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#北朝鮮
SUJ 一等海尉
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第2話 身体に任せる
登場人物
柊木レン
十九歳。
細身だが肩と腕にはほどよく筋肉がついている。
短めの茶色い髪は前髪だけ少し長く、仕事中は額へかからないよう横へ流している。
瞳は灰色がかっている。
皮膚には黄緑と紫の細かな帯模様があり、緊張すると腕の模様が細かく分かれる癖がある。
右手の副脳は正確さを優先し、左手の副脳は動作速度を優先する傾向がある。
最近、食品加工所で働き始めた。
宮野サエ
三十代。
茶色の髪を肩のあたりでまとめ、落ち着いた灰色の瞳をしている。
腕から首にかけて緑の丸い模様を登録している。
食品加工所で長く働いており、両手へ別々の作業を任せながら周囲を見ることができる。
レンの教育担当。
久瀬トオル
二十代後半。
短い茶色の髪と大柄な体格。
腕には紫と黄緑の角張った模様が並んでいる。
声が大きく、作業中でもよく短いオノマトペを挟む。
加工所ではレグホン肉の仕分けを担当している。
◆
朝八時。
食品加工所の大きな扉が、低い音を立てて開いた。
ゴォン。
レンはその音を聞きながら、中へ入った。
室内には一定の冷気が流れている。
外より少し低い温度に身体が気づき、皮膚の感覚がゆっくり変わり始めた。
数分もすれば慣れる。
だが、今日は気温より別のものが気になっていた。
目の前に並んだ作業台。
その上を流れる容器。
そして、その横で一定の速さで動く人たちの手。
右。
左。
置く。
取る。
確認する。
また置く。
どの作業も単純に見える。
けれどレンは知っていた。
昨日、自分がその単純な作業だけで一日中へとへとになったことを。
「おはよう」
背後から声がした。
振り返る。
サエが立っていた。
緑の丸い皮膚模様が首筋から腕へゆっくり続いている。
「おはようございます」
レンの腕に細かな模様が増えた。
サエはそれを見る。
「まだ緊張してる?」
「ちょっと」
「昨日よりは?」
「昨日よりは……たぶん」
サエが短く音を鳴らした。
ポッ。
軽い励ましの意味。
レンも返そうとして、
ポ。
少し低くなった。
サエが笑う。
「まだその音も慣れてないね」
「仕事中に使うとは思わなかったです」
「意外と使うよ」
そう言って、サエは作業台へ向かった。
レンも後ろについていく。
今日の仕事は昨日と同じ。
レグホン肉を一定量ずつ容器へ分ける作業だった。
加工済みの肉が大きな箱で届く。
そこから必要量を取り、量を確認し、指定された容器へ移す。
容器を隣へ送る。
それだけ。
言葉にすると簡単だった。
昨日、レンもそう思った。
一回目までは。
「じゃあ、今日も最初からやろうか」
サエが作業台の横に立つ。
レンは頷いた。
肉を取る。
計量器へ置く。
数字を見る。
少ない。
少し足す。
多い。
少し戻す。
数字を見る。
指定量。
容器へ移す。
蓋を横へ置く。
次。
肉を取る。
量る。
足す。
戻す。
容器へ移す。
次。
最初の五回ほどは問題なかった。
十回を越えたころから、レンの眉が少し寄った。
頭の中でずっと言葉が流れている。
取る。
量る。
多い。
戻す。
容器。
次。
取る。
量る。
少ない。
足す。
容器。
次。
右手を動かすたびに、主脳が一つずつ命令していた。
自分の手なのに、全部を口頭で指示しているような感覚だった。
三十分が過ぎる。
肩が重い。
頭も少し疲れてきた。
肉を取る。
量る。
数字を見る。
「あ」
指定量を越えていた。
戻す。
また見る。
今度は少ない。
足す。
また多い。
「……なんで」
サエが横から覗く。
「急がなくていいよ」
「でもみんな速いですよね」
「みんな何年やってると思ってるの」
少し離れた作業台では、トオルが右手で肉を仕分けながら、左手で容器を並べていた。
しかも隣の作業員と話している。
「昨日さ、店で濃味コーチンの卵が安くてさ」
話しながらも手は止まらない。
肉を取る。
分ける。
置く。
容器を送る。
また取る。
その間、顔はずっと隣へ向いている。
レンは思わず見つめた。
「見すぎ」
サエが言った。
「だって、見てないのにやってる」
「見てないわけじゃないよ」
「でも話してますよね」
「作業は副脳。話は主脳」
