テラーノベル
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放課後の教室は、夕方の光が斜めに差し込んでいた。
窓際の机に、遥はひとり腰をかけていた。
黒板には、昼間の授業の残り――「二次関数」の文字が、薄く消え残っている。
指先でそれをなぞりながら、ぼんやりと思う。
(どこで、間違えたんだろう)
日下部とは、言葉を交わしていない。
笑いかけても、頷かれて終わる。
それでも怒っているわけじゃない。
だからこそ、遥は余計に分からなかった。
どうすれば、彼の沈黙の意味を理解できるのか。
「……また反省中?」
不意に背後から声がした。
振り返ると、蓮司がドアにもたれて笑っていた。
ポケットに手を突っ込み、足で軽く床を鳴らす。
いつものように、悪びれない笑み。
「何しに来た」
声は低く、乾いていた。
「別に。ただ、お前がまた“間違えた顔”してるから」
「……」
「当たってるだろ?」
蓮司は机の上に腰を乗せ、遥の顔を覗き込んだ。
「なぁ遥。お前さ、まだわかってねぇんだよ」
「何を」
「人がどこを触られたら壊れるかってこと」
笑いながら言う声は、どこまでも穏やかだった。
遥は息を飲んだ。
胸の奥で何かがざらりと剥がれる。
「日下部が怒った理由、ほんとにわからねぇのか?」
「……俺が、親のことを……」
「そう。それだ」
蓮司は指を鳴らした。
「“親”ってのは、あいつにとっちゃ地雷そのものだった。
それをお前は――無理やり言わされたとはいえ、踏んだんだよ。正面から」
遥の唇が震える。
「俺は……そんなつもりじゃ」
「だろうな」
蓮司は頷く。
「お前はいつだって“そんなつもりじゃない”。
でも結果的に、誰かを壊す。守るつもりで、斬る側になる」
言葉が喉の奥に突き刺さった。
(まただ)
何度も繰り返してきた、同じ失敗。
優しさが誤解に変わり、誤解が誰かの傷になる。
その連鎖を、蓮司は見透かしていた。
「なぁ、遥」
蓮司の声が少し低くなった。
「お前の“守る”ってさ……相手を見てないんだよ。
自分が苦しくならないために、動いてるだけだ」
「ちがう……俺は」
「そう思いたいだけだ」
蓮司の笑みがゆっくりと消える。
「お前があいつを守りたかった? 笑わせるな。
お前は“裏切らない自分”でいたかっただけだろ」
教室の空気が、一瞬で冷たくなった。
遥の喉がかすかに鳴る。言葉が出ない。
蓮司は机から降り、立ち上がる。
「なぁ、いいこと教えてやるよ」
「……」
「人間ってのは、“守られた”って感じるときより、“守られて壊された”ときの方が、よく覚えてるもんだ」
微笑を残したまま、蓮司はドアを開けた。
夕陽の影が伸びて、遥の机を飲み込んでいく。
教室に残ったのは、チョークの粉と、耳の奥で反響する声だけだった。
“守るつもりで、壊す”
――その言葉が、心臓の奥で何度も反芻された。
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