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#ハッピーエンド
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ダリウスたちは、洞窟内を一歩ずつ進んでいた。靴底が湿った砂利を踏み、ぎゅ、と鳴る。
三階層の戦闘の感触が足裏に残ったままだ。少しでも気を抜けば転ぶ。その感覚が離れない。
わずかな判断の遅れで死ぬ。
ひとりが倒れれば、全員が倒れる。
ダリウスは歩幅を小さくし、呼吸を整えながら進む。エドガーは魔導書を胸に抱え、虫眼鏡のケースを指で確かめる癖が抜けない。
オットーは腰に手を当てたまま歩き、痛みの少ない角度を探している。ミラは遅れないように、三人の背中を順番に見た。
*
やがて視界が一気に開けた。
洞窟広間。
天井は闇に溶け、松明の光が届かない。
どこからともなく、ごぉお……と低音が響く。床の砂がわずかに震え、足裏に伝わる。
前方に巨大な扉があった。二十メートル近い。表面は黒ずみ、金具の部分だけが鈍く光る。
扉の隙間から、湿った空気とは別の匂いが漏れてくる。鉄。獣。焦げ。混ざっている。
「来たな……」
ダリウスは喉を鳴らし、剣の柄を確かめた。握り直した指が汗で滑る。
「えぇ……」
エドガーは静かに返す。言葉は平らだが、虫眼鏡を持つ指先がわずかに震えている。
「面倒くせぇ……どう見てもボス部屋だ」
オットーは鼻をこすりながら言った。声が低い。
天井から一滴、水が落ちた。
ぽちゃん、と耳に届く。ダリウスの胸が強く波打つ。ミラが息を止める。
「みんな、一旦……野営しよう」
ダリウスは声の調子を変えた。早い呼吸を抑え込むように。
「うん。じゃあ……結界、張るね」
ミラが微笑み、胸の前で両手を組む。淡い光が広がり、薄い膜になって四人を囲んだ。松明の揺れが少しだけ歪む。
「助かる。……よし、荷を下ろすぞ」
*
テントが設置され、焚き火が灯る。火が爆ぜるたび、影が壁を滑る。
四人は簡易テーブルを囲んだ。ランプの橙色の光が、疲れの浮いた頬を照らす。
「コンラートの話では……巨大モンスター、だったな」
ダリウスは水を飲み、喉を鳴らしてから言った。
「えぇ。さすがにいきなりドラゴン……はないでしょうが」
エドガーが落ち着いた声で続ける。言いながら、魔導書の角をそろえる。
「いや、想定しといて損はねぇ」
オットーは鼻を触りながら、岩に背を預けた。腰を伸ばそうとして途中でやめる。
「ここは普通のダンジョンじゃない。何が出てもおかしくねぇよ」
「だな。……だが、多分もっとも高い可能性を基準に組み立てるべきだ」
ダリウスが腕を組む。指先が上腕を押さえる。
エドガーがうなずいた。
「ゴーレム、オーガ、そして……ゴブリンキング、でしょうね」
「この階層は洞窟で、ゴブリンが多かった。順当にいけばゴブリンキングだろうな」
オットーが天井を見上げながら言う。視線が闇に吸い込まれて戻る。
「そうなると、配下のゴブリンを加えた集団戦の可能性が高い……か」
ダリウスは顎に手を当て、口を閉じたまま考える。火の音だけが挟まる。
「その場合……俺はいつもより後ろになるな」
オットーが肩をすくめる。
「そうなると、ダリウスの負担は上がるが……」
「でも、私も簡単な結界を張れるから……」
ミラが唇に指を当てて考える。指先が冷えている。
「ゴブリンの群れなら、斧を持ったオットーが前に出て、ダリウスと二枚壁になるのがいいんじゃない?」
「……そのパターンも作戦に入れましょう」
エドガーが頷いた。
「それに、誰かがガス欠になった時のパターンも考えたほうがいい」
「俺が先にバテるのは……ありえるな」
「エドガーの魔力切れも、このあいだみたいに……」
誰が弱いかではなく、誰がどこで崩れるか。
言いにくいところほど、順番に口に出していく。オットーは笑わず、エドガーは魔導書をギュッと握り、ミラは頷きながらメモを取った。
焚き火がぱちぱち弾ける。
四人はその音に間を預けながら、話し合いを続けた。
*
洞窟内は深い闇に沈んでいた。
時間の区別がつかない。水滴の音だけが一定だ。
「よく寝たな……八時間は寝たか?」
ダリウスが寝袋から起き上がり、背中を軽く伸ばす。腰が鳴りそうになって止める。
「ミラ、そろそろ起きてくれ」
「まったく……」
エドガーは既に起きており、いつも以上に念入りに歯を磨いていた。肩が上下し、磨く音が規則的だ。
「オットー、あなたも起きなさい」
「ドーナッツ!? ……あ、はっ、おはよう!」
ミラが寝ぼけながら跳ね起きた。金髪が跳ね、目をこする。
「バーボン……? ウォッカ……? ……って、あぁ、みんな早いな」
オットーも起きるが、寝言が完全にアル中。頬を叩いて目を開ける。
「「……」」
ダリウスとエドガーは無言で見つめ合った。
エドガーが歯ブラシを口から外し、ダリウスが視線を逸らす。二人とも何も言わない。
「さぁ、行くか」
ダリウスの一言で、四人は動き出した。
*
巨大な扉の前に立つと、音が薄くなった。
咳払いすら響きそうで、誰も喉を鳴らさない。
ミシ……ミシ……
ゴゴゴゴ……!
