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氷煙が裂け、その向こうに赤い影が現れる。
エルダードラゴンだった。
全身に氷の刃が突き立ち、尾は根元から粉々に砕けている。
腹部には氷の牙で抉られた巨大な裂傷。そこから緑の血と一緒に、どろりと光る“核”が顔を覗かせていた。
ひとつ。
その奥で、脈打つ光がもうひとつ。
さらに、別の箇所でくぐもった明滅が、確かにまだ動いている。
露出したコアは一つじゃない。
腹部の傷から見えたのは、残り二つのコアだった。
「……そんな……」
最初に声を漏らしたのはミラだった。
エルダードラゴンは氷の残骸を踏みしだき、一歩、また一歩と前へ出る。
顔はさっきと変わらない。いや、さっき以上に楽しそうだ。
瞳の奥に、余裕と愉悦が居座っている。
「そ……そんな……に……」
ミラの膝が小さく震える。
喉からこぼれた音は、言葉になる前に崩れた。
「逃げよう……」
本音が漏れる。
「無理だよ……こんなの……」
もちろん逃げ場はない。
背後は閉ざされた扉。
このフロアから外へ出る条件はただ一つ、敵の全滅。それ以外はない。
エドガーは何も言わない。
無言でマナポーションの栓を歯で抜き、喉へ流し込んだ。
苦い液体が落ち、胃がきゅっと縮む。身体の奥に、少しだけ「動け」が戻ってくる。
オットーは、ぎしぎし鳴る腰を捻りながら立ち上がった。
片足を伸ばし、反対側を曲げ、腰をぎゅっとひねる。
「……いってぇな、ちくしょう……」
悪態をつきながらも、手は前へ出ている。
シールドが、確かに構えられた。
ダリウスもふらつきながら立ち上がり、ミラのそばへ歩み寄る。
頭にそっと手を置いた。
小刻みに震える金の髪を、指先で撫でる。
「大丈夫だ、ミラ」
無理やりじゃない。けれど確かな笑みを作る。
「絶対に、生きて帰ろう」
声は震えていない。
震えているのは、ミラの頭に置かれた手の方だった。
ダリウス自身も、怖い。
膝は笑い、肋骨は痛み、超集中の反動で身体が軋む。
それでも背中は見せない。ここで折れたら終わる。
最後まで、みっともなく足掻いてでも生き延びる。
その意地が、彼の足を前へ残す。
その姿を見て、ミラの瞳から怯えの色が薄れる。
代わりに、別の光が宿った。背中に並ぶための、決めた目だ。
「……うん」
ミラはネックレスをぎゅっと握りしめ、一歩前に出る。
震えは止まっていた。
「女神の花よ、輪となって咲き誇り——」
澄んだ声がボス部屋に響く。
「この場所にいるすべての心とからだを、なでてゆけ——
《雫わかちの祝福》!」
足元から淡い光の花弁が咲き広がる。
四人の足元をくるりと巡り、光の輪が身体を撫でていった。
温かなぬくもりが胸の詰まりをほどき、軋む筋肉にもう一度だけ力を渡す。
ミラは息を整え、小さく笑う。
「……ちょっとは、マシだよね」
ダリウスが即座に頷く。眼差しは真剣だ。
「あぁ」
短い返事の中に、感謝がきっちり詰まっている。
オットーも口調を戻す。盾を構えたまま、いつもの調子で。
「これで——楽勝だぜ」
逃げ道を頭で数えていた顔じゃない。
怖さを抱えたまま笑う、中年の顔だ。
ダリウスが振り返る。
エルダードラゴンは、戦いを楽しむ目でこちらを見下ろしている。
腹部の傷から覗く二つのコアが、不気味に脈打っていた。
それでも、ダリウスは笑った。
「さぁ、コアはあと二つ」
仲間の顔を順に見渡す。
「いつも通り行こう」
オットーが短く返す。
「おぅ」
エドガーも魔導書を抱え直し、静かに頷いた。
「えぇ」
さっきまで膝をついていた男たちが、今度は「まだ終わってない」と立ち上がる。
安堵から絶望へ。絶望から、もう一度だけ前を向く覚悟へ。
エルダードラゴンが牙を剥く。
三人の中年と一人の少女が、正面から迎え撃つ。
ミラは一歩後ろへ下がり、ネックレスを握り直す。
「後ろは私の結界で持たせるわ! ダリウスとオットーは前に!」
声は震えない。顔に覚悟が乗っている。
「いくぞ、オットー!」
ダリウスが短く告げる。
オットーは無言で前へ滑り込んだ。焼け焦げた床を踏みしめ、間合いぎりぎりで大斧を持ち上げる。
「間合いで行く! タイミングを合わせろ!」
