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静かなノックが、空気を軽く揺らした。
「……失礼します」
小柄な生徒がそっとドアを開け、ゆっくり椅子に腰を下ろす。
蓮司はペンを指先で回しながら視線を上げた。
「何か話したいこと?」
「……昔のことが、頭から離れなくて」
声は小さく、胸の奥で絡まった糸をほどくように震えていた。
「昔って、どんなこと?」
「中学の時、友達と大喧嘩したんです。私が言った一言が決定的で、それっきり会ってない。
謝ろうと思ったけどできなくて……夜になると何度も思い出すんです。
“あのときこうしていれば”って。もう終わったことなのに」
蓮司は少し眉を寄せ、しかし表情を固めずに答える。
「その後、その友達とは一度も?」
「はい。連絡先は知ってるのに、今さら送っても迷惑かなって」
ペンが机の上でひときわ大きく回った。
「失敗って、過去の自分を否定するものみたいに感じるよな」
生徒はゆっくりうなずく。
「そうなんです。何年たっても、あの瞬間が頭から離れない」
「でもさ」
蓮司は椅子にもたれながら、少し視線を柔らかくした。
「そのときの自分は、その一言しか選べなかった。悔しくても、それが今のあんたを作ってる」
生徒は小さく息を吸う。
「……取り返せないことでも?」
「取り返そうとするから、過去が重くなる。
できるのは“あの時の自分を知る”ことだけ。
その友達に連絡してもいいし、しなくてもいい。
大事なのは“自分が何を学んだか”で、相手がどう思うかじゃない」
沈黙が落ちる。
窓から差し込む夕陽が机の端を赤く染めていた。
「学んだこと……」
生徒はその言葉を繰り返し、視線を宙に漂わせる。
「後悔するのは、それだけ本気でその友達を大切に思っていた証拠。
その気持ちはこれから出会う人との関係を守る力になる」
生徒の表情に、わずかに光が宿る。
「……その考え方、少し楽かもしれない」
蓮司は小さくうなずく。
「過去は消えない。でも、それを抱えたままでも前に進める。
今の自分が、あの頃より確かに強くなってる」
ペンが静かに回る音だけが、部屋に響いた。
窓の外で風が揺れ、カーテンが柔らかく波打つ。
生徒はゆっくり立ち上がり、深呼吸を一つ。
部屋を出るその背中に、わずかながら新しい重さと軽さが同居していた。