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第14話:エーテルの種
浮遊都市《ノーヴァ・スフェラ》には、空中庭園がある。
そこでは“エーテルの種”と呼ばれる空を浄化し循環させる有機体が日々育てられている。
その種は呼吸するように浮き、風と共に移動しながら、
天球に不可欠な浮力と記憶粒子の循環を担っていた。
ある日、そのうちの一粒が沈みはじめた。
種は軽く、浮くことしか知らない存在のはずだった。
だがそれは、ゆっくりと重力に引かれるように落ちていった。
これを目撃したのは、《エーテル庭園管理庁》の補佐官ユリ・カレナ。
15歳、深紅に近い色合いのふわりと広がる髪。
彼女の眼は明るい琥珀で、《フロートル社》製の“記憶光可視ゴーグル”を装着。
制服は《スカイシード社》製の庭園作業服で、浮力温度によって発光する柔織布が使用されている。
常に明るく輝いていた裾が、その時だけ鈍く沈んでいた。
ユリは沈みかけた種を記録泡に残し、本部へ報告。
だが記録は《ネフリオ社》の再生装置で読み出しに失敗。
泡の中には地球語のような記号がちらついていた——
「PWR」「REBOOT」「ALT」などの断片。
現在ではそれらは《泡水の循環印》として祀られ、
庭園では“空を腐らせない祈りのマーク”として定期的に配置されている。
—
種の沈下を知った浮力信奉者たちはパニックに近い反応を見せた。
「沈むということは、天の終わりの兆し」 「浮力を否定するなら、この世界の意味が失われる」
それは“海へ近づくこと”への恐怖にも通じていた。
かつて海に触れた者は、「種のように溶けて消えた」と伝えられている。
ユリは、種にふれた記憶をたどるため、
《星の沈黙装置》へ向かう。
それは、記憶を風に託す前の泡を一時的に保存する装置で、
泡が生まれる寸前の“思念”だけを読み取る《ソラー社》開発の試作機だ。
—
記録された思念はこう語っていた。
「私は、空に浮かぶのをやめたい。 落ちることで、もっと誰かと繋がれる気がする。」
—
ユリは種に再び触れる。
その種は、彼女の指先に反応して再び揺れ、
ゆっくりと浮力を取り戻し始めた。
だがそれは、“上に戻る浮力”ではなかった。
—
種は横に流れ、風に乗って移動し始めた。
それは「浮くこと」でも「沈むこと」でもない、
“ただ在る”という存在の証明だった。
ユリは、風に種を放ったあと、泡をひとつ記録した。
「浮いていることが生きることなら、 わたしは“留まること”で、ここにいる。」
その泡は、月に届かず、
星にも向かわず、風の中にとどまった。
そして、庭園の新しい中心に根を下ろしたように浮かんだままだった。