グランの中心街に薬瓶専門の工房を構える男は、今朝受け取ったばかりの封書を前に困惑していた。普段はほとんど座ることのない、工房の隅に置かれた作業机の上に広げた手紙は、彼にとって救世主となるか、それとも破綻への誘いか。
「ガラスの食器……?」
技術的には瓶を作るよりも簡単そうだが、この国での食器と言えば陶器か木製が当たり前だ。作ったところで世間から受け入れられるかは怪しい。
けれど、液体の薬に代わって粉末の薬が出回り出した今、一気に薬瓶の注文は減ってしまった。どうすればと頭を抱えていたところだった。届いた手紙を信じる以外に工房を守る方法はなさそうだ。
――作ってみるなら、何から? どんな物を?
受け取った手紙に記されていたのは、薬瓶と並行して、ガラス食器等の新しい製品を作ってみてはいかかでしょう、というザックリした提案。工房が出来てから代々受け継がれている型通りの薬瓶しか作ったことが無い彼には、新しい物と言われてもピンとこなかった。
なので、彼が森の館へ馬を走らせたのは当然の行動だった。
「お初にお目にかかります。ガラス工房を営んでおります、ランドウッドと申します」
少し緊張気味に頭を下げて挨拶をした相手は、領主の姪であり、森の魔女。グラン家でよく見る栗色の髪だが、想像していたよりも若くて驚いた。彼自身は直接の取引はしたことが無かったが、ベルが薬店経由で彼の作った薬瓶を使っていることだけは知っていた。
勧められて腰掛けたソファーの弾力に一瞬バランスを崩しそうになり、慌てて体勢を整える。遠慮がちに浅く座ろうとして失敗したので、咳払いをして誤魔化しながら深く腰掛け直した。
「ガラス製品のお話かしら?」
「はい。せっかくご提案いただいたのに、私には具代的に思い付かないもので、お知恵をお借りできないかと」
「それなら、適任者がいるわ」
にこりと微笑んで、ベルは端に控えるマーサへ葉月を呼ぶよう声を掛ける。作業部屋にいた少女は呼ばれるとすぐにホールへ顔を見せた。
「彼女の生まれた国ではガラスを使った品がたくさんあったそうよ。きっと参考になると思うわ」
紹介された黒髪の少女はランドウッドに会釈すると、ベルの隣へと座った。彼にとっては孫のような年齢の少女は、一冊のノートを少し自信無さげに差し出してきた。
「すみません、まだ字は書けないので、絵にしてみたんですが、絵もあまり上手くなくて」
そう言って渡されたノートを開いてみると、葉月が思い出せるガラス製品のイラストが並んでいた。食器類だけでなく、金魚鉢や水槽、花瓶など、この世界でも需要がありそうな物もあれば、ビー玉やアクセサリー、ガラスの靴なんかも描かれている。
いざガラス製品で何があったかと聞かれても、あまりたいした物はあげられ無かった。専門的な知識は持たない普通の女子高生にはこれが限界。ガラス細工なんかも思い浮かんだが、どう説明すればいいか悩んだ。
それでも、ランドウッドは感心したように頷きながらページを捲っていた。彼が思っていたよりも、ガラスは可能性を秘めた素材だったようだ。
「花瓶は陶器で作られた物しか見たことありませんでしたが、ガラスで作ってみるのも良さそうですね。薬瓶のサイズを変えるだけでも花瓶になりそうだ」
「ガラスの花瓶。素敵ね」
言葉で説明するよりも分かりやすかったらしく、ベルも首を伸ばしてノートを覗き込んでいた。
「一番普及しているのはガラス製のコップで、冷たい飲み物用に家でもお店でもありました」
話している内に、理科室のビーカーやフラスコ、シリンダーもガラス製品だったなと頭に横切ったが、工房の生産の柱にはなりそうも無いので黙っておく。
自宅にあった父自慢の江戸切子や琉球ガラスのことを思い出して、グラス類も独特の色や加工があるものは工芸品として評価されていたと話すと、ベルが手を合わせて喜んだ。
「そうよ、ガラス製品をグランの特産品にしましょう」
グラン領は肥沃な土地のおかげで農作物に恵まれているが、これといった特産品はない。まだ他では出回っていないガラスの加工製品を作ることができれば、他領との差別化を図れるかもしれない。
「良い物が出来たら、セリーナ叔母様に見ていただくと良いわ」
「領主様の奥様ですか?」
「ええ。叔母様は目利きができるそうよ。その際は紹介状を用意するわ」
現在の領主の妻であるセリーナは商家の生まれだった。結婚前は親の商会を手伝っていたこともあり、物を見る目は確かだ。彼女に認めて貰えれば、実家の商会経由で流通に乗せてもらうことも可能だろう。
「新しい物を作り出すのは大変でしょうが、技術はあるのだから期待しているわ」
そう、この国は発想力は乏しいけれど、技術力だけはある。欠けている物を補う為に葉月達はやってきたのかもしれないとさえ思う。