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第十二章 ラディスへの帰還
第一話 この道の先へ
朝の森は静かだった。
木々の隙間から差し込む柔らかな陽光。
鳥のさえずり。
湿った土と草の匂い。
月の里を出発してからまだ数分。
5人は細い獣道を進んでいた。
昨夜まで自分達がいた場所が、まるで夢だったかのように静かな森。
だがしばらく進んだところで、ふいに視界が開けた。
「……あれ?」
先頭を走っていたハヤトが声を上げる。
細い獣道の先。
そこには、ミストア村から南へ続く土道が伸びていた。
5人は一度馬を止める。
「……え?」
ダイチが辺りを見回した。
「ここ、もう普通の道やん」
シュンタも不思議そうに首を傾げる。
「おかしくない?」
「ん?」
「いや……里に行く時、この道まで来るの、もっと遠かったやろ?」
そう言われ、全員が振り返る。
だがそこにあるのは、ただの深い森。
今通ってきたはずの獣道は、どこにも見当たらなかった。
ジュウタロウが静かに目を細める。
「……確かに」
馬から降りることなく、森の奥を見つめる。
「今来た道が……全く分からなくなっている」
その言葉に、ハヤトも静かに森を見る。
「きっと、こうやって迷い込んだ人達がいたんだろうな」
「月の里へ辿り着いた者達」
ハヤトは穏やかに続ける。
「そして、帰ってきた後に話したんだろう」
誰もいない森。
満月の夜だけ現れる道。
白い集落。
月の一族の隠れ里。
「色んな噂話として、残っていったのかもしれない」
ジントは静かに森を振り返った。
もう見えない。
けれど確かに、あの場所はそこにある。
新しくできた帰る場所。
その感覚が、胸の奥に残っていた。
しばらく沈黙した後、ハヤトが前を向く。
「さて」
その声に、全員が顔を上げる。
「この後だが……ラディスへ向かおうと思う」
「ラディス!」
ダイチの声が弾む。
ぱっと表情を明るくし、後ろに乗るジントを見る。
ジントも驚いたように目を瞬かせた。
そして二人は顔を見合わせる。
「……帰るの、二年ぶりやなぁ」
ダイチが嬉しそうに笑う。
ジントも、ゆっくり目を細めた。
「……みんな、元気かな」
懐かしさが滲んだ声だった。
ーーラディス。
薬屋。
いつもの街並み。
当たり前だった日々。
今までとは少し違う気持ちで、その場所を思い出す。
「ラディスまでの道は、この野道をひたすら南へ進むだけだ」
ジュウタロウが周囲を見る。
「ただし」
視線の先には、どこまでも続く広大な森。
「この森を抜けなければならない」
深い森。
人の手がほとんど入っていない場所。
魔物。
そして、凶暴な獣。
商人や旅人達は危険を避け、この道をあまり利用しない。
「明るいうちに、できるだけ進もう」
ハヤトが声を掛ける。
5人は頷いた。
そして再び馬を走らせる。
木漏れ日の中を。
南へ。
故郷へ向かって。
-–
流れる景色は穏やかだった。
月の里を出たことで、張り詰めていた空気も少しずつ解け始めている。
「いや〜、久々に平和やなぁ」
先頭近くを走るシュンタが大きく伸びをした。
「白霧山から毎日命懸けやったしな〜」
「油断は禁物だ」
ジュウタロウが周囲を警戒しながら静かに返す。
「分かっとるって」
シュンタは苦笑した。
その少し後ろ。
ダイチの馬に同乗しているジントは、木漏れ日の向こうをぼんやり見つめていた。
「……ラディス、変わってるかな」
ぽつりと呟く。
「多少は変わっとるやろなぁ。でも店のおばちゃんとか絶対変わらんで」
ダイチが笑う。
「あ〜、あのパン屋のおばさん?」
「せやせや! いっつもオレにサービスしてくれんねん」
「ダイチだからじゃない?」
「え、そうなん?」
真顔で振り返るダイチに、ジントが小さく吹き出した。
その時だった。
――バサバサッ!!
突然、森の奥から鳥の群れが一斉に飛び立つ。
5人の表情が変わる。
「……!」
ハヤトが片手を上げ、馬を止めた。
森が静まり返る。
風の音すら遠い。
そして
「……なんか聞こえへん?」
シュンタが眉をひそめた。
微かに、遠くから。
ーーガタン!!
