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翌朝。
洞窟の天井は暗いままだ。朝なのか夜なのか、見上げただけでは区別がつかない。松明の火だけが揺れている。
オットーが大口のあくびをしながら寝袋から這い出てくる。背中が鳴りそうなほど伸びをする。
「ふぁ~……よく寝たわい……」
その向こうで、ダリウスは慣れた手つきでフライパンを操っていた。
じゅう、とベーコンが音を立てる。脂が弾け、匂いが湿った空気を押しのけた。
「——飯ができたぞ!」
焦げ目のついたトーストに、厚めに切ったベーコンがどっしりと乗る。
とろけたチーズが熱で膨らみ、端から垂れた。
メープルシロップは惜しまず回しかける。甘い匂いが肉の香りに絡み、胃が勝手に動く。唾が溜まり、飲み込む音が自分でも分かった。
「お、出た! ダリウスの飯!」
オットーが子どものように駆け寄ってくる。足元が軽い。
一方、エドガーはいつもよりずっと入念に歯を磨いていた。顔が近い。歯ブラシの往復が止まらない。
「……………」
毛先がミシミシ鳴りそうな勢いだ。
ダリウスは目線だけを逸らし、パンを皿に並べる速度を変えない。
(昨日、ミラに“口移し”でポーション飲ませてもらった件が……
完全にトラウマになってるな……)
「ダリウスのご飯が冒険の醍醐味ですね」
エドガーは歯磨きを終え、何事もなかった顔で席に着いた。胸を張り、喉を一度鳴らす。さっきまでの集中は跡形もない。
ミラはたまらずかぶりついた。
「んーーー!!」
歯が最初に受け止めたのは、表面だけかりっと乾いたトーストの軽い抵抗だった。そのすぐ後に、厚切りベーコンがぶり、と跳ね返す。柔らかいだけじゃない、噛むたびにちゃんと歯を押し返してくる弾力。その奥から熱い脂がじわっとほどけ、舌の上をぬるく甘く滑っていった。そこへ塩気の強い肉汁と、とろけたチーズのまろさが重なり、最後にメープルシロップの濃い甘みが全部を包む。甘いのに、しょっぱい。しょっぱいのに、また甘い。噛むたびにベーコンの旨みが前に出て、脂のコクが遅れて追いかけてくる。
ミラは頬を押さえ、目をきらきらさせた。口の中が幸せでいっぱいになって、しばらく次の言葉が出てこなかった。
「おかわりもあるからな」
ダリウスはパンを皿に並べながら言う。
「昔からダリウスがご飯当番だったの?」
ミラがトーストを口に詰め込み、頬を膨らませて尋ねる。
「一番うまいからな。器用なんだよ、ダリウスは」
オットーはトーストをかじりながら答える。パンくずがひげに付く。
「お前らが料理下手すぎるだけだ」
ダリウスはコーヒーをすすりながら溜息をつく。湯気の向こうで目を細めた。
ミラは微笑んだ。
「私もね、ダリウスのスープ、一番好き。
飲むとね……“心がぽわっ”てなるの」
ダリウスは視線を逸らし、コーヒーカップを置いた。置く音が小さく鳴る。口元だけが少し緩んでいる。
「よし!」
ミラはパンを飲み込み、拳を突き上げる。
「食べ終わったら出発だね! レッツゴー!」
ダリウスは顔を戻し、静かに言った。
「……いや、ここで二日休もう」
ミラの手がぴたりと止まった。スプーンが宙で止まる。
「えっ、なんで?」
エドガーは首を回し、肩を押さえた。指先が力なく離れない。
