「……俺に対する当たりが強くて、いつも厳しい指導を受けてました」
声は低く、過去を思い出すことで張り詰めた緊張を帯びていた。
テーブルの下で組んだ指先に、思わず力が入る。
「企画書書けと言われて書いてもろくに目も通されずに破られて、指示も曖昧で」
「初めは自分の頑張りが足りないんだと思ってましたけど、どんどんエスカレートして行って…罵倒される言葉も酷くなって、何をしても否定される状態でした」
「……」
尊さんの低い沈黙が、重い空気の中で響く。
俺は俯き、視線をさまよわせた。
「…体調を崩したり小さなミスをしても大声で怒鳴られることが多くて、デスクで胃を抑えていると「仮病だ」と罵倒されて…」
「人身事故で電車が止まって遅刻したときも30分説教されるのが当たり前でしたし、誰も助けてはくれませんでした」
「そうだったのか…」
尊さんの声は、先ほどよりも一層低く、感情を含んでいた。
その声に、張り詰めていた何かが緩む。
「…結果的に、精神と胃をやられて止むを得ず自主退職することにしたんです。もう、自分の心が壊れてしまう寸前で…」
「……」
尊さんは何も言わず、ただ静かに俺の言葉を受け止めている。
その静けさが、かえって俺の心に安寧をもたらした。
「…それで、今の会社に転職したんです、けど……また、あの時のことを思い出してしまって……」
そこまで言うと喉の奥がツンと熱くなり、視界がぼやける。
必死に堪えようとしたが、感情の奔流は止められず、涙がポロポロ流れ落ちた。
「す、すみません……こんな情けないこと話しちゃって……俺、ダメダメで…」
手で顔を覆いながら嗚咽混じりの声を抑えるのに必死になっていると
不意に、尊さんの大きな腕が俺の背中に回された。
がっしりとした、けれど優しい力だった。
「た、尊さん…?」
抱き寄せて慰めるような優しい動きだったが、彼の体温がTシャツ越しに伝わり、それだけで心が解れていくようだった。
彼の逞しい胸板に顔を押し付けられる。
「辛かったろ……本当に」
尊さんの温かな掌が背中をさすり、その動きに合わせるように俺の体の強張った緊張が溶けていく。
胸板に顔を埋めたまま声を上げて泣きじゃくり続ける俺の頭上からは
ため息とも安堵ともつかない、深い吐息が落ちてきた。
「…よく耐えたな、ずっと、誰にも頼れずに一人で頑張ってたんだろ」
そのひと言は、鋭く核心を突いた。
ずっと誰にも理解されないまま押し殺してきた孤独感が堰を切ったように溢れ出し、熱い涙となって零れ落ちる。
尊さんのシャツを濡らしながら、俺はただ泣き続けた。
どれくらいそうしていただろうか。
涙も枯れ果て、声も掠れてきた頃には
心の澱が洗い流されて浄化されていくような感覚があった。
尊さんは、最後まで俺を抱きしめたまま、何も急かさなかった。
「……ありがとうございます…だいぶ、落ち着きました」
ようやく顔を上げた時には目が真っ赤になっている自覚があったが、今は構わなかった。
ただこの包み込んでくれるような優しさに対する感謝の気持ちしかなかったから。
尊さんはポケットからハンカチを取り出し、涙を拭いてくれたあと、優しく額に触れた。
その指先が優しく、俺は目を閉じた。
「……話してくれてありがとな。お前の過去を、ちゃんと聞けて良かった」
その言葉を受け止めると、再び目頭が熱くなった。
しかし今度は悲しみではなく、全てを受け止めてもらえたことによる安心感によるものだった。
「…そういや昨日、使えない部下かって聞いてきたが、あれも関係してるのか?…あの時の飲みっぷりも、尋常じゃなかったからな」
「えっと……その、昨日の飲み会で飲みすぎたの、トイレに行ったときに、偶然室井さんとバッタリ会ったからなんです…っ」
「あの人の顔を見たら、あの頃の恐怖が蘇ってしまって…」
素直に答えられた自分に驚きつつも、心が軽くなったことを感じていた。
ずっと胸につかえていたものを吐き出せた解放感だろう。
「おい…そんな大事なことは早く言え。」
尊さんは少しばかり呆れたような、しかし心配の色を隠せない声を出した。
