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仄かな蒸気と共に、溶き卵を蒸した甘い香りが台所に充満している。
卵粥を椀によそう櫻子の隣では、盆をもった龍が、小鼻をピクピク動かしていた。
「いっやー、奥様、うまそーですねー!つーか、あの、握り飯が、食えるものになるなんざぁー、たいしたもんだっ!」
「奥様!こんなもんでどうですかっ!」
隣の竈で、青菜を茹でている虎が、菜箸で中身を持ち上げて見せる。
カビが生えた味噌や醤油など、使い物にならない物を、裏庭に虎が運び出し、穴を掘って埋めたらしい。その時、片隅に自生している、青菜らしきものを見つけ持ち帰ってきた。
櫻子には、小松菜に見えた。花芽がついた茎が伸びトウが立った黄色い花を咲かせているそれは、結局、何かわからなかったが、食用にできる事は確かだった。
固い外葉と茎は捨て、新しい葉の部分と彩りに花は残し、茹でてみる。
おひたしにちょうど良いだろうと、思ったからだ。
茹で上がりを見るだけだからと、粥を作っている櫻子へ、虎が手伝うと願い出た。龍も、負けてはおれねぇと、盆を持って、待機している。
「あぁ、いいですね。ザルに取って、水にさらしてください」
へい!と、虎は手慣れた具合で、茹で上がった青菜をザルにあげ、流しへ移った。
「いやね、虎は、車引きがなけりゃー、やることないんで、簡単な料理をしてんですよ、あっ、飯は、俺が炊いてんですがね」
虎の手際のよさに、目を見張る櫻子を見て、龍が語った。
「まあ、そうだったのですか。これからは、私が、準備しますので、虎さんは、どうか、ゆっくりしてください」
「い、い、いや、そ、それ、それじゃあ、奥様、まるで、女中じゃないっすかーー!そりゃ、おかしいっす!」
「おかしいっすも、なにも、清、いや、社長が、奥様に女中をやれと言ったとか」
龍の説明に、虎は、腰を抜かす勢いで、驚きの声をあげた。
「……あっ……それは、私、女中として、働かせていただこうと……旦那様に、お願いしたんです」
「旦那様ーー!」
龍が、興奮した。
「なんと!旦那様、だとよ!聞いたか!お浜!」
「やだねー、もう。龍、さっきから、これなんだよ。キヨシとどんな一夜を過ごしたんだろ?女中と主人のごっこ遊びなんぞ、朝からやってんだ」
ん?と、龍が、首をひねり、お浜へ声をかけた。
「なあ、そんな事……、昨夜やってたか?っていうか、聞こえたか?」
「いいや、静かすぎるほど、静かだったよねー。二人して、いつの間に?」
「……ということは、やっぱり、お前ら、昨夜は、部屋の前で盗み聞きしていたのか……」
「いや、盗み聞きじゃなくて……って、社長!!いたんですかぃ!!」
渦中の人というべき、金原の登場に、龍は盆を落とした。
続けてジロリと、金原は、お浜を見る。
無言の圧に耐えられず、お浜は、しどろもどろになった。
「い、いやね、お嬢様育ちの初夜じゃないか!分からないところが、絶対あるはずで、というか、だいたい、怯えて泣きだすのが落ちなんだよぉー!きゃー!なんですか!それは!そのようなものが?!いやぁーー!お母様ー!とかとか、問題が起こるんだ!」
「そ、そう!そうなんですよ!社長!で、俺たちの出番と!」
龍も、お浜を援護する。
「……で?お前達が、乱入してきて、裸になるのか?」
金原の明け透けな言葉に、櫻子は、昨日のお浜と龍の掛け合いを思いだし、思わず椀を落としそうになる。それを、危ないと虎が、叫び、ザルを流しへ放り投げると、櫻子に手を添えた。
「と、虎ーー!!」
金原の激が飛んだ。
「お前は、人のものを、かっさらうつもりかっ!」
「え?!社長!せっかくの粥が土間に落っこちてしまうし、奥様だって、粥がはねたら、火傷するかもしれねぇでしょ?」
虎は、平然と金原へ言った。しかし、金原はというと、肩をいからせ、プルプルと震えている。
「……着替える!龍、部屋へ来い!虎、ハリソンを送れ!」
一人で、怒り尽くしている金原の様子に、台所の一同は、意味がわからぬとポカンとしている。その、調子外れな空気が、気に入らないのか、金原は、ぷいっと顔をそむけて去ろうとするが、何か思い出したのか立ち止まると、やおら、櫻子へ言った。
「お前……本当に女中を、やりたいのか?」
「あ、はい。借金のかわりに、差し押さえられた身ですから……。私には、裏方仕事しかできません。ですから……できましたら……」
きちんと、答えなければ、怒鳴られるだろうと、覚悟しつつ、はたして、答えても、怒鳴るのではなかろうかと、萎縮しながら、櫻子は、答えた。
それは、行きがかり上の、なんてーか、ちょっと、違うんだけど、なんでそうなる?!などと、龍と、お浜は、櫻子へ意見する。
一方、金原は、
「うん、それも、よかろう」
渋々、妙に取って付けたような口調で言うと、ドスドス足音を立て、自分の部屋へ向かって行った。
「虎、ここはもういい!はやく、人力まわせ!で、お浜、奥様を頼のんだぞ。俺は、社長のご機嫌をとる!」
言い捨てて、龍は、板間へ上がると、金原を追う。
虎も、慌てて、行ってきやす!と叫びながら、お勝手から走り出す。
「……お浜さん、お食事どうしましょう」
皆、いなくなり、どうすればと櫻子は、戸惑うだけだった。
「ははは、キヨシったら、ベタ惚れ丸出しじゃないかい。そんなら、素直に奥様を可愛いがりゃぁーいいのにねぇ。なんだよ、あれ」
お浜は、一人、笑い転げている。
「べ、ベタ惚れっ?!」
何がなんだかと、櫻子は、混乱し、オロオロするばかりだった。