扉がゆっくり開いていく。石の擦れる匂いが増える。隙間から冷たい空気が流れ、火の匂いが薄れる。
「オットー。最前線、警戒しながら進んでくれ」
「……おう」
オットーの声が低い。足を出す前に、腰へ手を当てて一度だけ呼吸を入れた。
中は闇。光が届かない。
踏み入れた瞬間、反響だけが返ってくる。
コツ……
コツ……
コツ……
音が遠くで返り、遅れて足元に落ちてくる。
空間の広さがそれで分かる。
「広い……な」
ダリウスが呟いた。
中央付近まで進んだ、その瞬間。
バッ!!
壁という壁に、一斉に松明の灯りが走った。炎が轟音を上げ、闇が消える。
熱が上がり、空気が膨らむ。
奥に、何かがいた。
最初は影にしか見えない。だが輪郭が固まり、肩の線が浮き、腕が動いた。
大人の三倍はある巨体。
ひび割れた皮膚が岩みたいに分厚い。胸が膨らむたび、床がわずかに震える。
右手には巨斧。オットーの大斧が小さく見える。
そして赤い目が四人を捉えた。瞬きがなく、視線だけが刺さる。
オーガだった。
ダリウスが声を飛ばす。
「オットー行くぞ!」
「おうともよ!」
オットーは息を吸い込み、前へ走り出す。鎧が鳴り、足音が響く。
エドガーはその背中を見て魔導書を開いた。声は震えない。だがページを押さえる指先が固い。
(単体で、遠距離攻撃なし……昨日の想定パターンの一つ、初撃は……)
昨夜の会話が、短い言葉のまま頭に並ぶ。
オットーの動きが止まらない。ダリウスは半歩後ろへ回り、剣を構え直す。
*
「でりゃあああああッ!」
オットーの大斧が正面から振り下ろされた。金属音が洞窟に響く。
ザシュッ……!
斧は皮膚を裂いただけで止まった。刃が食い込み、抜けるときに肉がめくれる。
「マジかよ……全力だったぜ、今の!」
オットーが息を吐く。笑い声が混ざるが、目が細くなる。
「想定内だ、オットーッ!」
ダリウスは横へ滑り込み、背面へ回り込む。足音が軽い。
腰を落とす。呼吸が一拍止まる。剣先が一点へ向く。
「——ッ!」
跳ぶ。脚が床を蹴り、体が上に抜ける。
剣が弧を描く。
「《グランドスラッシュ》!」
閃光。
次の瞬間、オーガの左肩が吹き飛んだ。肉片が飛び、床に重く落ちる。
「グゴォォォオオオオ!!」
咆哮。巨体が揺れ、膝が沈み、倒れ込む。地響きが来る。
ダリウスも膝をついた。肩が上下し、喉が鳴る。剣を地面に突いて体を支える。
(……やり切った。あとは頼んだぞ、オットー)
「オットー……頼む……!」
声がかすれる。
「任せろっての!!」
オットーが吠えるように笑い、ダリウスの前に立つ。盾を構え、前へ押し込む。
「シールドバッシュッ!!」
空気が押し出され、衝撃が広がった。
倒れたオーガの目前で爆ぜる。
「グアアアアアアッ!!」
失った肩から血が噴き、赤い目が二人へ向く。視線が離れない。
「ぜぇ……ぜぇ……成功だ……」
ダリウスが息を切らしながら笑う。
「完全に怒らせたな……!」
「あぁ……これで俺たちしか見えなくなったはずだ!」
オットーは仁王立ちし、盾を地面に押し付けるように構えた。
オーガが体勢を立て直し、筋肉が隆起する。巨斧が持ち上がる。
ドガァアアアアンッ!!
