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#ハッピーエンド
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コアを斬り裂いた瞬間、ダリウスは本能で悟っていた。
(——死だ!)
胸の奥で警鐘が鳴り響く。
(戻れ! 速く! 後方に——!)
けれど、足が動かない。
膝が笑い、筋肉が悲鳴を上げる。鉛を流し込まれたみたいに重い。
超集中の反動が、一気に全身へ覆いかぶさっていた。
その隙を、エルダードラゴンは見逃さない。
初めて巨大な顔に「焦り」の色が浮かぶ。
だが、その視線はダリウスに向かない。
狙うのは後方。最も危険な魔法使い。
エルダードラゴンが大きく翼を広げた。
次の瞬間、嵐のような突風が戦場を薙ぎ払う。
ミラが張っていた結界が、一拍の抵抗もなく吹き飛んだ。
「——っ!」
砕けるガラスのような音。
光の幕がバラバラに砕け散り、床へ落ちて消える。
ミラは思わず一歩下がった。もう片方の翼が、さらに深く息を吸い込むように持ち上がる。
(結界の——貼り直し、間に合わない)
ミラが息を飲んだ、その瞬間。
(——どうする)
オットーは歯を食いしばる。
前線からドラゴン、ダリウス、後方の二人。視線が何度も往復する。
(後ろに戻るか!? ダリウスを回収するか!? ちくしょう、迷うな! 正しい判断をしろ!!)
その迷いを断ち切るように、静かな声が落ちた。
「ミラ。私の身体を支えてください」
エドガーだった。
魔導書を胸に抱いたまま、ふらつきながら前へ一歩出る。
瞳に恐怖も迷いもない。固めた覚悟だけが残っている。
「えっ!?」
ミラは思わず声を上げた。「支えるって——」
「早く!!」
短く、鋭い声。
普段の穏やかな皮肉屋の声じゃない。余白を許さない声音だった。
ミラは反射的に動く。
エドガーの背中へ回り込み、身体を両腕で抱きとめるように支えた。
次の瞬間、世界が吠える。
エルダードラゴンの翼が振り下ろされる。
暴風が一点に叩きつけられ、その直線上にいるエドガーを襲った。
「っ——!」
エドガーの身体が、その場で風圧を受け止める。
皮膚という皮膚が裂けるような衝撃。鎧の隙間から細かい切り傷が一斉に開き、全身から血が吹き出した。
肩口が深く裂ける。
右腕は力なく垂れ下がり、指先から血が滴った。
それでも。
エドガーは魔導書から目を離さない。
「フォル……エルドゥス……アクト……」
唇からこぼれる言葉は震えている。
なのに声音だけは崩れない。
ページに刻まれた古い文字が、突風に煽られながら淡く光を帯びていく。
背後でミラの腕が震えた。
支えているのに、風の力が強すぎる。細い身体が押し出されそうになる。
(早く……回復を!)
ミラはネックレスをぎゅっと握りしめる。
「——女神の風よ、ひかりを運んで——!」
必死に祈り、加護を呼ぼうとする。
だがエドガーが、焦りを噛み殺した声を漏らした。
「間に合わない!!」
それでも詠唱は止めない。
「私の身体を支えるんだ、ミラ!! 倒れないように——それだけでいい!!」
続く突風が、さらに勢いを増して襲いかかる。
ミラは奥歯を噛みしめた。
足が地面から浮き上がりそうになる。
エドガーの背中を掴む。倒してはいけない。それだけが頭の中で回る。
だが、それでも足りない。
突風の刃は速い。容赦がない。
「——っ!」
暴風が二人まとめて薙ぎ払った。
エドガーは直撃を受け、細い身体が壁へ叩きつけられる。
鈍い音。魔導書が手から離れ、宙を回転して床に落ちた。
ミラも陰に隠れるように吹き飛ぶ。
致命傷こそ避けたが、衝撃で肺の空気が一瞬で抜け、声にならない悲鳴が漏れた。
ごとり、と乾いた音。
うつ伏せになったエドガーの口元から、赤黒い血がどろりとこぼれる。
(立て)
頭蓋の内側に硬い声が響いた気がした。
(立て、エドガー)
誰の声でもない。彼自身の声だ。
(立たなくては。魔導書を持て。詠唱しろ)
視界が揺れる。焦点が合わない。
指先の感覚が薄い。右腕はもう自分のものじゃないみたいだった。
(お前の役目は、“鉾”だ)
このパーティの構成は変わらない。
オットーが盾で、ダリウスが刃で、ミラが命綱で。
エドガーは“鉾”。
全員の命を預かる攻撃の要。
敵を倒す最後の一手。その責任から逃げたことはない。
(全員の命……預かってるんだ)
喉の奥から血がこみ上げる。
「ごほぉ——っ」
吐き出された血が床に暗い花を作った。
右腕はぶらりと垂れ下がる。力が入らない。
魔導書に手を伸ばしても、指先が震え、掴めなかった。
(……腕が、やられた。魔導書が——持てない)
左腕も壁に叩きつけられた衝撃で感覚が鈍い。
膝は砕けそうに痛い。立つだけで精一杯だ。
(立てない。魔力も……切れかけているのか)
現実が冷静に積み上がっていく。
それでも。
エドガーは自分を諦めない。
耳にドラゴンの咆哮。
風が止んだあと、巨体が向き直る先は前線で踏みとどまる男。
オットー。
エルダードラゴンは満足げに目を細めていた。
玩具を品定めするような視線。
その顔を見て、エドガーは奥歯を噛み締めた。
オットーは前だけを見ている。
ダリウスが膝をつき、エドガーが壁に叩きつけられ、ミラが必死に立ち上がろうとしている。
それらは視界の端へ追いやられる。
目の前にいるのはただ一体。
巨大で、殺意と愉悦を宿したエルダードラゴン。
(——時間を稼げ)
オットーは心の中で命じる。
(誰かが起き上がるはずだ。ダリウスでも、エドガーでも、ミラでもいい。
誰かがまた前に出られるまで——)
胸の奥が静かに熱くなる。
(それまで信じて、決して倒れないのが、盾だろうが!!)
