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その日は川沿いを下流に向かって歩いているようだった。川の最下流は隣領シュコールの街中を流れていたはずだが、それは随分と先のこと。長い川のどこまでを辿るつもりなのかは先頭を歩く愛猫にしか分からない。
枝をくぐり草を掻き分けて歩く森の中と、岩や砂利だらけの川縁と、どちらが楽かと聞かれても、おそらくは答えられない。どちらも歩き辛いのは同じだった。気を抜くとすぐにバランスを崩したり足を取られてしまう。
出発したばかりのあの散策気分はどこへ消えてしまったのかと、葉月は肩で息をしていた。薬草と回復薬のおかげで身体の疲れはほとんど無い。けれど、身体を奮い立たせてくれていた物が日ごとに減っていく。目的地の分からない探索は精神的な疲労感を生み出していた。
でも、この先にはくーが抱えている理由がある。ここの世界に来なければならなかった理由が。
何も無いなんてことは、決して無いはずだ。
二人を先導しながら歩く猫の後ろ姿に、気合いを入れ直す。この先の何かを見つけたところで、元の世界に帰れるとは限らない。けれど、何もしないよりはマシだ。
俯きがちだった顔を上げ、前を向き直す少女の横顔に、ベルは眉を寄せて上空のオオワシに片手を上げて合図した。ブリッドはバサバサを羽音を立てて、どこかへ向かって飛んで行った。
「一旦、帰りましょう」
「みゃーん」
魔女の言葉に猫も同意するように返事すると、驚いた表情の飼い主の足下に寄り添った。せっかく気合いを入れ直したのにと拍子抜けしている葉月だったが、無理して進む必要はないとベルは帰還を決意した。楽しめなくなった時点で帰ろうと最初から決めていた。
その場でしばらく休んでいると、聞き慣れた羽音。見上げると、大きな鳥の影。どこかへ消えたブリッドが戻って来たようだ。
「え?」
オオワシは二本の脚でしっかりとロープを握りしめていた。そのロープで支えているのは見覚えのある大きな木箱。そう、街との物品のやり取りに使っていた運搬用の箱で間違いない。
彼女らの傍にそっとそれを降ろすと、ブリッドはベルに向かって一鳴きする。ご苦労様と頬を撫でて褒めて貰うと、ご機嫌で首を上下していた。
「さあ、乗って」
「え⁈」
木箱の中に入るようにと背中を押され、葉月は目をぱちくりさせた。館を出たばかりの時に言っていたのは、冗談じゃなかったの? と。
「大丈夫よ。ブリッドは静かに飛ぶのは得意だもの」
薬瓶を割らずに運べるくらいだ、安全飛行には違いない。でも……。戸惑う葉月の背中をぐいぐいと押すベル。くーも先に箱に乗り込んで、彼女が来るのを待っている。
ってか、くーちゃんは自分で飛べるでしょ⁈
「べ、ベルさんは?」
「私も後で迎えに来てもらうから、心配ないわ」
さすがに二人は乗れないわ、と楽しそうに笑っている。無理矢理に葉月を押し込むと、オオワシに出発を命じた。箱の淵に必死でしがみついている少女に手を振って見送る笑顔は、悪巧みした時のそれに近かった。
オオワシに引っ張り上げられる木箱の中で、葉月は箱の淵を両手で掴んだ体勢のまま座り込んでいた。立って景色を眺める余裕なんてこれっぽっちも無い。くーは特に何も気にならない様子で、木箱の底で丸まっていた。
さすがにブリッドの飛行にはブレが無く、たくさんの薬瓶を一つも割らずに運搬していただけはあった。あえて下を見なければ、それほど怖くはないと葉月が気づいた時にはすでに館の庭に着地した後だったが。
丸二日掛けて歩いた距離も、ブリッドにかかればほんの十数分でしかなかった。
「ありがとう、ブリッド」
「ギギィ」
庭で待ち受けていたマーサの手を借りて箱から出る。くーもぴょんと一飛びで庭に降りると、挨拶するようにマーサの足下に擦り寄った。箱に入って帰って来た葉月達へ特に驚いた様子もなかったので、マーサには慣れたことなのだろう。
ブリッドはベルを迎えにすぐに元の場所へと飛び立っていった。
「おかえりなさいませ、葉月様。くーちゃん」
「ただいま。マーサさん」
ブリッドが木箱を取りに戻って来てから、急いで食事の用意をしていたマーサだったが、葉月の様子を見る限り、食事よりも先にお風呂かしらと苦笑した。
ほどなくして戻ったブリッドに運ばれて来たベルは、木箱の中で余裕の笑顔だった。契約獣と一緒に空を飛んだのは子供の頃以来だと、とても楽しそうだった。
「ただいま。マーサ!」
この世界の魔女は箒には乗らないが、木箱で空を飛ぶ。