颯馬の指が、遥の頬をゆっくりと撫でた。 その仕草は優しさを装っていたが、指先にこもる圧の意味は違っていた。
まるで、どこまでなら壊れないかを確かめるように。
「なあ……あいつ(日下部)と、どこまでやったの?」
囁きは、吐息と混ざって耳の奥に沈む。
遥は顔をそむけた。
答えたくない。けれど沈黙は、逆にすべてを暴く。
「触らせた? ……それとも、触った?」
颯馬の声は低く、笑っているようで笑っていなかった。
「……やめろ」
「へえ、図星?」
軽い笑いとともに、彼の指が顎を上げさせる。
距離が近い。肌がぶつかるほどに。
遥の呼吸が浅くなる。逃げ場のない空気が、喉の奥にこびりついて離れない。
「お前がアイツといるときの顔、見たんだよ。
穏やかで、何も怖くなさそうでさ。……ムカつくんだよ、そういう顔」
颯馬は顔を近づけ、遥の耳元に息を吹きかけた。
その冷たい感触に、遥の背がびくりと跳ねる。
「……俺の前では、そんな顔できねぇのにな」
囁きは、嘲りと嫉妬のあいだで揺れていた。
まるで遥の「平穏」を奪い取り、徹底的に塗りつぶすことでしか存在を確かめられないように。
「日下部は、優しいんだろ? 何も言わないで待ってくれる。
でも、俺は違う。……お前が黙ると、壊したくなる」
その声が震えるように近づく。
指が喉の下をなぞる。軽く触れるだけ。
けれど、遥にはそれが刃物のように感じられた。
「やめて……」
「だったら、教えてよ。
あいつと何をしたのか、俺の知らないお前を、どこまで許したのか」
颯馬の言葉が、まるで皮膚の下に入り込むように重く沈んでくる。
遥は首を振った。
けれど、その小さな拒絶さえも、颯馬の笑いを深くした。
「そうやって黙るの、ほんとムカつくんだよな」
嗤いの奥で、何かがきしんだ。
それは嫉妬でも怒りでもなく、もっと暗く、壊れた感情の音だった。
颯馬の指が離れる。
かわりに静寂が、部屋を満たす。
遥はその沈黙の中で、唇を噛みしめた。
血の味がわずかに広がる。
その痛みだけが、現実の証のようだった。
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