レンは自分の手を見る。
自分も同じ身体を持っている。
当然、副脳もある。
けれど今の右手は、主脳から指示をもらわないと何もできない。
「いつから任せられるんですか」
サエは少し考えた。
「いつから、って決まってない」
「何回くらい?」
「それも人によるかな」
「百回?」
「もっとかも」
「千回?」
「そのくらいで急に軽くなる人もいる」
「急に?」
「気づいたら」
レンは眉を寄せた。
「そんな曖昧なんですか」
「身体が覚えるって、そういうものだから」
サエが自分の右手を軽く上げる。
「私も最初は全部考えてたよ」
「本当ですか」
「本当」
「今、全然見てないですよね」
「見てるよ。必要なところだけ」
サエの右手が容器を一つ取った。
左手が肉を置く。
右手が蓋を閉じる。
主脳はレンを見ている。
「副脳へいきなり『全部よろしく』は無理」
「はい」
「まず同じ動きを繰り返す」
「はい」
「間違えたら、その場で直す」
「はい」
「そのうち身体側が、どこまで自分で判断していいか覚える」
レンは自分の右手を握った。
開く。
また握る。
「覚えてる感じって分かるんですか」
「最初は分からない」
「じゃあどうやって」
「気づいたら考えてない」
また曖昧だった。
レンは少しだけ口を尖らせた。
腕の模様が細かく分かれる。
サエがそれを見て笑う。
「嫌そう」
「いや、分かりやすい答えが欲しかっただけです」
「じゃあ分かりやすく言うと」
サエが作業台を指した。
「続ける」
レンは作業へ戻った。
肉を取る。
量る。
確認。
戻す。
容器。
次。
今度は速度を考えない。
一つずつ。
右手が肉をつかむ。
主脳で重さを予想する。
計量器へ置く。
数字を見る。
多い。
右手で少し戻す。
数字を見る。
今度はちょうどいい。
容器へ。
次。
少しずつ流れができてきた。
午前十時。
休憩。
レンは椅子へ深く座った。
「疲れた……」
腕を机へ置く。
頭まで重い。
隣にトオルが座った。
飲み物を一口飲む。
「新人?」
「はい」
「何日目?」
「二日目です」
「じゃあ疲れる」
「トオルさんはどのくらいで副脳に任せられました?」
「これ?」
右手を上げる。
「覚えてない」
「またそれ」
「みんなそう言うだろ」
「言います」
トオルが笑う。
ククッ。
口から小さな音が漏れた。
「ある日、仕事しながら昼飯のこと考えててさ」
「はい」
「気づいたら箱が全部終わってた」
「それ怖くないですか」
「最初はちょっと」
「間違えてたら?」
「確認した。間違ってなかった」
トオルは机を指先で軽く叩く。
「身体のほうが先に覚えたんだろうな」
レンは右手を見る。
疲れているはずなのに、指は普通に動く。
「僕のも覚えてますかね」
「昨日よりは」
「分かるんですか」
「いや」
「適当」
「でも二日目なら昨日より一日分多くやってる」
それは確かだった。
休憩が終わる。
再び作業台。
肉を取る。
量る。
確認。
容器。
次。
午前より少しだけ速い。
レンは気づかなかった。
一時間ほど経ったころ。
サエが隣から声をかけた。
「今日のお昼、何食べる?」
「え?」
レンは顔を向けた。
右手には肉。
「豆麺かな」
「また?」
「昨日も食べました」
「好きなの?」
「安いから」
話しながら、右手が肉を計量器へ置いた。
数字。
少し多い。
指先が肉をほんの少し戻した。
容器へ移す。
次の肉を取る。
レンはまだサエを見ている。
「向こうの店、三毛牛の乳で作った煮込みもあるよ」
「高くないですか」
「昼なら安い」
「どれくらい?」
「豆麺に少し足すくらい」
右手がまた肉を量る。
少ない。
自然に少し足す。
容器へ。
そこでサエが笑った。
レンは首を傾げる。
「何ですか」
「今、作業のこと考えてた?」
「え?」
「右手」
レンは手元を見る。
容器が一つ完成している。
その前にも二つ。
「……あれ」
「できてるね」
レンは右手を止めた。
手のひらを見る。
「今、僕……」
「昼ご飯の話してた」
「でも量ってた」
「うん」
「数字も見てない」
「見てる。身体側では」
レンは完成した容器を計量器へ戻した。
指定量。
その前の容器も。
指定量。
もう一つ。
少しだけ差がある。
許容範囲。
レンの腕の模様がふっと広がった。
細かく分かれていた黄緑の線が、少し大きく滑らかになる。
「今の?」
「最初の一歩」
サエが言う。
「全部任せられるわけじゃないけど」
レンはもう一度作業を始めた。
