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第14話 『お菓子泥棒あらわる』
その日の猫又亭は、夕暮れの匂いと一緒にゆっくりと開店した。
カラン、と軽やかな鈴の音。
扉の向こうから吹きこんだ風に、壁に貼られた季節限定メニューが揺れる。
マスターはカウンターの奥で、焼き立てクッキーを網に移していた。
バターの甘い香りが店内にふんわり漂い、まさに“誘惑の匂い”.
「ふう、今日もよく焼けた」
マスターの耳がぴくりと動いた瞬間──
カサッ……。
奥の棚の方から、微かに何かが動く音がした。
「ん? ネズミじゃないよねえ……」
とつぶやいた矢先。
――ドンッ!!
すごい勢いで棚が揺れ、店内に小さな影が飛び出してきた。
「にゃっ!?」「うわっ!?」
マスターが驚いて身を引くと、テーブルの上にふわりと着地したのは──
小さな茶色のクマの子だった。
しかも、両手いっぱいにクッキーを抱えている。
「……キミ、何してんのさ」
クマの子は丸い目でマスターを見つめ、もきゅ、と口を動かした。
「……お、おかし……」
「いや、持っていこうとしてたよね? 完全に現行犯だよ?」
クマの子は肩をすくめ、しゅんと耳を垂らした。
「ご、ごめんなさい……でも、ひとつだけ……」
「ひとつどころじゃないね。その腕みてごらん?」
ぎゅうぎゅうに抱えたクッキーを指摘され、クマの子はさらに萎れる。
「お腹すいてたのかい?」
少し間をおいて、クマの子はこくこくとうなずいた。
「ぼく、森からひとりで来たの。家族みんな冬眠しちゃって……
ぼくだけ、眠れなくて、お腹がずっとグーグーで……」
その言葉に、マスターは目を細めた。
「そうかい。だったら泥棒しなくてもいいんだよ。
ここは“お腹がぺこぺこなお客さん”も歓迎だ」
そしてマスターはクッキーを取り返すことなく、逆にそっとクマの子をカウンター席に座らせた。
「ほら、これ。あったかいココア。特別甘くしてあるやつだよ」
クマの子は両手でマグカップを抱きしめると、
ふうふうしながら一口飲んだ。
「……あったかい……」
「そうでしょ? クッキーも一緒に食べな」
クマの子はゆっくりとかじり、その瞬間、ぱあっと顔が輝いた。
「おいしぃ……!」
目をキラキラ輝かせ、今にも飛んでいきそうな勢いだ。
マスターは笑いながら、厨房で新しいクッキーを焼き始めた。
「そんなに気に入ったなら、手伝い賃としてひとつ仕事してもらおうかな?」
「え、しごと?」
「うん。焼きたてクッキーが冷めるように、“ふーふー係”。
やってくれる?」
クマの子は胸を張って元気よく答えた。
「やる!!」
その晩、猫又亭はいつもより甘い香りに満ちていた。
クマの子の「ふーっ、ふーっ」という真剣な息吹と、
マスターのくすくす笑う声が重なって、どこか幸せな音色を奏でていた。
そして閉店間際。
クマの子は満腹のお腹をさすりながら言った。
「ねぇマスター……ぼく、また来てもいい?」
「もちろん。今度は泥棒じゃなく、お客さんとしてね」
クマの子は満面の笑みでうなずいた。
月明かりに照らされながら、ぽてぽてと帰っていく後ろ姿。
その手には、猫又亭特製“星クッキー”の袋が揺れていた。
――今日も猫又亭はまったり営業中。
お菓子泥棒は、ちょっとだけ甘やかされた。