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その夜は、泣きはらした。
泣いて泣いてこの苦しみが消えるなら何時間だって泣く。
このつらい現実と切り裂かれるような失望が消えるのなら、身体中の水分がなくなったっていい。
そう思った。
でも不思議なことに、泣くほどにその痛みは強くなって、わたしの胸を締めつけた。
あの動画はきっと今頃会社の全社員に広まっているだろう。
あの遊佐課長と亜依子さんのスキャンダルだ。
誰もがうらやみ、そして祝福するだろう。
お似合いのカップルだと。お互いに相応しい相手に結ばれたんだと。
わたしは一体なんだったの。
ギブアンドテイクの雇用関係?
それすらもウソ。最終的に搾取されたのはわたしだけ。
わたしは、課長の言葉や行動にあっけなく騙されて、都合よく利用されただけだったの?
初めてこんなに人を好きになったのに。
初めて本当の恋を知ったと感じたのに。
結局わたしは、恋愛に疎い田舎娘でしかなかったの?
その夜は泣いて、翌日も泣き通して身体中の水分が目から出て行ったんじゃないかと思うくらい泣いた。
その間、ずっと裕彰さんからメールや電話がきていた。
けれど話す勇気が出なくて、しまいには電源をきってしまった。
そして迎えた日曜の朝。
頭も身体も朦朧としていた。
もう涙は出てこなかった。
ただに放心状態になって、なにもする気力がなくてベッドに転がっていた。
不思議なのが、こんな時でもお腹がすくということ。
食欲が出てきたのは、立ち直りはじめた証なのかもしれない。
けれども、せっせと料理を作る気にはなれなかった。
料理でつながったわたしと課長。
いろんな思い出が甦ってしまいそうで怖かった。
もう料理は作れないかもしれない。
そう思うとひどく悲しくなって、また泣いてしまった。
そんな感じで日曜の午後も終わりに近づこうかという頃、ふいに甘いものが食べたくなった。
こんな時、やっぱり癒してくれるのは甘いものだ。
とびきり甘いスイーツを好きなだけ食べて満腹になれば、疲れきった頭も回復するかもしれない。
約二日ぶりに、外へ出た。
とたんにぶるりと震える。今日はいつもより寒かった。
空を見れば、ちいさな白い欠片がふわりと落ちてきた。
手の平に落ちて、それは一瞬で溶け消える。
やっぱり、都会の雪はあっという間になくなってしまうんだな。
ちらほらと、舞うように降る雪は、まるで終わりを告げる寂しい紙吹雪のように見えた。
…おセンチだなぁ。
我ながらスバラシイ感性だ。
こんなわびしくじゃなく、もっともっと一杯降ればいいのに。
降って降って、このコンクリートだらけの灰色の街を真っ白染め変えてしまって、そして、全部…なかったことにしてくれればいいのに。
そうすれば、あとはしんと静まりかえる静寂が癒してくれるのに。
故郷の風景が恋しかった。
キンと産毛の先まで凍るような寒さを感じながら、あの真っ白な風景の中を無心で歩きたかった。
帰ろうか。
冬場に帰るのは飛行機も高いし天候のせいでダイヤが遅れたりするのでやめていた。
けれど…おばあちゃんが作ってくれた甘いお汁粉が無性に恋しかった。
寒い外から帰った後に食べると最高に美味しい、わたしのお家の味が…。
帰りたい。
帰ってそして、そのままずっといてしまいたい…。
そんなことを思いながら階段を降りようとした時だった。
わたしは立ち尽くした。
今一番会いたくない人物が、階段の下に立っていたから。
「…亜海…!」
裕彰さんが気づいて見上げてきた。
その顔は、イケメンが台無しってくらいに鼻も頬も真っ赤になっていた。
もしかして、ずっとここで待っていたの?
そんな考えがよぎったけれど、わたしは反射的に踵を返してしまった。
「待ってくれ、亜海っ!」
「いやっ!帰って!!」
ドアを乱暴に閉め、チェーンロックをかける。
ドンドン!と叩く音が聞こえた。
「亜海!どうして電話にも出てくれないんだ!?勘違いするな!あの動画はそういう意味じゃないんだ!」
「じゃあ、どうして黙ってたの!!わたし前からずっと知ってたんですよ、亜依子さんあの部屋に来ていたこと!」
沈黙が聞こえた
「だから…だから言い聞かせていたの。『好きになっちゃダメ』って、『課長みたいな人とわたしは恋なんかできない』って…」
涸れていたはずの涙が頬を伝った。
「ひどいですよ…信じさせといて…。こんなに好きにさせといて…あなたはやっぱり…意地悪です…」
「亜海…」
はっきりとした、声が聞こえた。
「亜海、今すぐここを開けて。抱きしめたい。キスしたい」
「……」
「俺は亜依子のことはなんとも思っていない。好きなのはただひとり、キミだけだ」
亜海。
言い聞かせるように、強く呼ばれた。
「愛してる。俺は親父のようにはならない。俺は、愛した女は最期まで愛し抜く。…だから、頼むよ亜海…俺を独りにしないでくれ…。気づいたんだ。キミに出会って、キミが来てくれるよろこびを知って、気づいてしまったんだ。俺はずっと寂しかったんだ、って…」
「……」
「俺はキミがいなければだめなんだ。どうしようもないくらいキミが必要なんだよ…。愛してる…。あの部屋は、独りで居るには広すぎるよ…亜海」
気づけば、わたしは玄関に腰を落としていた。
涙もいつの間にか止まっていた。
身体中の全ての機能が止まったような気がした。
甘い甘い苦しさに、胸がきつく締めつけられていて。
「明日、発表がある。俺と亜依子についてのことだ。亜依子の都合もあるから、どういう内容かはまだ言えないけれど…明日になれば、全てが判るから。俺の…キミへの永遠の愛も…」
足音が遠のいていく。はっきりとした、足取りで。
しばらくして、わたしはすっかり日が落ちて暗くなった部屋へ戻った。
部屋はいつの間にか冷え込んでいた。
かじかんだ指でベッドの隅に投げ捨てていたスマホの電源を入れた。
メールと着信件数が何行も連なっていた。
カーテンを閉めていない窓を見ると、夜空に舞った雪が暗い夜空を白く染めていた。