「わかってるぜ」
ダリウスが一歩、また一歩と前へ出る。
尾を失ったエルダードラゴンは、その代わりに鋭い爪で弄ぶように前脚を振るう。
(尾が無くなった分、詰めて戦える)
喉の奥で息を整え、軌道を測る。
一歩ごとの重さ。爪の角度。刃が届くぎりぎりの線。
ダリウスが「ここだ」と定めた場所に、オットーが背中合わせになる距離で位置取った。
前衛と盾。立ち位置が勝手に噛み合う。
エルダードラゴンが喉の奥で、低く笑った気がした。
次の瞬間、巨躯が揺れ、爪が振り下ろされる。
「——ッ!」
ダリウスは一歩だけ踏み込み、その場で身を沈める。
喉元すれすれを、刃物みたいな爪が通過した。
銀色の軌跡が視界を走り、首筋に冷たい汗が伝う。
後ろには下がらない。
エルダードラゴンは嬲るように連撃を繰り出す。
縦、横、斜め。フェイント。軌道のずらし。
狙いは一貫してダリウスだ。
(くっ……流石にきつい)
呻いても足は止めない。
一歩踏み込み、半歩ずらし、紙一重で外し続ける。頬をかすめ、髪を揺らすだけで抜ける。
やがて、ほんの一瞬。攻撃が鈍る。
「……今だ!」
ダリウスの短い号令。
オットーが地面を蹴った。
「おおおおっ!」
巨体に似合わぬ軽さで跳ぶ。
露出したコアへ、大斧が振り下ろされる。
カキンッ!
金属でも石でもない、硬質な音が高く響いた。
刃はコアの手前で弾かれ、火花が散る。
「チッ……」
着地と同時に舌打ち。
その横をダリウスが駆け抜ける。
「《スラッシュ》!」
露出したコアへ突き立てる。
だが、
ガキィン!
剣も同じ音を返した。
刃はコアに触れる前に、透明な“何か”に阻まれている。そこに確かな壁がある。
(……弾かれた!?)
痺れが腕に走る。ダリウスは即座に間合いを切った。
「いったん下がる! オットー、シールドバッシュ!」
「おう!」
オットーが斧を背へ回し、前へ滑り出る。
交代。シールドが展開され、爪がぶつかり火花と衝撃が弾けた。
エルダードラゴンは「守ってみろ」と言わんばかりに、盾を引っかき回す。
悪意を固めた連撃だ。
「はっ……調子に乗りやがって……!」
オットーは歯を食いしばり、盾を引かない。
背後でミラの結界が青白く揺れ、後列を守っている。
ダリウスは背中越しに、短く息を吐いた。
「……普通のコアじゃないぞ、あれは」
「ご丁寧に、 結界張ってやがるぜ……」
オットーが乾いた笑いをこぼす。
腹の奥で、コアが脈打つ。見えない障壁が“必殺”を弾く。
ダリウスはシールド越しにドラゴンを睨み、横のオットーへ視線を向けた。
「オットー。俺の超集中は……あと何秒、使える?」
オットーは一瞬目を閉じ、感覚で数える。
そして盾の裏で指を二本立てた。
「限界まであと三十秒。安全マージンを取って、二十秒だ」
ダリウスが、ほんの一瞬だけ口元を緩める。
「俺の師匠は、東の国の剣士でな」
「はっ?」
オットーが思わず目を瞬かせる。
「無の境地に入ると出せる技がある。……分厚い鋼も、両断できるってな」
オットーの喉が鳴った。
「お前も、できるのか?」
「見ただけだ。……だけど、やる」
迷いも冗談もない。
「無茶だろ……と言いたいが」
オットーは一度だけ笑い、すぐに顔を締めた。
「それしか、なさそうだな」
ダリウスが盾の陰で目を見る。
「頼むぞ、オットー」
オットーがにやりと笑う。
「任せとけ、リーダー」
ダリウスは息を吸い込み、意識をさらに沈める。
(いつものじゃ、足りない。もっと深く——思考を潜れ)
耳鳴りが遠のき、炎や咆哮が薄くなる。
視界の中心が研ぎ澄まされ、エルダードラゴンの動きだけが鮮明になる。
次の瞬間、足が強く床を蹴った。
懐へ疾走。
爪を剣先でそらし、刃を滑らせ、身体をひねり、屈み、跳躍して抜ける。
一撃ごとに命が削られる距離を、滑り込むように進んだ。
エルダードラゴンの右腕の付け根に、一瞬だけ「止まり」が生まれる。
その隙を逃さず、ダリウスは剣を鞘に納めた。
鞘鳴りが耳の奥で鋭く響く。
腕へ飛び乗り、鱗の凹凸を蹴って駆け上がり、露出したコアのある胸部へ跳躍する。
「——《月下無痕》」
抜刀の軌跡が鋭く走った。
居合から放たれる音速の二撃。一撃目の後、二撃目が“避けた位置”へ追従して刺さる。
(入った——!!)
