この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
「……ですから、イラスト発注の件はもう少し先方と、条件を詰めてから進める必要があるかと……」
日本最大級の電子書籍配信サイトと、世界中のユーザーから熱狂的な支持を集めるゲームなどの、コンテンツ流通事業を行っている企業、KARASAWAコーポレーション。
そのオフィスの一角に、電話を耳にあて険しい表情をした、葉山 恵里菜(30歳・女)の姿があった。
「……そうですね。トライアルを行って、こちらの要望通りに対応できるかどうか、見定めるのも一案だと思います」
時間は20時――。勤務時間はとっくに終わり、恵里菜の周囲の照明はほとんど落とされ、人影もまばら。 そんな恵里菜を迷惑顔で、遠巻きに眺める集団があった。
「いつまで、仕事する気? あたしたち、気をつかって帰れないじゃんね」
気合いの入った巻き髪女子が、ため息混じりに指で髪を巻く。
「っていうか合コン遅れる~」
ばっちりメイクと勝負服で武装した、キラキラ女子が唇を尖らせる。
「ねー、そーいえばさー、こっちひとり足りなくない?合コンセッティングしてくれた子が 増やして欲しいみたいなんだけどーするぅ?」
スマホをいじりながら気だるそうに話す、小動物系女子が巻き髪女子とキラキラ女子に目線を送る。
「ええ、最初に主導権をきちんと握って、制作をハンドリングしないと、最後の最後でコレじゃない感が出ちゃうので……」
「あれ、誘う?」
「無理無理! チーフ、30だよ!あの年で合コンは必死過ぎだって!」
「だよねー。あたしたちまで、同類に見られちゃうしー」
きゃっきゃとはしゃぐ女子達の笑い声が、薄暗いオフィスに響く中――。
「……分かりました。すぐに別のイラストレーターの候補を、 リストアップして提出しますね」
恵里菜はようやく電話を終えた。瞬間、女子達は羽でも生えたように、軽やかな足取りで駆け出した。
「お疲れ様で~す!」
巻き髪、勝負服、バッチリメイク、じゃらじゃらアクセの3人組は、甘く重たいコロンの香りを撒き散らしながら、恵里菜から遠ざかってゆく。
「お疲れ様……」
苦いものでも噛んだみたいな顔で、ぼそりと呟き、拳をワナワナと震わせる恵里菜。
(全部、聞こえてるっつうの!)
恵里菜は机に頭を乗せ、机をバンバンと叩いて、悔しさでビートを刻んだ。と――その時。
「ああ、みんな今から帰り?」
「きゃあ! 唐澤さん! お疲れ様でーす!」
エントランス付近で黄色い悲鳴があがった。
「いつも遅くまでご苦労様」
整った顔立ちにスラリとしたスタイル。端正な容姿だけでなく、気品のある立ち居振る舞いが印象的な男性が、女子達に笑顔を向ける。まるで物語の世界から抜け出てきたような、王子様を連想させる男性の名は唐澤 英次(26歳・男)。ここ、KARASAWAコーポレーションの御曹司である。
「唐澤さん。たまには飲みに連れてって下さいよぉ」
甘えた声を出し、英次にまとわりつく女子達。
「ごめんね、けっこう忙しくて」
英次はそれを笑顔でかわし、女子達の合間をすり抜けた。
「葉山さん。毎日、遅くまで大変ですね」
「……いえ、仕事ですから」
「唐澤さん、もう帰られるなら、 外まで一緒にいきましょーよー!」
「そうだね、じゃあ行こうか」
英次の返事に色めき立つ女子達は、再び彼を取り囲み、嵐の如く去って行くのだった。
「……なんだろう、このやるせない気持ちは。初の女性チーフだっておだてられ、最年少昇進っだってチヤホヤされたのは遠い昔の物語……。 でも実際はこれが現実……」
自分の机の上にドンと積まれた書類を眺め、再びため息を漏らす。
「パーティーに連れて行って貰えない私って、シンデレラっぽくない? って、シンデレラって何歳だったのかな?」
(30過ぎてちゃ無理だよな……。はぁぁ……久しぶりに行くかぁ)
「はい、いらっしゃいませ~!って、恵里菜さんかぁ……」
「なによ、私じゃダメなわけ?」
「いや~、ほら……オレって運命の出逢いを求めてるでしょ? だから愛に迷える子羊的女子が来たのかな~って!」
「秋人くんの都合とか知らないし……」
看板を掲げずに、ひっそりと佇み、心地よい音楽と時間を忘れさせるアンティーク調の空間で、しっとりとプライベートタイムを過ごせる隠れ家。 ダイニングバー『アストランティア』が、恵里菜の数少ない憩いの場だった。
「……秋人、失礼なこと言うな。一応客だろーが……」
「剛くん、フォローありがとう。でも、一応って言い方どうなの?」
「まったく、うちのスタッフがすみません。恵里菜さんに、すっかり懐いてしまってこの有様です」
「まぁ……別にいいんですけど」
「ふふっ、恵里菜さんならそう言ってくださると思ってました。 なんて……オーナーの私まで、お客様に甘えてはいけませんよね」
いかにもチャラい店員に、堅物そうな店員、それから微笑むだけで女性を落としそうなオーナー。 恵里菜は美しいがどこか残念な男達を眺めながら、カウンターにトンッと置かれたカクテル、シンデレラを口に運んだ。
「はぁぁ……やっぱ、ここはいいなぁ。 パーティーとか王子とか、私には向いてないわ」
「パーティー? 王子? それ、なんの話?」
「ううん、なんでもない! それより、いつものステーキセットよろしく!」
仕事のストレスからようやく解放された恵里菜は、指をビシッと立てて、この店自慢の肉料理を注文するのだった。そう――これは、シンデレラとは、100億光年以上遠い世界で呼吸する、働く女性の物語である。
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