肉を取る。
今度は意識して任せようとした。
右手。
量を調整。
容器。
やって。
手が止まった。
「……動かない」
サエが吹き出す。
「意識しすぎ」
「さっきできたのに」
「任せようと考えた瞬間、主脳が戻ってきたんじゃない?」
「そんな」
もう一度。
右手へ任せる。
取って。
量って。
調整して。
容器。
全部頭の中で言っている。
結局、自分でやっている。
「難しい」
「忘れたころにできるよ」
午後。
レンは少しずつ作業へ慣れていった。
完全に副脳へ任せられる時間は短い。
数秒。
十秒。
気づくと主脳が戻る。
それでも午前より楽だった。
肉を取る。
量る。
容器。
横で別の人が話している。
「今日、帰り雨らしい」
「本当?」
レンが反応する。
右手は作業を続ける。
「朝は降らないって言ってたのに」
「午後から変わったらしいよ」
「傘ない」
「売店で買えば?」
「高いんですよ」
肉を量る。
少し戻す。
容器へ。
話が続く。
「皮膚で弾けない?」
「雨は無理ですよ」
「ちょっとなら」
「帰るころにはびしょびしょです」
右手が次。
レンは途中で気づく。
まただ。
今度は止めない。
そのまま会話を続ける。
「でも走れば」
「脚に任せれば?」
「雨の中で全力は嫌です」
「じゃあ買うしかないね」
右手が次の肉を取る。
量る。
調整。
容器。
レンの中で、少し不思議な感覚が生まれた。
手が自分から離れたわけではない。
感覚もある。
肉をつかんでいることも分かる。
計量器に置いたことも分かる。
ただ、それを一つ一つ考えていない。
歩くときに、
右足を前へ。
次に左足。
膝を少し曲げる。
などと考えないのと同じだった。
右手が仕事をしている。
自分は話している。
それでも両方とも自分だった。
「レン」
サエの声。
「はい」
「次、違う部位が来るよ」
その瞬間、右手が止まった。
目の前の肉は、さっきまで扱っていたものと形が違う。
副脳は勝手に続けなかった。
判断要求。
意識が一気に手元へ戻る。
「これは?」
「さっきより脂が多い部位。指定量も違う」
「じゃあ……」
サエの説明を聞く。
新しい数字。
新しい持ち方。
柔らかいので強くつかまない。
容器も別。
レンは最初から主脳で確認する。
取る。
量る。
多い。
戻す。
少ない。
足す。
容器。
また頭が忙しくなった。
さっきまで軽かった作業が、急に重くなる。
「戻った」
レンが言う。
「何が?」
「最初みたい」
「新しい作業だからね」
「せっかく覚えたのに」
「前の作業は覚えてるよ」
「でも使えない」
「また前の部位が来たら使える」
レンは少し考えた。
副脳が覚えるのは、仕事という大きなまとまりではない。
この肉を取る。
この量へ調整する。
この容器へ入れる。
そういう細かな動作の組み合わせなのだ。
違う部位になれば、また新しく教える必要がある。
「全部覚えるまでどのくらいですか」
「この作業場だけでも結構かかるよ」
「うわ」
腕の模様が細かくなる。
サエが笑う。
「でも一個覚えたでしょ」
「一個だけ」
「昨日はゼロだった」
レンは手元を見る。
確かに。
昨日は何も任せられなかった。
今日は一つ。
それなら明日は二つになるかもしれない。
午後三時。
また最初の部位が流れてきた。
レンは少しだけ肩の力を抜いた。
「これなら」
右手が肉を取る。
計量器へ。
少し戻す。
容器。
次。
レンは時計を見る。
あと二時間。
帰りに何を買うか考える。
雨が降るなら傘。
豆麺も買いたい。
家に卵コーチンの卵は残っていただろうか。
昨日、大玉を二個使った。
残りは三個。
たぶん。
右手は動いている。
量る。
調整。
容器。
次。
そのうちトオルが横を通った。
「お、動いてるじゃん」
「ちょっとだけ」
「朝より顔が楽そう」
「分かります?」
「腕も」
レンは自分の腕を見る。
皮膚模様が落ち着いている。
「朝、細かかったからな」
「緊張してたので」
「今は?」
レンは少し考える。
右手は動き続けている。
「なんか……暇です」
トオルが笑った。
「それでいい」
「仕事中ですよ」
「副脳が仕事してる」
「主脳が暇」
「じゃあ何か考えればいい」
「何を」
「夕飯とか」
「それ、トオルさんと同じじゃないですか」
「俺はだいたい食べ物」
トオルが去っていく。
レンは小さく笑った。
右手は止まらない。
数分後。
本当に夕飯を考えていた。
豆の煮込み。
レグホン肉。
卵コーチン。
