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あっ、と、常春《つねはる》が、引き留めるも、すでに遅し。
「あれ、これまた、難儀なこと。姫君、どうか、私《わたくし》どもの、牛車《くるま》を、ご利用ください。これは、急を要する。男車、女車など、どうか、お忘れくだされ、三条殿の姫君?」
絵巻物から抜け出してきたかのような、光輝く色男振りを、名一杯放出しながら、守近が、車へ向かって語りかけている。
野次馬は、突然現れた、公達中の公達、守近の立ち姿に見惚れ、老いも若きも、男も女も、ついでに、紗奈と一緒に来た、おばちゃん達も、ほおおおーーーと、感嘆の声を上げた。
纏うは、出仕帰りか、冠に略着の直衣──。表は萌葱 《もえぎ》、裏は紫。の、松重《まつがさね》。
表は松の葉の色を、裏は木陰を表す、季節を問わない色目だが、その奇を狙っていない合わせも、守近にかかると、なぜか、斬新に見えた。
今や、野次馬は、守近に釘付けになっている。
「あーーー、あたい、もう、だめ!」
守近の色気に、町娘達は、バタバタ倒れて行く。
「なんだ、たかだか、男の一人に……」
倒れるほどのものかと、悪態をつく男達も、その先の言葉なく立ち尽くしている。
「あー、兄様!みだりに、守近様を外へだしちゃーだめですよー!」
「あ、いや、紗奈《さな》よ、気がついた時には、もう……」
あー、あー、と、紗奈は、ぼやきながら、でも、今のうちです!と、守満《もりみつ》を、急かした。
「うん、なぜか、わからんが、野次馬の視線が和らいだ。確かに、今だ!髭モジャ!当家の車を此方へ寄せてくれ!」
かしこまりましたと、言いながら、髭モジャは、若の元へ走って行く。
「女房方、心細い思いをさせておりますが、どうぞ、暫く、ご辛抱あれ」
守近が、車へ向かって、甘い言葉をかけると、たちまち、野次馬から、はあーーーー、とため息が漏れる。
「いやあー、若い頃も、よかったよ、でもねぇー、なんてーの、今は、歳を重ねた色気ってやつなのかねえー」
「ああー、もう、たまんないねー、あたしも、あと十、若ければ」
おばちゃん達も、なんだかんだと、守近に見とれている。
「おや、ありやー、守満様じゃないかい?なんだよ、ご一緒だったのか!」
「いゃー!ついてるねー!親子二代、色男を見られるなんて!」
「だけどさー、童子検非違使じゃー、なんて、やってた頃も、可愛かったねぇ。この子は、将来有望だと、思ったら、まったくもって、期待を裏切らないときたっ!」
ほほほ、と、守近が、袖を口元に当てて、おばちゃん達の騒ぎに、鼻高々で笑った。
キャーと、黄色い声が上がり、場は、守近一色になっている。
「こ、これは、なんなのだ
?」
崇高《むねたか》が、目を白黒させていた。
「あー、崇高様、残念でしたねー、せっかくの、見せ場、守近様に、とられちゃった」
「い、いや、女童子殿、別に、野次馬を追い払うだけのこと、見せ場も何も……」
とはいえ、自分は何をしているのだろうかと崇高は思う。何がどうなって、往来で、荷車を引いているのだろう。そもそも、悪党を捕まえた、だけの話だったはずなのに……。すっかり、髭モジャに付き合わされ、もはや、大納言の使用人に等しくなっているのだが。
そんな、疑問を更に膨らませる、守近からの声が、かかる。
「おや、紗奈や、その者は?新しい裏方かい?」
「守近様!違いますよー!こちらは、検非違使!裏方と一緒にしちゃーだめですってー!」
「おや、これは、失態。で、なぜ、検非違使が、荷車を引いているのだろうか?」
「あー!それ、ほんと、なんでてすか?崇高様?」
うん、なぜに?と、守近が、崇高をじっと見る。
たちまちに、崇高の体からは、汗が流れ出る。
検非違使とはいえ、単なる下級職。崇高は、三位以上の、公達と名乗れる上級貴族と、この様に面と向かって話したことが、なかった。
何となくの流れから、共にいるが、それすらも、実におそれ多いことで、我に戻った崇高は、緊張のあまり、汗だくになっていた。
「いや、こ、これは、髭モジャを手伝い、買い出しに……」
「もしかして、内大臣様の御屋敷の皆様の為に、食材を?!」
紗奈が、発した、内大臣という言葉に、野次馬が食いつく。
すでに、例の火災の噂は、広がっているようで、やんや、やんやと、あやかしだ、琵琶法師だ、と、口々に、子細を語り合い、恐ろしや、恐ろしいやと、ざわめきが起こった。
「いや、それでねー、大納言家が、焼き出された、使用人の手当てを引き受けているんだよー」
「なかなか、できることじゃないよー」
「さすがは、守近様だねー」
と、おばちゃん達が、あたし達は、その手伝いさと、息巻き始め、またもや、ほおおおーーー!と野次馬から声が上がった。
「おや?私?この守近は、何もしておりませんよ?」
まーたまた、謙遜しちゃってー!この人は、と、往来に、おばちゃん達の笑い声が響いた。
「あ、あの、女童子殿、大納言様は、あのような……」
「ええ、あの様な方だから、もう、困っちゃうんですよねー、なんかあると、ひょこっと顔を出して、手柄をもってちゃうというか」
いつものことですと、紗奈は、けろりとしているが、天上人に等しい身分であるお方が、なぜに、おばちゃん、などと言いつつ、そして、野次馬とも、顔見知りなのか、崇高は、何がなんやらで、立ちすくんでいる。
その前を、誰かが、「また、あの人は!」と、愚痴りながら、走って行った。
「守近様、いい加減になさってください!それと、おばちゃん達も、止めてくださいよ!こんな、往来で、立ち話する身分の方じゃないんですからっ!!さあ!早くこちらへ!!」
常春が、我慢の限界を迎えたのか、守近の、袖をひっぱり、無理矢理、立ち退かせよう試みる。
「あれ、眉間にシワを寄せた、お付きの登場だ。私は、これにて」
言って、守近は、極上と言うべき笑みを浮かべると、常春に従い、馬に乗った。
たちまち、往来が沸いた。
「いやー、なんと、見事な乗り姿!」
「きゃ!素敵!」
あちこちから、上がる守近への声へ、当の本人はどうゆうつもりか、手などふって答えている。
まったく!と、常春の怒り声がして、馬は屋敷へ向かって進んでいった。