「ぐっ……!! お、おも……っ!」
オットーの身体が盾ごと押し下げられた。床石に靴底がきしり、砂が削れる。
「ダリウス、急げ……! これ、腰にくる……!」
ダリウスは片肘をついたまま見上げる。汗が滴り、呼吸がひゅうひゅう鳴る。
「はぁ……はぁ……あとは……エドガーの魔法が先か……
オットーのシールドバッシュが先に……切れるか……の勝負だ……」
オーガの斧が再度振り下ろされる。
ガギィィィィィンッ!!!
「ぐあっ……! ぉ……おい……マジで重い……! 腰が……砕ける……!」
シールドが波打つように震え、光が微かに点滅し始めた。
*
一方エドガーは静かに魔導書を開いていた。
虫眼鏡を片手に、文字を追う。唇が動く。だが一音ずつしか進まない。
(……くそ……昔なら二十秒で終わった詠唱が……今じゃ二分以上かかっている……)
(バカかエドガー……! 集中しろ……!
老いたことを嘆くのは後だ……!
今はただ……仲間のために……一秒でも早く……!)
「ミラ! ランプを……!
魔導書が暗くて……読みにくいです……!」
「わかった!」
ミラがランプを掲げる。火が揺れ、文字の影が動く。エドガーの指がその影を押さえ、必死に行を追う。
その横で、オットーの盾がピッ、ピッ、と点滅を始めた。
点滅の間に、壁の外の刃が見える。
*
「うおおおっ……! 手も……足も……重い……っ!」
オットーの全身が震える。汗が顎から落ち、鎧の内側へ流れる。顔色が抜けていく。
「へっ……エドガーもいい演出するぜ……!
一番いいタイミングで……決めようってか……っ!」
「はぁ……はぁ……エドガー……急げ……」
ダリウスは剣を杖のように地面へ突き、必死に身体を起こした。膝が笑い、足がもつれる。
「はぁ……最悪……俺たちで……もう一度前に……行くぞッ」
その言葉を遮るように、オットーが振り返る。汗まみれの顔で笑った。
「おうよ。
ついていくぜ、リーダー様よ」
歯が見える。目尻が上がる。汗が頬を滑っても、笑いは崩れない。
*
ピッ……ピッ…………ピッ…………。
点滅が視界の端で揺れる。消えそうで戻る。その繰り返しが長い。
オットーの足が滑り、膝が落ちかけた。
「くっ……! まずい……!」
エドガーの声が震え始める。詠唱の息継ぎが増え、音が詰まる。
(待ってるぞ、エドガー……!
俺のシールドが消える前に……!)
オーガの呼吸音と、盾を叩く音が重なる。
ランプの火が揺れ、ミラの腕が疲れて下がりそうになる。
「——お待たせしました!
《白き黎明の矢》!!」
エドガーが魔導書を掲げた瞬間、温度が落ちた。吐いた息が白い。
天井すれすれまで、氷の矢が次々と形成されていく。光が反射し、壁に白い筋が走る。
エドガーが手を前に突き出す。
「——散れッ!!」
氷の豪雨がオーガへ降り注いだ。衝突音が洞窟を埋める。
ドガガガガガガガガガ!!
霧が渦を巻き、視界を奪う。音だけが続き、やがて止む。
霧が薄れる。
全身を穴だらけにされたオーガが立っていた。膝が折れ、巨体が倒れる。床が鳴る。
ダリウスは剣を杖代わりにしながら息を吐き、その場へ腰を落とした。
「……終わった」
声が抜けている。
オットーもシールドバッシュを解き、肩を落とすように大きく息を吐いた。
「ふぅ……あっぶねぇ……」
ミラは両手を上げて跳ねる。
「やったね!!」
エドガーも柔らかく笑った。
「えぇ……これで、次の階層への扉が……」
エドガーが指差した先。
巨大な石扉は開いていなかった。隙間の暗さが変わらない。
「……?」
ミラが首をかしげる。
エドガーの表情が変わる。目が細くなり、息が止まる。
「ダリウスッ!」
声が跳ねた。
「扉が出ない!
まだ……息があります!!」
誰も笑わない。
ミラの手が下がり、オットーの口が開いたまま止まった。ダリウスは剣の柄を握り直す。