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「……今のところ、沈んでないようですね」
窓から真っ暗な夜の海を見ながら壱花は呟いたが。
「派手に沈んではないが、あのあやかしが汲み出した水が消えてるのが気になる」
と倫太郎は言う。
確かにお湯から汲み出された水は、ここではない何処かへと消えている。
「船底ですかね?」
確かめに行きますか? と冨樫が言う。
「それか汲み出すのをやめさせるかだな。
とりあえず、俺たちが老婆と交代して汲み出すか。
壱花が汲み出した分は普通に排水溝に流れてたみたいだし」
倫太郎は派手なボディランゲージを加えつつ、老婆と交渉していた。
自分にやらせてくれと。
老婆がお玉を置く。
倫太郎はそれでお風呂の湯をかき出しはじめた。
壱花はその湯を目で追う。
倫太郎がかき出した湯は排水溝には流れず、何処かへ消えていった。
社長ーっ、と壱花は叫んだ。
「消えちゃってるじゃないですかっ。
あなた、やっぱり、私より化け化けですねっ」
ちっ、と舌打ちした倫太郎は冨樫を振りあおいで言う。
「冨樫、お前やれ。
……まあ、仕方ない。
俺は壱花より長くあの駄菓子屋に関わってるからな」
倫太郎は冨樫と交代しようとしたが、冨樫はそのお玉を手にとらず、老婆を見て呟いた。
「このおばあさんは、『あやかし』とも呼ばれる船幽霊なんですよね?
あの話って、柄杓で船に海水を入れて沈めようとするから、穴の空いた柄杓を渡したらいいって話じゃなかったでしたっけ?」
「そうだ、それだっ。
穴の空いた柄杓持ってこいっ」
「いや、何処にあるんですか、穴の空いた柄杓……」
と言いながら、壱花は、倫太郎がやらなくなったので、またお湯をかき出している老婆の手にあるお玉を見た。
倫太郎もそのお玉を見ている。
二人同時に叫んでいた。
「穴あきお玉だっ。
湯豆腐の豆腐とかすくう奴っ」
「穴あきお玉ですよっ。
うっかり味噌汁すくって、ああーってなる奴っ」
「……そんなのはお前だけだ」
倫太郎が冷ややかに言ってくる。
いや、こんな事態なので、そこは聞き流してください……と壱花は思っていた。
「まあいい。
厨房行って借りてこいっ」
と言う倫太郎に、冨樫が、
「たぶん、もう閉まってますよ。
鍵かかってるんじゃないですかね?」
と厨房の方を振り返りながら言う。
「仕方ないな。
俺が行こう。
スタッフに頼んで、ちょっと借りてこよう」
……いや、なんて言って借りるんですか。
持参した湯豆腐があるので、とか?
と壱花が思っている間にも、老婆はお玉をせっせと動かしている。
「それにしても、なんでこのあやかし……」
そう壱花が言いかけたとき、三人は大浴場から消えていた。
まだ耳に老婆がお湯をかき出す、ざばーっ、ざばーっという音が残ったまま、壱花はあたたかい暖色系の明かりに包まれたカラフルな場所にいた。
あちこちに楽しげなお菓子やオモチャが山積みになっているあやかし駄菓子屋だ。
「やあ、おかえり~。
今、きなこ棒をみんなで作ってるんだけど、どう?」
ボウルを手にした高尾が子狸たちと笑顔で迎えてくれる。
ほっと和むような光景だが、三人は、あーっ! と叫んでいた。
「船が沈むーっ!」
えっ? と笑顔のまま、高尾が訊き返してくる。