つまらない…(ごめんなさいごめんなさいホントに)