「昨日の戦闘で……身体がバキバキでしてね……」
オットーは腰をさすりながら乾いた笑いを漏らす。
「俺も腰がやばい。ミラ、女神の加護かけてくれんか……?」
ミラの眉が上がり、視線が二人の間を往復する。
「い、いいけど……なんで二日も……?」
ダリウスは箸を置き、真面目な顔で言った。
「いいかミラ……
おじさんの身体はな——筋肉痛が……遅れてくる」
間が空いた。
「ぷっ……」
ミラが吹き出し、ダリウスの腕を軽く叩く。
「またまた~! 筋肉痛なんて翌日に来るもんだよ!」
エドガーは深く息を吐き、真顔のまま言った。
「残念ながら……現実は残酷なんですよ」
「え……?」
ミラがきょとんとしたまま固まる。
オットーは遠くを見つめ、腰に手を当てて呟いた。
「俺も三十過ぎた頃からだ……
最初は“魔物に呪われたのか”って本気で思ったからな……」
ミラの表情がゆっくり崩れる。口が開き、まばたきが止まる。
「そんな……筋肉痛って……遅延配送されるの……?」
ダリウスは肩をすくめ、口元を少し緩めた。
「まぁでも昨日の戦闘で痛感したよ」
エドガーも頷く。頷いた拍子に肩がまた痛んだのか、眉が一瞬だけ寄る。
「えぇ……たかがゴブリン数十体。
昔なら何の苦もなく捌けたはずなんですが……」
オットーは腕を組み、言葉を続ける。息が一度詰まり、吐き直す。
「今はペース配分を少しでも間違えれば……そのまま崩壊だ」
ダリウスはふっと笑った。笑いは短い。
「まぁ……三百歩ずつの冒険ってとこだな」
オットーが鼻で笑い、エドガーが肩をすくめる。
ミラはパンの端をちぎり、口に運ぶのを忘れて手元で止めた。
話の途中で、ダリウスがもう一枚ベーコンを焼き足した。鉄板の音がして、匂いが増える。
休むと言い切ったあとも、手は止めない。
*
朝食を片付けながら、ミラはそっとオットーの背に手を当てていた。
淡い光が指の隙間から漏れ、オットーの腰が少しずつ伸びる。
「おお……効いてきた……! 本当に助かるぜミラ……」
オットーは腰を伸ばし、息を吐いた。声が軽い。
その様子を見ながら、エドガーが呟いた。
「……ミラは、生まれつき女神の加護を持っていたんですね。」
オットーが当然のように頷いた。
「だよな? 羨ましいぜ。俺も欲しかったぜそんな才能」
ミラはさらりと言った。
「違うよ。神学校に通ってるの」
「……!?」
「……ッ!?」
エドガーとオットーが固まった。目だけが動く。
ダリウスはコーヒーを飲みながら言う。声は平らだが、カップを置く動きが丁寧になる。
「ミラは神学校で主席なんだぞ」
ミラは胸を張って付け加えた。
「しかも特待生で学費も無料なの」
エドガーとオットーの視線が、ゆっくりとダリウスへ向く。
ダリウスは慌てて手で“その話はするな”とジェスチャーする。ミラは気づかないふりでにこにこしている。
ダリウスは強引に話題を切り替えた。
「そ、それより……誰か一旦、下の階層へ行ってマナポーションを買ってきてくれないか?
エドガーが予想以上に使うと思う」
エドガーは肩を落としつつも受け入れた。
「味が苦手なんですが……仕方ないですね」
オットーは腰を伸ばし、明るい声で言う。
「よし、俺が行くぜ。ミラのおかげで腰も軽いしな!
