「おめでとうございます、亜依子さん!亜依子さんが幸せになってくれて、わたし本当にうれしい」
「ありがとう。結婚してもせいぜい苗字が変わるくらいだから、これからもよろしくね。
うーん、この際だから、亜海ちゃんにお料理でも習おうかしらねぇ。なんだか最近アイツ、料理作ってくれってうるさくて…料理苦手なのに、ゆううつ」
悩ましげにため息をつく亜依子さん。
「これから死ぬまでそういう面倒みてやらなきゃならないのよねぇ…。ああ、なんか思いっきり飲みたい気分になってきたわ。よし、じゃあ独身最後の忘年会たのしんでくるかなー」
と、お化粧直しをするのかな。
亜依子さんは小ぶりのショルダーバックをおろして、中からポーチを取り出した。
それを目にした瞬間、息が止まった。
あまり日本では見ないようなお洒落なデザイン。
ひとつひとつ色合いのちがう赤がタイル状に並んでいて、とても素敵でいかにも大人の女性が使っていそうなデザイン…。
見たことがある。同じようなデザインを…ううん、このポーチを見たことがあった―――。
「…あれ、どうしたの亜海ちゃん。きもちわるいの?」
得体の知れない胸悪さが押し寄せてきて、わたしはシンクに手をついて口元を押さえた。
「ちょっと…飲みすぎちゃったみたいで…大丈夫です。すぐなおります」
「…本当に?無理しないで?わたし、家まで送って行ってあげようか?」
「大丈夫です…!」
背にそっと触れてきた手から、思わず逃げるように避けてしまった。
亜依子さんは、ちょっと戸惑った表情になる。
でもとても冷静になんかなれなかった。
笑顔を作って亜依子さんと話しできる気持ちになれなかった。
わかってる。
まだそうと決まったわけじゃない。
わたしと出会う前に関係があったってだけかもしれない。ショックだけど。
…でも、そうなると亜依子さんは課長の秘密を知っていたことになる。じゃあもしかしてわたしのことも感付いてる…?もしそうなら、この亜依子さんのやさしさは、なに?
いや、落ち着いて。ほんとうに同じものだった?似てるだけかもしれないじゃない。
たまたま同じものを持っていたってだけかもしれないし…落ち着け、落ち着け亜海。
ぐるぐるぐる…考えが渦を巻いて怒涛に押し寄せてきて眩暈と胸悪さが増す。
「ごめんなさい…わたし失礼しますね」
「大丈夫?わたし家まで送るよ」
「いいんです、けっこうです…。ひとりで帰れますから…」
「…」
「ちょっと落ち着いて考えたいことがあって…じゃあまた」
逃げるように亜依子さんから離れると、駆け足で階段を昇った。
ふと気づいて腕時計をみると、あんなに余裕があったはずなのに、待ち合わせまで10分前を切っていた。
歩いては間に合わない。タクシーを使わなくちゃ。
けど、もうパニックになっていた。
忘年会シーズンの金曜の夜。
ほろ酔いのサラリーマンたちがいつもより大きな声で笑いながら寒空の下を歩いている。
けど、そんな喧噪も聞こえてこないほどにわたしは動揺していた。
そんなわけない。信じなきゃ。信じなきゃ…。
「三森」
ふいに、ふらふらと歩くわたしを叱責するかのような声が聞こえた。
この露骨に人蔑むような声には、嫌でも聞き覚えがあった。
どうしてこんな時にこの人が…。
嫌な気がして…振り向けなかったけれど、きづかないふりをするわけにもいかず、わたしは苦々しい思いで振り返った。
そこにはやはり、今一番会いたくない人物が立ちふさがった。
田中さんだった。
彼女はまるでわたしに最後通告を突きつける女王のように、勝ち誇った表情を浮かべていた。
「どうしたの?浮かない顔ね。新しい環境で有意義な毎日を送ってるはずの三森さんが、意外ね」
もう嫌味に付き合う気力も無かった。
早くこの場を去りたい。
「すみません…わたし、待ち合わせがあるんで」
「遊佐課長と?」
「…」
「バカな子。まだ信じてるの?」
「…」
弱ったわたしに、田中さんはどこまでも冷酷だった。
「今日わたしはおめでたいあんたに現実を思い知らせてやろうと思って来たのよ。日野亜依子、今日あんたたちの忘年会に来てなかったでしょ」
亜依子さんの名前がでて胸がじくりと痛む。
なんだろう。亜依子さんが、なんだというの。
「あいつが今までなにしていたか、教えてやりましょうか」
というと、田中さんはコテコテにラメコーティングしたスマホをかざした。
それは、彼女が投げたとどめのナイフだった。
わたしの喜びや幸福すべてを切り裂き、こなごなにする、残酷なナイフ。
夜の街に煌々と光るスマホの画面には、間違いなくわたしを絶望へ落とす動画が流れていた。
男性と女性。
オフホワイトのセーターが似合う美人の隣にはハーフの男の人が同じく微笑んでいた。
動画の中で、亜依子さんと裕彰さんがいる場所は高級そうなジュエリーショップだった。
カウンターに座って、店員に見せられているのは、指輪とおぼしきもの…。
「ずっとつけていたのよ。あんたを破滅させてやろうと思ってね。いえ、助けてやろうとしての間違いかしら?
良かったじゃない。これでみじめに捨てられる前に自分から身を引けるわよ?」
「…」
「これを今から総務部用のラインに乗せてあげる。うちの子たちみんな親切だからきっと社内中にこの動画を広げて知らせてくれるわね。そしたら課長もウソを通せなくなってあんたをさっさと手放してくれるわよ。良かったわね、これで別れやすくなった。わたしに感謝することね」
決定的だった。
散らばったピースがすべてきれいにはまって出来上がったのは、わたしを絶望へ突き落す残酷な現実だった。
なにもかもが歪んでぼやけていく。
涙があふれて、絶望で目の前が真っ暗で、なにも見えない…!
こんなのって、ないよっ…!
わたしは寒空の下、駆け出した。
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