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#異能
#伝奇
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「……え、えええっ? ここ、どこ? ……私、一体どうなってるの?」
椅子に座らされたまま、声を発したのはユカリだった。
身体は祭壇に向いたままだからその表情までは見えないけれど、その声色から困惑しているのは間違いない。
「マ、ママ? そこにいるの? ……私、動けないんだけど」
ユカリの声は震え、今にも泣きだしそうだった。
「ユカリちゃん!」
うちが立ち上がるよりも早く、駆け出したのはユカリのお母さんだった。
その見事なロケットスタートに慌てて子ども達が続く。
「良かった! 正気に返ったのね! みんな、ユカリちゃんのこと心配したのよ!」
娘の身体に抱きすがり、喜びの涙を流すお母さん。
良かった……。安堵のあまり、全身から力が抜けてゆくのを感じながら、うちは思った。
まだ怪異本体の始末が残っているけど、とりあえずはこれで一段落。
朱雀機関文書を読んだ限りではもう、ユカリが命を狙われることもなさそうだし……。
と、うちが小さく溜め息をついたときだった。
オン アロマヤ テング スマンキ ソワカ。
オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ。
不意に聞こえてきた真言に、うちは「あれ?」と違和感を覚える。
お父さんの唱え言がまだ続いている。ということはまだ、お父さんはトランス状態にあるということで……。
御祈祷はまだ終わっていない、ということ?
それはつまり……。
「そう言えば――パパは? ……あの人、いないの?」
両腕の戒めをお母さんに解いてもらいながら、ユカリが尋ねていた。
正直、それはうちも気になっていた。この一大事に、言うならば娘の生きるか死ぬかの瀬戸際に父親が現れないなんて。
実の家族には恵まれていないうちだけど、いや、だからこそ、それが普通ではないと分かる。
一瞬、ユカリのお母さんは言葉を失い、
「パ、パパは、その――どうしても、今日外れられないお仕事があって……それで儀式が終わったら……」
けひゃけひゃけひゃけひゃけひゃけひゃけひゃ。
ユカリが笑った。死んだ魚のような目のまま、口元だけをつり上げた神楽笑いで。
「白々しい嘘をつくなよ。この娘もガキどももとっくに知っておるわ。うぬの夫はまた、あの水商売の若い女と遊びほうけておるのだろ?」
ゾワリ、と。
うちは全身が鳥肌立つのを感じた。
あ、これあかんヤツや。
ユカリの口を借りて、ユカリじゃない誰かがしゃべっているんや。
けたたましく嘲笑いながら、ユカリが大きく片手を振り抜き、唖然と立ち尽くしていたお母さんの頬を激しく打ち据える。
悲鳴を上げ、横倒れに倒れるお母さん。
子供達の火がついたような悲鳴が重なってゆく。
椅子に座っていたユカリが立ち上がり、祭壇に向かってまだ祈祷を続けているお父さんの背中に近づいてゆく。憑依した怪異がもたらす霊毒の影響なのか、鋭く尖った鬼のような爪を長く伸ばして。
一方、唱え言を続けるお父さんは微動だにしない。
御祈祷に全神経を集中させ、意識だけを半ば異界に飛ばしているから、現実での出来事に反応できないのだ。ひょっとしたらユカリの異変にも全く気がついていないかもしれない。
あれこれと何かを考えているような余裕は、もはやうちには残されていなかった。
わぁあああ、と自分でも悲鳴だか怒声だかわからない絶叫を張り上げ、背後からユカリの身体に体当たりをしかける。
だけど、間に合わない。異形化したユカリの爪が大きく振るわれ――お父さんの背中を、狩衣ごと深々と切り裂く。信じられないほどの量の鮮血が宙を舞い、その向こうでお父さんの身体がまるで木の葉のように舞うのが見えた。
と、振り向いたユカリに片手で喉をつかまれた。そして、そのまま大きく身体を振り上げられる。
天地が逆転し、うちは自分の爪先が天井に向かって真っすぐ伸びるのを目にしていた。
そして、そのまま思いっきり床に全身を叩きつけられる。自分の身体の内側で破裂するような音を聞いた気がした。骨が軋み、砕ける音も聞こえた。
生暖かいものが喉を逆流し、うちは自分の顔と喉元を真っ赤に濡らしていた。
頭がボウッとして気が遠くなる。
「久しぶり! 会いたかったよぉ、キミちゃん!」
けひゃけひゃけひゃけひゃけひゃけひゃけひゃ。
金属をこすり合わせたかのような不快で甲高い笑い声。
床の上であおむけに倒れたうちの身体の上にユカリが――いや、ユカリに乗り移った何者かが、膝を押し当て覆いかぶさってくる。
「キミちゃんにも――、分けてあげるね」
そう言って、そいつはあんぐりと大きく口を開いた。薄桃色の舌がまるで蛇のように妖しくのたうち、うちの顔へと近づいてくる。
その舌先に小さな石のかけらが付着していた。そこに精密に刻まれているのは、この世のものとは思えないほど下卑た笑いを浮かべた。
誰かが叫び声を上げるのが聞こえた。リョウだと思うが、ひょっとしたらコウかもしれない。ゼナ博士かもしれない。他の誰かかもしれない。
なんで……?
うちはただ幸せに静かに生活したいだけやのに。
なんで、いつもこんなことになるん?
グチョリという湿った音がして、激痛とともに耳の奥に異物が押し込まれる感覚。
全てはスローモーションのように流れ、景色は涙に滲み見えなくなって――うちは硬く目をつむる以外、為す術がなかった。