テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
鍵が閉まったことを、三度ほど指で確認した。
ドアノブを握り締める手に、感覚が戻らない。骨だけが冷たい鉄に沈んでいくようで、握ったまま、何秒も動けなかった。
静かだった。
外から聞こえる声はもう遠くて、教室のざわめきも、あいつらの笑い声も、もう関係なかった。関係なくなったはずだった。
――逃げてきた。逃げ場に。
自分の部屋。学校じゃない。家でもない。
この狭い、誰もいない空間だけが、「何もされない」唯一の場所だった。
けれど、今日は違った。違っていた。
あの視線の中で、“壊れていく自分”を、笑われる自分を、映されて、刻まれて、言葉にされて、それが「正しさ」になって――
あいつらの声が、自分の言葉よりも先に口の中に溜まっていった。
飲み込んだのは、自分だったはずなのに、気づけば喉はひび割れていた。
誰もいないはずの部屋の中で、遥はふいに、笑った。
壊れた音だった。
喉がちぎれるほどの叫びを、声にできなかった代わりに、笑った。
唇がつるりと乾いて、歪んで、戻らなかった。
「……っ、く……あはっ……なに、それ……俺……なに……?」
わからなかった。自分の声が、誰のものかわからなかった。
腹の奥が反応していた。
教室で晒されたときの感覚。あの椅子に縛り付けられて、正しさとして踏みにじられた時の熱。
思い出したくなかった。けど、もう体の方が先に覚えていた。
逃げたかった。ここからも。
けど、もうどこにもない。逃げる先なんて。
ただただ、床に崩れて、喉の奥を噛みしめた。歯がぶつかって血の味がした。
痛かった。けど、痛みは輪郭を与えてくれた。今ここにいる“俺”を、なんとか保たせてくれた。
それすらも、もうすぐ剥がれるだろう。
明日はまた、“あの時間”がくる。制度の中で、あいつらの正しさで、
「これが遥なんだ」と、決めつけられて――
他人の言葉で、自分が決まっていく。
笑われながら、触れられながら、記録されながら。
鏡に映った顔を見た。
濁っていた。どこかで見た顔だった。
あれは、きっと――
もうどうでもいい。
壁にもたれて、動けなくなったまま、ただひとつの願いだけが、喉の奥で濁ったまま膨らんでいた。
「……消えたいとかじゃ、ないんだよ……」
掠れた声が、誰にも届かない部屋に落ちた。
ただ、もう――
「戻れない」が怖かった。
自分が、自分に戻れないことだけが。