ミラ、ついてきてくれるか?」
「わかったわ!」
ミラは元気よく頷く。
エドガーも表情を緩めた。笑った拍子に頬が引きつり、すぐ戻る。
「助かります。……身体中が痛くて、座ってるだけで辛いんですよ」
ミラはふと首を傾げた。
「でも……下の階層まで魔物は出ないの?」
ダリウスはミラへ視線を向ける。
「安心しろ。魔物には縄張りがあるからな。
昨日倒したルートはしばらく出てこないよ。安全だ」
「そっか。じゃ、行ってくるね!」
ミラは軽く手を振り、オットーと共に洞窟の奥へ消える。
二人の足音が小さく遠ざかり、野営地にはコーヒーの匂いだけが残った。
*
市場は今日も混雑していた。
コボルトが香草を売り、オークが肉を焼き、スライムが掃除用ジェルを路肩で売っている。
ミラとオットーは瓶を袋に詰め、口を縛って背負い直した。
帰り道の通路は暗い。松明の間隔が広く、影が濃い。
ミラは鼻歌を歌いながら歩く。オットーは袋を提げたまま、足が重い。
「…………」
「~♪」
鼻歌が石壁で反響する。
オットーは口を開いたまま閉じ、もう一度開いた。
「ミラ……」
「ん?」
「言おうかどうか……迷っていたんだが」
ミラは一拍置き、少し目を丸くした。
次の瞬間、笑う。
「神学校のことよね?」
「!? 知ってたのか!?」
オットーが本気で驚いて目を見開く。
ミラは肩をすくめ、少し照れたように言う。
「学校の友達と話してるうちに自然にね。
入学するのに“お布施”がいるんでしょ?
立派な家が建つくらいに」
言い終えてから、ミラは口の端を指で拭った。鼻歌が止まる。
オットーはゆっくりミラの顔を見つめた。足が一歩遅れる。
「ああ……そうだな。
そのことは、ダリウスには」
ミラは前を見たまま言った。歩幅を変えない。
「言わないよ。
気づかないふりしてるの。
……その方が、ダリウス気を使わないから」
オットーは言葉を失い、頭をかいた。指が髪に引っかかり、乱れる。
「……そうか。
悪かったな、野暮なことを聞いた」
ミラは首を横に振り、笑った。笑いが小さい。
「ううん。聞いてくれてありがとう」
足音が二つ分、並んだ。
ミラの足は軽い。オットーの足は重い。
どちらも止まらない。
*
三階層、野営地。
簡易テーブルの上にコーヒーが湯気を立てていた。香りが広がり、岩の冷気に負けずに残る。
エドガーはカップを軽く傾け、ダリウスの横顔を見る。
「……いくらしたんですか? お布施という名の入学金は?」
ダリウスはコーヒーを口へ運び、飲み込んでから指を四本立てた。目は逸らさない。
エドガーが盛大にむせた。
「ごほっ……!?
予想以上でした。
引退した時のお金、それから冒険者に復帰したお金……それだけでは到底足りないですよね?」
ダリウスは薄く笑みを浮かべた。笑いは短い。
「まぁ、借金を少しな」
エドガーは長く息を吐く。肩が落ち、目の奥が少しだけ柔らかくなる。
「……あなたらしいですね。
ミラには言わないつもりなんですね?」
ダリウスはカップの黒い表面を見つめたまま頷いた。
「あぁ……。
でも、多分ミラも気づいてる」
エドガーが少しだけ驚いてダリウスを見る。
「では……なぜ?」
ダリウスはしばらく黙った。
指先がカップの取っ手を撫で、離れる。
「ミラは……俺が気を使わないように、気遣ってくれてる。
だったら、俺もミラの優しさを無碍にするわけにいかないだろ」
言い終えてから、ダリウスはコーヒーをもう一口飲んだ。喉が鳴る。
エドガーは目を細め、呆れ顔で笑った。
「……あなたたち、もう親子以上に親子ですね」
遠くから明るい声が響いた。
「おーい!」
ミラが両手をぶんぶん振りながら帰ってくる。
袋が揺れ、中の瓶がぶつかって音を立てた。
ダリウスは立ち上がり、軽く背伸びをした。腰が鳴りそうになって止める。
「さぁ……あいつらにも, 美味しいコーヒーいれないとな」
ダリウスはポットを手に取り、火へ近づいた。手首が自然に動く。
湯気が上がり、匂いがまた濃くなる。
#魔法