この物語はフィクションであり、
実在の人物・団体とは一切関係ありません。
「はぁ……休みって、なんであっという間なんだろ。 また満員電車に揺られる毎日の始まりか……」
パリッとしたクリーンな白ブラウスに、ピンクパンツを合わせ、グレージャケットを華麗に羽織った恵里菜が、オフィスデスクにお気に入りのバッグをおろすと――。
「葉山くん、今日は予定通り、KARASAWAグループ幹部社員による現場視察があるから、 案内よろしく頼むよ?」
いつも恵里菜に仕事を押し付けてサッサと帰る、狸腹の部長が彼女の背中をポンッと叩いた。
「はい、補佐として、飯田くんに同行してもらいますので、 どうかご安心ください」
「飯田かぁ……なんかパッとしなくないかね?」
「パッとですか?」
「そうだ、香織くんを同行させよう。 そのほうが花があっていい。うん、決まりだな」
「いや、ですが既に飯田くんに段取りを……」
「大丈夫だって、小難しい話を聞かされるより、 若い子が笑ってるほうがずっといい」
「そう……ですか」
『すまんかったな、年食ってて』そんな言葉が喉元までせりあがっていたが、恵里菜はニッコリと微笑み、大学の後輩である、芳崎 香織(24歳・女)の机へと向かい、ことの成り行きを告げた。
「私が視察の案内ですか!?いいんですか……専門的な知識とか、 あんまりないですけど……」
男子の注目を集める自然な可愛さと、どこか守ってあげたくなるような、か弱さを持つ香織が、不安げに恵里菜を見あげる。
「むしろ専門的な感じはいらないんだってさ。ま、何かあったら私がフォローするし、 勉強がてら気軽にやってみよ?」
「……はい」
緊張した様子で香織が頷くと、生真面目そうな顔をした飯田が、恵里菜に向かって手を振った。
「視察団の方が、お見えになりました」
「こちらがゲーム事業部になります。ゲーム事業部では現在8本のソーシャルゲームを運営し、 海外でもクールジャパンとして注目を集めています」
白髪交じりの男性をゾロゾロと引きつれ、ゲームキャラのポスターが至るところに貼られたオフィスを練り歩く。 しかし、その瞳に興味の色はなく、むしろ理解できんといった呆れの色が見え隠れしている。
(ま……還暦前のオジサンに、 イケメンや萌えガールなイラスト見せても、 ピンとこないよね……)
視察とは名ばかりで、この後行われる夜の接待がメイン。そのことを理解している恵里菜は、いつものことだと割り切っていた。 しかし、そんな大人の事情を知らない香織は、自分の役目を果たす為、懸命に対応を続けていた。
「私達はユーザーの皆様に、新鮮な驚きと感動を提供する為に、 様々な取り組みを行っています……」
「ふーん、例えばどんな取り組みだね?」
幹部社員のひとりが、自然な雰囲気を装って、香織の肩に、そっと手を置く。それだけなら、まだ親しげと言えなくもなかったが、いかんせん身体と身体の距離が近い。
「キミ、この後の食事会も案内してくれるのかい?」
幹部社員はそう言って、香織の髪に指で触れた。
「えっ……いえ、私はその……」
(……セクハラじじいめ。仕事も視察もしないくせに、余計なことすんなってば!)
「必要でしたら、私がご案内致しますよ」
香織と幹部社員の間に身体をねじ込み、ふたりを引き離す。しかし、そんな恵里菜に、幹部社員が不満に満ちた眼差しを向ける。
「キミ、空気読めないの?」
『若い子がいいに決まってるでしょ?』瞳でそう告げる幹部社員が、再び香織に手を伸ばしかけた――その時。
「空気を読んでいるからこその対応ですよ」
英次の軽やかな声が、幹部社員の動きを封じた。
「え、英次くん……そうか、キミは今、 ここに配属されていたんだね」
「ご無沙汰しております、狩野専務。父がたまには顔を見せに来て欲しいと、 言っていましたよ」
「そ、そうか……では近いうちにぜひ」
30歳以上年が離れた英次に、頭があがらず、嫌な汗をかく幹部社員。そんなセクハラ男に、英次が耳打ちをする。
「ゲーム事業部は、現在200人以上在籍しています。誰がどこで何を見ているか分かりません。 専務が女性社員と親しげに接している様子を、どこの誰が勘違いして、社内の倫理委員会に通報するか分かりません。ですから……スキンシップはほどほどに」
「あ、ああ! 以後、気をつけるよ……」
(お、王子! カッコいいな!)
拍手を捧げたくなるが、グッとこらえる。恵里菜は騒動が落ち着くタイミングを見計らって、オフィスの案内を再開させるのだった。
仕事帰りの人々で賑わう、夜の銀座。
「……このアウターの、色違いあります?」
高級ブランドショップが集中して並ぶ、ショップストリート。その中でも最も格式高い店に、恵里菜の姿があった。
(なんで私が怒られなくちゃならないのよー!)
英次がセクハラ親父を撃退し、スカッと気持ちよく仕事を終えるはずだったが、恵里菜はあの後、狸腹の部長に呼び出され、小一時間も説教を受けていた。
(あのセクハラ専務が部長の先輩とか知らないし!面子を潰されたとかどうでもいいし!ってか、なんにせよセクハラするなよ!)
煮えたぎる思いに飲まれそうになった時は、買い物をして気持ちを静める。それが恵里菜のストレス発散方法だった。
「お客様、お待たせいたしました。こちらのアウターですが、ネイビーとグレーが御座いますが、 どちらに致しましょうか?」
「あ、じゃ……ネイビーでお願いします」
「ご試着は?」
「いいの、いいの! 自分の体型、分かってるんで」
「そう、ですか……。では、すぐにお包みしますね」
アウター片手にレジに向かう店員。恵里菜はその様子を目で追いながら、ふと、ショウ・ウインドウに飾ってある服に視線を向けた。
(あれ……可愛いな)
ヒラヒラ花柄、フェミニン系のワンピースと華奢なミュール。自分が愛用しているオフィスカジュアルなコーデとは、真逆な位置に存在する服を食い入るように眺めていると、隣に並んだ見知らぬ女性が、不意に話しかけてきた。
「ああいう服も、きっと似合うと思いますよ」
「ええっ!? ないないない! 私には無理ですよ!」
「そうかなぁ、葉山さんって……フェミニン系も、 けっこういけると思うんですけどね」
「私……背が高くて肩幅あるんで、ああいうヒラヒラなの着ると、面白いことに……。 って、どうして私の名前を?」
驚いて女性のほうに体を向ける。が、そこには声をかけてきた女性の姿はなく、紙袋を手に持った店員がいるだけだった。
「今の女の人は!?」
「ああ……よく来られる方なんですよ。 とてもお綺麗ですよね。モデルさんなんでしょうかね?」
店員と肩を並べ、ショウ・ウインドウの向こうを、上品な足取りで歩く女性を見つめる。
「…………」
柔らかな眼差し、透き通るような陶器肌。黒ライダースジャケットと白マキシスカートを、見事に着こなす彼女は恵里菜にとって、まったく見覚えのない人物だった。しかし、恵里菜の胸は早鐘を打つように高鳴っていた。
(あの人、絶対……会ったことがある)
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