「す、すみません…!尊さんに話したらきっと心配かけちゃうと思って、話す勇気もなくて…情けないと思われるのが怖かったんです」
俺の言葉を聞くと、尊さんは少し考える素振りを見せた後に大きく頷いた。
「そんなこと思うわけないだろ、お前がどんな顔でどんな想いを抱えてるか、俺は全部知りたいんだよ」
「…全部…っ?」
「強がって隠すより、弱いとこ見せてくれる方がずっと、助かる」
尊さんは真剣な面持ちで俺の目を見据えた。
「もし来週来た時にトラブルにならないためにも対応を考えておく、課長にも話しておいて大丈夫か?」
「え、俺は大丈夫ですけど、いいんですか……?そこまでしてもらって」
「当然だ。共有しておいた方が、対応しやすいだろ」
「それにそんな上司が『部下に会いたい』…恋に会いたいと言っているとしたら、何を企んでいるか分からない以上警戒しておく必要がある」
頼もしい返事に、俺はただ頷くしかなかった。
胸の奥がじんとした。
「あ、ありがとうございます……!本当に、助かります」
この人に出会えてよかったと、心の底から思った瞬間だった。
目の前の尊さんの存在が、何よりも大きな支えだと感じた。
◆◇◆◇
話が一段落した瞬間、部屋に静寂が訪れると同時にお腹がグーッと鳴った。
自分の体から発せられた、拍子抜けするような音に、一瞬固まる。
顔がカーッと熱くなった。
「…はは、たくさん話して泣いたらお腹すいちゃいました」
尊さんが小さく笑った。
その笑い声に、俺も少しだけ緊張が解けた。
顔が熱くなってうつむく俺に「待ってろ」と言ってキッチンに向かった尊さん。
その背中が、とても頼もしく見えた。
少しして「ほら」とテーブルの上に載せられたのは、湯気の立つオムライスが2皿。
卵の黄色とケチャップの赤が目に鮮やかだ。
デミグラスソースではなく、シンプルなケチャップライスと薄焼き卵の組み合わせだった。
「わ……!さっきいい匂いすると思ったら、オムライス作ってくれてたんですか?」
「お前が目覚めたら腹減ると思ってな、食うだろ?」
「はい!いただきます!」
さっきまで泣いていたとは思えない食欲だが、この美味しい匂いには抗えない。
スプーンを渡されると、早速一口運ぶ。
ふわっとした卵と、トマトケチャップの絶妙な味付けが、疲れた体に染み渡る。
具材のチキンライスは、優しく、どこか懐かしい味がした。
「んん!美味しいです!!」
思わず感嘆の声を漏らすと、尊さんは「そりゃ良かった」と満足げな表情を浮かべた。
尊さんが口に入れるのを見て、俺もまたパクリ。
優しくて温かい味だ。
「…なんか、ホッとします…もっと早く、尊さんに話してれば、よかったのかな…」
オムライスを食べながらふと呟く。
「だろうな…なあ、恋」
「はい?」
「あのな…」
尊さんが真面目な顔で、スプーンを置いて改まって言った。
その真剣さに、俺もスプーンを持つ手を止める。
「どんな事があっても俺がいる。お前の思いは俺が何度でも聞く。俺はお前の味方だ、それだけは覚えててくれ。絶対にお前を一人にはしない」
その言葉に、ハッとさせられた。
心臓を鷲掴みにされたような衝撃だった。
涙で濡れた瞳のまま彼を見つめると、尊さんもまたまっすぐに見返してきた。
その視線は、優しく、そして強い決意に満ちていた。
「はい…っ、ありがと、ございます……っ」
胸がいっぱいになる。
言葉では言い表せないほど、心が満たされていた。
温かな夕食は、俺の心にも消えない暖かい火を灯してくれたようだった。
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わぁ、✨毎回毎回展開が天才すぎます、👏‼️💖予想できないけどすっごくいい展開でドキドキワクワクしちゃいますっ💖😍読者を惹かせる天才だと思います‼️💖ほんっとに文章全部スラスラ読めちゃうけど、内容が濃かったりとか、伏線回収してたりとか‼️色々ほんとに素晴らしいです💖いい所が1つ1つあり過ぎて、コメントで感想書こうとすると文字制限掛かってしまいます笑💦 素敵なエピソードありがとうございました💖‼️