確信した。間合いもタイミングも完璧。
だが。
空を裂く音だけが虚しく響いた。
剣先は届いていない。
エルダードラゴンが、ほんのわずか後ろに滑った。その微小な「下がり」だけで、二撃は空振りに変わった。
黄金の片目が、愉悦をたたえてダリウスを見下ろす。
まるで「その技は見た」と言うみたいに。
(こっ……こいつ)
背筋が冷える。
(俺の間合いを——学習しやがった)
次の瞬間、爪が背中へ迫る。
「戻れ!!!」
オットーの怒鳴り声。
ダリウスは無理に身体をひねり、直撃だけ避けて地上へ落ちる。
床を転がり、滑り込むようにシールドの裏へ飛び込んだ。
膝と手が床に沈む。肺が熱い。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「クソが!」
オットーが盾越しに怒鳴る。
「学習力もあるってかよ、 あのバケモン……!」
爪が叩く振動が全身を揺らす。
硬さでも強さでもない。覚えて、楽しんで、次を作る相手だ。
それでも折れない。
「オットー、もう一度行く」
「無理だ、 あと十五秒もねぇ!」
残り時間。さっきの一撃は読まれた。
だがダリウスの目はまだ死んでいない。
「間合いを使うんだろ」
「……?」
「あの技の弱点は……俺が一番わかってる」
盾越しにオットーを見る。
「オットー。限界までシールドを前線に押し上げてくれ」
「できれば——奴の懐まで」
オットーが鼻で笑う。
「無茶言いやがる」
そして、すぐに続く。
「……わかったよ、リーダー」
オットーはシールドの光を全開にし、じり、と前へ出た。
爪が盾を叩く。火花。床のひび。
それでも一歩、また一歩。
「……っ、くそ……これ以上は……!」
目前まで来た。懐だ。
殺気と熱が直で刺さる距離。
「——今だ、行け!!」
叫びと同時に、強烈な一撃がシールドを打ち据えた。
オットーの身体が後ろへ吹き飛び、シールドが床を削って滑る。
その瞬間、ダリウスは走っていた。
崩れ落ちる盾の影を抜け、距離を詰める。
腕へ飛び乗り、鱗の間に爪先を引っかけ、駆け上がる。
露出したコア。
自分が穿った傷口がまだ開いている。
「——《月下無痕》」
低く告げた。
エルダードラゴンがびくりと反応し、一歩後ろに下がる。
だがその瞬間、ダリウスの剣はまだ鞘の中だった。
斬撃は来ない。
ただ、コアの真正面で眼を見ているだけ。
(虚だよ!)
ドラゴンの重心が揺れた。
「避ける一歩」が無駄になった刹那。
「《月下無痕》!!」
鞘走りが走る。
一撃目が、ドラゴンが下がった場所をなぞる。
二撃目が、逃げ道を塞いだ位置へ刺さる。
十字の二閃。
二つ目のコアが、真正面から十字に切り裂かれた。
ガラスが砕けるような硬質音。
眩しい緑光が吹き出し、緑の血と混じって噴き上がる。
飛沫が視界を染め、肌を打つ。
「——っ!」
ダリウスは体勢を崩しながらも飛び退く。
膝が笑い、視界が一瞬揺れる。
それでも、割れた手応えだけは残っていた。
(捉えた!)
エルダードラゴンの咆哮が、濁る。
苦痛と怒りと焦燥が混ざった声。
緑の血が胸元から滝のように流れ、巨体がよろめく。
その一撃で、戦いの温度が変わった。
遊びだったものが、殺し合いへ移った。
ダリウスも、オットーも、エドガーも、それをはっきり理解していた。
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川上 さくら 😈🔥 @同担拒否