何かが激しく倒れる音。
続いて馬の嘶き。
そして。
「うわぁぁぁぁっ!!」
男の悲鳴。
「行くぞ!」
ハヤトの声と同時に5人は馬を蹴った。
土埃を巻き上げながら土道を駆け抜ける。
そして道の先。
少し開けた場所へ飛び出した瞬間――
「……っ!」
ジントが息を呑んだ。
荷馬車が横転していた。
木箱や布袋が周囲へ散乱している。
破れた袋から乾燥食品や薬草が零れ落ちていた。
馬は暴れ、繋ぎが外れかけている。
そしてその荷馬車の前にいた、
巨大な獣。
「……あれは、まさか……!?」
ダイチが低く呟く。
黒に近い灰色の毛並み。
木漏れ日を反射する鋭い牙。
人間など簡単に噛み砕けそうな顎。
そして何より、異常なほど巨大だった。
普通の虎の倍近い体躯。
筋肉の盛り上がった前脚が地面を掻くたび、低い唸り声が森を震わせる。
――バルグ。
森の奥深くに棲むと言われる危険な肉食獣。
滅多に人前には現れないはずの存在。
その巨体の前で、3人の男達が必死に後ずさっていた。
若い商人は腰を抜かし。
眼鏡の男は震える手で短剣を構え。
初老の男が必死に叫ぶ。
「結界石はどうした!? 早く光を――!!」
「だ、駄目です!! さっき荷台から……!!」
若い男の声は恐怖で裏返っていた。
次の瞬間。
バルグが低く身を沈める。
獲物へ飛び掛かる寸前の姿勢。
「――っ!!」
森の空気が凍り付いた。
「ハヤト!!」
ダイチが叫ぶより早く。
――ダッ!!
ハヤトの馬が前へ飛び出した。
「下がれ!!」
太陽属性の光が一閃する。
抜き放たれた大剣が地面を薙ぎ、
バルグの目前へ強烈な衝撃を叩きつけた。
ドォォォン!!
土煙が舞い上がる。
「グルルルル……!!」
バルグが低く唸り、金色の目をハヤトへ向ける。
その威圧感に、商人達が息を呑んだ。
「な、なんだあんたら……!」
「話は後だ!」
ハヤトは剣を構えたまま叫ぶ。
「シュンタ、馬を落ち着かせろ! ジュウタロウは右へ回れ!」
「了解〜!」
シュンタは素早く馬から飛び降り、
暴れる荷馬の方へ駆ける。
同時にジュウタロウが森の影を滑るように移動した。
バルグは本能的に囲まれつつあることを察したのか、
低く姿勢を落とし、牙を剥く。
「……殺気が強いな」
ジュウタロウが静かに呟く。
「でも、魔物じゃない」
ジントはバルグを見つめた。
瘴気は感じない。
ただ、異常なほど空腹と苛立ちを感じる。
森の奥から追われ、縄張りを失った獣のような――そんな気配。
「ダイチ」
ジントが小さく呼ぶ。
「……うん。できれば傷つけたくないな」
ダイチも同じことを感じ取っていた。
次の瞬間、バルグが再び飛び掛かった。
狙いは、商人。
「ひっ……!」
若い商人が悲鳴を上げる。
だが
バチィッ!!
