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「さあ、どこの国だったか。話の途中で、出てきた事だから、私も、忘れてしまったよ……」
とぼけきる、ハリソンに呆れながら、金原は立ち上がり、棚から灰皿とマッチを取る。
嫌みたらしく、ドンと、テーブルに置くと、ハリソンの前で、仁王立った。
「こっちは、風呂上がりなんだ、なんで、こんな朝早くから、やって来た!着替えもできん!」
「だってねぇ、鬼のキヨシ、鬼キヨが、妻を娶ったんだよ。そりゃー、早くお目通りしたいだろう?で、何?キヨシ、君、花嫁を略奪してきたのかい?」
ハリソンは、ちらりと、櫻子へ目をやると、マッチをすり、葉巻に火をつけた。
細く立ちのぼった紫煙は、櫻子が、嗅いだことのない臭いがした。
煙いだけだと思っていたものは、高級な、紅茶葉の香りのようだった。
「ああ。レディ、じゃなかったな、奥様、失礼しますね。なるべく香りが移らないように、横を向いて吸いますから、無作法をお許しくださいますように」
怒鳴りつけるきっかけを待っている金原のことなど、気にすることもなく、ハリソンは、悠々と、そして、茶目っ気たっぷりに、櫻子へ言う。
やっぱり、西洋の人は違うと、櫻子は、ハリソンの雰囲気と、態度に感心していた。
面と向かって、話したことすらない、異人さん、ではあるが、おそらく、親子ほど離れているからか、ハリソンの櫻子への接し方には人慣れしているというよりも、親切さがにじみ出ていた。
「あのな!略奪とは、人聞きの悪い。ちゃんと、契約を交わし、夫としてのしきたりも、守った!」
「ああ、政略結婚というやつね。家通しの利益の為に、乙女が犠牲になる。心に決めた相手と引き裂かれて……ああ、なんて、可哀想に」
また、芝居がかった様子で、だろう?と、櫻子へ同意を求めるハリソンを、金原が制す。
「いい加減にしろっ!これには、相手などいない!俺のものだっ!邪魔が、はいりそうになったからっ、急いで連れてきただけのこと!どこが悪いっ!」
だって。と、ハリソンは、櫻子へ、パチリと目配せしてくれる。
「え、えっと、は、はい?!」
金原の剣幕が、恐ろしかったこともあるが、ハリソンの目配せにも櫻子は、驚いていた。
「おや、キヨシ、奥様は、沈黙を通している。つまり、それは、君の言うことが、違っているということではないのかい?ああ、可愛そうに、やはり、想い人と引き裂かれたか……」
「ハリソン!」
怒る金原へ、ハリソンは、声高に笑うと、まあ、座れと促した。
一変して真顔になった、ハリソンに、金原も、訪ねて来た目的を切り出すのだろうと思ってか、静かに席につく。
「キヨシ、さて、君ならどこを攻める?」
ゆらゆらと揺れる紫煙が、意味深なハリソンの言葉を包み込む。
「……まさに、煙に巻くか……」
流れる葉巻の煙を、手で仰ぎながら、金原は口角をあげた。
「……やはり、ロシアが、危ないのか?」
「勘の鋭い者達は、諸国へ逃げ出しているよ。そのまま、亡命するつもりだろうね。とは、私の考えであり、英国の公式見解ではない。よって、外れることもある」
言うと、少し、渋い顔をしながら、ハリソンは、静かに葉巻を嗜んでいる。金原の言葉を待っているのか、はたまた、次の言葉を発するべきか、考えているのか。
どちらにしても、これ以上、同席はできないと、櫻子は思う。
完全に商い、いや、もっと、重い話に入っている。自分がいるのは場違いだ。
ハリソンのからかいと、あの目配せは、櫻子への退室を暗示していたのではないだろうか。そんなことを思いつつ、櫻子は、会話の邪魔にならないよう、小さく言った。
「……あ、あの、お茶を……」
「はいはい!お持ちしましたよー!」
お浜が、盆を持ってやって来た。
「お浜特製の、珈琲ですよっ!」
「おお!いよっっ!まってましたぁ!と、言えばいいのかなあ?でもね、私は、お浜さんの、その色気で十分だよ!」
ははは、と、ハリソンは、空笑う。
「はあ?!朝っぱらから、押しかけて来て、あたしの、珈琲が飲めないと?!」
「あれ?そんなこと言ってないよ?」
お浜を口封じしている、としか思えないほど、ハリソンはお浜の機嫌をとっていた。
「……だが、お浜。お前の珈琲は、酷いからなぁ、人には、すすめられん」
さっさと、下がれとばかりに、金原も、ハリソンの肩を持つ。
「ところで、お浜さん」
「はい?なんざんしょ?ハリソンさん」
「ちいと、あちきは、人探ししてんのさ、お浜さん、あんたなら、しってるかなぁ?小春って、芸者?」
ハリソンは、さらに、調子よくとぼけて見せた。
金原は、よく動く口だと、呆れているが、お浜はというと、眉間にシワを寄せ、考え込んでいた。
「小春ねぇ……、花柳界には、掃いて捨てるほど、芸者はいますし、まして、小春なんざぁ、珍しくもない名前……」
うーんと、お浜は、唸っているが、ハリソンが、適当に言いくるめていると櫻子は思った。
本来の目的を聞かれたくない為に、ハリソンは、人探しの話をもちだしている。早く、人払いがしたいのだろう。
「あっ!私!」
「どうしました?奥様?」
お浜の視線が、櫻子へ移った。
「こ、これ、持って来てしまいました。あ、あの、朝食をお作りします」
ん?と、皆の視線も、櫻子へ移る。
「えっ?!奥様、なんで、昨夜の握り飯を?!」
「……つい……」
そう、粥にでも、と櫻子は思いつき、お浜が作った握り飯を乗った皿を持った。は、良かったが、あれやこれやで、結局、そのまま、金原の後を追った。行きがかり上、皿を持ったままだったのだ。
「……ですから、お浜さん、朝餉の準備を……、ハリソンさんも、いかがですか?」
などと、言い逃れてみたが、櫻子は、皆の視線に耐えられず、俯いた。
と──。ハリソンが、弾ける。
「おお!朝餉!キヨシ!頂くよ!新妻の手料理だよ!これは、良い!」
じゃ、奥様?と、ハリソンは、櫻子へ言い含んだ。
「は、はい!すぐに、用意します!」
隣にいる金原も、素知らぬ顔をしている。
つまり、出ていけと。人払いが、かかったのだ。
「お浜さん、お台所お借りできますか?」
櫻子は、ぽかんとする、お浜に言って、小さくお辞儀をすると、部屋を出た。
「あー、はいはい!っていうか、あたしゃ、何も作れませんよー!」
櫻子を、慌てて追う、お浜の声が廊下に響いた。
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