昔から変わらない矜持。
若い頃。筋肉も反応も今より鋭かった時代。
前線で何度も叩きのめされ、そのたび心のどこかが折れかけた。
「もっと楽な役割がいい」「火力職の方が格好いい」
そんな考えが頭をよぎったことも、一度や二度じゃない。
それでも最後に残る問いがあった。
——一番最後まで立っているのは、誰でありたい?
答えはいつも同じ。
後ろで震える仲間がいてもいい。
背に隠れて泣きそうな奴がいても構わない。
自分が一歩も退かなければ、その一歩分だけ命が伸びる。
(それが、俺の選んだ戦い方だ)
エルダードラゴンの爪が、またひとつシールドを叩く。
ガギィン——!
金属が悲鳴を上げる。
魔力で強化されたシールドが、衝撃のたびにびりびり痺れた。
「……っぐ」
呻き声を噛み殺す。
歯が軋み、腕が痺れ、膝が悲鳴を上げる。それでも踏ん張る。
(まだだ。まだ折れねぇ)
わかっている。無敵の壁じゃない。
稼げるのは時間だけで、永遠じゃない。
だからこそ。
(“もたねぇ”時間を、どれだけ“もたせるか”が、俺の仕事だろ)
だが、その覚悟とは裏腹に。
限界は唐突に来た。
シールドの光が、ぱちり、と一瞬だけ強く瞬く。
次の瞬間、明かりが消えるみたいに暗転した。
「っ——!」
耳を裂くような破砕音。
シールドが砕け散った。魔力の盾も金属の板も、支えてきた防壁が一度に消える。
その瞬間。
エルダードラゴンの爪が迷いなくオットーの腹を貫いた。
「……っが——!」
熱い鉄の棒を突き刺されたような衝撃。
臓腑を掻き回される痛みが視界を白く塗りつぶす。
「「オットー!!」」
ダリウスとエドガーの叫びが、どこか遠くで聞こえた。
口の中が生ぬるい液体でいっぱいになる。
ごぼり、と赤黒い血が喉から溢れ、顎を伝って滴った。
「ごぼぉ……」
笑おうとすると、血が喉を焼いた。
それでもオットーは笑った。どうしても、そうしたかった。
(あぁ……俺は、ちゃんと“最後まで”立ってたよな)
誰に問いかけるでもなく、その言葉が浮かぶ。
シールドは砕けた。腹は貫かれた。立っていることすら難しい。
それでも、仲間が再び戦える舞台は繋いだ。
(……時間は、稼げた)
それだけは言える。
血の味と一緒に、かすかな悔しさも上がってくる。
(本当はよ、もっと粘りたかったけどな……)
それでも後悔ばかりじゃない。
最後の最後に、もうひとつだけ手札が残っている。
オットーは腹に突き刺さった爪を見下ろし、ニヤリと口角を上げた。
「……悪いな」
掠れた声が、喉の奥からこぼれる。
「使うぜ」
それが何を意味するのか、ここにいる三人は誰よりもよく知っていた。
「だめだ!」
ダリウスの声は悲鳴に近かった。「使うな! 俺が戻る!」
けれど、その足は動かない。
膝がひりつき、筋肉が悲鳴を上げ、地面に縫いつけられたみたいだった。
オットーは腹に刺さった爪を見下ろし、ふっと笑った。
悔しさも、安堵も、少しだけ名残惜しさも混じった笑み。
これが本当に「最期」かもしれないという覚悟が、静かに滲む。
「……また会えるといいな」
ぽつり。
誰に向けた言葉かは、もう考えない。
オットーは低く呟いた。
「《阿修羅》——解放」