青白い雷光が森を裂いた。
「こっちや!!」
ダイチが真正面から飛び込む。
雷を纏った拳が地面へ叩き込まれ、
激しい衝撃が土を爆ぜさせた。
轟音に驚いたバルグが咄嗟に跳び退く。
「グァァッ!!」
その隙にダイチが商人達の前へ立った。
「大丈夫か!?」
「た、助かった……」
初老の商人が震えながら頷く。
一方、後方ではシュンタがリュートを奏でながら荷馬を宥めていた。
「よーしよし、怖かったなぁ〜」
暴れていた馬も、シュンタの穏やかな声と小さな演奏に少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「……器用だな」
ジュウタロウが感心したように呟く。
「モテる男は動物にも好かれんねん」
「関係あるのか、それ」
そんな軽口の最中でも、バルグはなお唸り続けていた。
だが先程よりも動きが鈍い。
荒い呼吸。
僅かにふらつく脚。
ジントは眉をひそめた。
「……怪我してる」
「え?」
ダイチが目を向ける。
よく見ると、バルグの後ろ脚に深い裂傷が走っていた。
しかも新しい傷ではない。
膿みかけ、まともに狩りもできない状態だ。
「だから人里近くまで……」
ジントが呟く。
森で獲物を追えなくなっていたのだ。
ハヤトは静かに剣を下げた。
「……無理に追い払えば、さらに暴れるかもな」
「せやなぁ」
シュンタも珍しく真面目な顔になる。
「どうする?」
ダイチが振り返る。
その時だった。
ジントがゆっくり一歩前へ出た。
「ジント?」
ダイチが目を見開く。
だがジントは静かにバルグを見つめたまま、小さく息を吐いた。
巨大な獣はなお低く唸っている。
金色の瞳には警戒と怒り。
けれどその奥にあるのは、明らかな苦痛だった。
「……大丈夫」
ジントはゆっくり両手を下ろした。
刺激しないよう、敵意を見せないよう、そっと距離を詰める。
「お、おい!? 危ねぇ!!」
眼鏡の商人が叫ぶ。
だがハヤトが片手で制した。
「待て」
ジントの表情を見ていた。
恐怖ではない。
憐れみでもない。
ただ、傷付いた生き物へ向ける静かな眼差し。
バルグが牙を剥く。
「グルルル……!」
だがジントは止まらない。
「……痛かったね」
小さな声。
その瞬間。
バルグの耳が僅かに動いた。
森の風が揺れる。
ジントの手に、淡い銀色の光が広がっていく。
月光のような優しい輝き。
商人達が息を呑んだ。
「な、なんだあれ……」
初老の商人が震える声で呟く。
ジントはそっと片手を伸ばした。
「少しだけ、我慢して」
淡い光がバルグの傷口を包み込む。
すると
「…………!」
バルグの身体がびくりと震えた。
警戒して後退ろうとする。
だが、傷口から広がっていた痛みが少しずつ消えていく。
膿んでいた裂傷が、ゆっくり閉じ始める
やがてバルグの唸り声が止んだ。
森が静まり返る。
聞こえるのは風の音だけ。
巨大な獣は信じられないものを見るように、自分の後ろ脚を見下ろしている。
ジントも少し驚いたように目を瞬かせた。
「……こんな大きな傷も治せるんだ」
以前より、確かに力が強くなっている。
月の里での出来事を経て、ジントの月属性能力はさらに成長していた。
バルグはしばらく動かなかった。
やがてゆっくり顔を上げる。
金色の瞳と、黒い瞳が真っ直ぐにぶつかった。
数秒、静かな時間が流れる。
そして――
「……グル」
低く短く鳴くと、バルグはゆっくり身を翻した。
そのまま森の奥へ歩き出す。
巨大な身体が木々の間へ消える直前。
一度だけ振り返った。
まるで礼を言うように。
次の瞬間には、もう姿は見えなくなっていた。
静寂が辺りを包む。
誰もしばらく動けなかった。
そして
「……はぁぁぁ〜〜〜っ!!」
シュンタが力尽きたようにその場へ座り込む。
「寿命縮んだわ!!」
「俺も今かなりヒヤヒヤした」
ダイチも苦笑した。
「普通あんなのに近付けねぇよ……」
眼鏡の商人が呆然とジントを見る。
初老の商人も目を丸くしていた。
「お前さん……まさか、月属性使いか……?」
ジントは少し困ったように笑った。
「えっと……まあ、そんな感じです」
すると若い商人が突然目を輝かせる。
「すげぇ……! バルグを追い払った……!」
「いや、追い払ったというか……」
「しかも治したよな!? あれ治癒術か!?」
勢いよく詰め寄られ、ジントが少し後ずさる。
その横へダイチが割り込んだ。
「まあまあ、ジント困っとるやろ」
「す、すまん!」
若い商人は慌てて頭を下げた。
そんな様子を見ながら、ハヤトは散乱した荷物へ目を向ける。
「……まずは荷馬車を立て直すか」
「あっ、はい!!」
商人達もようやく我に返ったように動き始める。
森の中に少しずつ穏やかな空気が戻っていった。
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みぅです🤍🥀 第30話「この道の先へ」、読み終えました。 月の里を出て、静かな森の中の旅が始まったかと思ったら…バルグ襲撃で一気に緊張が走りましたね。でもジントが「痛かったね」って傷を癒すシーン、すごく優しくて胸がじんわりしました。怪我をして追い詰められた獣だからこそ、敵対せずに治す選択をするジントの優しさが光ってました。 ラディスへ帰る道、仲間たちの何気ない会話の温かさも好きです。次が楽しみです🌙