三毛牛の乳。
家に何があったか。
料理そのものを考えている間も、手は食品加工を続ける。
同じ肉を扱っているのに、頭の中では別の料理になっていた。
不思議だった。
朝は一つの容器を完成させるだけで、頭の中が作業でいっぱいだった。
今は容器が次々と完成していく。
カタン。
カタン。
一定の間隔で並ぶ。
肉を取る。
量る。
調整。
容器。
もう言葉にしなくても身体が知っている。
ただし、少し形の違う肉が来た。
右手が止まる。
レンはすぐに手元を見る。
「あ、これはこっち」
主脳で判断する。
処理する。
またいつもの肉。
右手へ戻す。
作業再開。
その切り替えも、朝より自然になっていた。
午後五時。
終了の音が鳴った。
ブゥン。
作業台が止まる。
レンの右手も止まった。
その瞬間、腕が急に軽く感じた。
「終わった……」
サエが隣で道具を片付けている。
「どうだった?」
「朝より楽です」
「頭は?」
「朝はずっと仕事してた感じでした」
「今は?」
「途中から夕飯考えてました」
「成功」
「これで成功なんですか」
「そういう仕事だから」
レンは右手を開いた。
閉じる。
開く。
今日一日で、少しだけ違う手になったような気がした。
見た目は何も変わらない。
指の長さも。
皮膚模様も。
動きも。
けれど昨日までできなかったことを、今日は考えなくてもできる。
「明日、忘れてたりしません?」
「多少ぎこちなくなることはある」
「やっぱり」
「でも一日分は残るよ」
「一日分」
「明日は今日より少し楽」
サエが荷物を持った。
「その次はもっと楽」
レンも上着を取る。
右手へ、
作業用の布を畳んで棚へ置く。
と任せてみる。
手が動いた。
布を取る。
端を合わせる。
一度折る。
もう一度。
棚へ。
レンはじっと見た。
「それは前からできたんじゃない?」
サエが言う。
「家ではやってます」
「じゃあ仕事じゃなくても同じ」
レンは頷いた。
副脳は仕事用の特別なものではない。
生活の中でずっと使っている。
歩くこと。
服を整えること。
食器を片付けること。
何度も何度も繰り返して、いつの間にか考えなくなったこと。
仕事も同じだった。
ただ、新しいから最初だけ重い。
身体へ教える。
間違えたら直す。
また繰り返す。
そのうち主脳が手を離す。
出口へ向かう。
外へ出ると、本当に雨が降っていた。
細かな雨粒が地面を叩いている。
「傘ないんだった」
サエが言った。
「売店、まだ開いてるよ」
「買います」
二人で売店へ向かう。
歩きながら、レンは今日の作業を思い返していた。
朝の自分なら、仕事をしながら夕飯のことを考えるなんて信じなかっただろう。
たった一日。
それでも身体は少し覚えた。
明日も同じ作業をする。
また新しい部位も覚える。
その次は容器。
その次は別の工程。
一つずつ。
主脳で覚えて。
副脳へ渡す。
やがて、その仕事をしながら天気の話をしたり、夕飯を考えたり、誰かのくだらない冗談に笑ったりするようになる。
売店の前で、レンは立ち止まった。
右手が自然に扉を開ける。
そのまま身体だけ先へ入りそうになって、レンは少し笑った。
「どうしたの?」
「いや」
腕の模様がゆっくり広がる。
「身体って、結構覚えるんだなって」
サエが短い音を鳴らした。
ポッ。
朝と同じ、軽い励まし。
今度はレンも返した。
ポッ。
ほとんど同じ高さで鳴った。
「それも上手くなったね」
「二回目ですけど」
「繰り返したから」
レンは傘を一本取った。
レジへ向かう。
右手には傘。
左手には財布。
頭の中では、明日の仕事を少しだけ考えている。
でも、考えすぎるのはやめた。
明日になれば、また身体へ教えればいい。
一度。
二度。
何度も。
そしていつか、考えなくてもできるようになる。
翠球では、それを上達と呼ぶことが多かった。
コメント
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みぃです🥀 第2話、すごく良かった……。昨日までは主脳で全部考えてた作業が、今日は話しながら右手が勝手に動いてるって気づく瞬間、なんだか胸があったかくなったよね。「任せよう」って意識しすぎると逆に止まっちゃうのもリアルで、身体が覚える感覚ってそういうものなんだなって思った。レンの腕の模様が細かくなる癖とか、サエの「ポッ」っていう音のやりとりも好き。一歩ずつ教えてもらってる感じが優しくて、続きも読みたい。