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❖緋底(ひぞこ)
「……この土、しゃべってる……?」
耳を近づけたわけでもない。
けれど、確かに、赤土の地面から“声”が漏れていた。
最初はかすれたノイズのように。
次第に明確な言葉になり、誰かの名前を呼ぶ声が混ざった。
駅名は緋底(ひぞこ)。
ホームから出た瞬間、強烈な赤茶けた光景に包まれる。
地面はすべて乾いた赤土で覆われ、
街の建物は腰の高さまで土に飲まれている。
空は曇天。
風はないのに、土だけがふわりと舞い上がる。
降り立ったのは、岸本 詠一(きしもと・えいいち)、29歳。
ラフなジャケットにデニム、スニーカーはすでに土で染まっていた。
髪は短く刈り上げ、耳にはピアス。
手には、録音アプリの画面を開いたスマホを持っていた。
彼は音響素材を探して旅をしているフリー編集者だ。
「……BGM素材に使えそうだけど……なんだ、この音……」
録音を始めると、スマホの波形は**はっきりと“言語パターン”**を検出し始めた。
画面の翻訳には、こう表示された。
【録音内容:女性の声/言語:不明/内容例:「……こっちに来ないで」「やめて」】
【一致記録:0件】
詠一は、道の先にぽっかりと開いた地割れのような窪みを見つけた。
それは大人が一人、ぎりぎり通れそうな穴。
そこから、はっきりと「録音されたような声」が繰り返されている。
「……っかってるって……っから!」 「なに言ってんのよ、あんたは!」 「……たすけて……たす……け……」
どれも、現実感のない音質。
まるで古い留守電のような、壊れかけのスピーカーのような。
だが、その中に、ひときわ澄んだ音が混ざっていた。
それは、詠一の母の声だった。
「……詠一、起きて……あんた、どこ行ったの……」
思わず地面に手をつく。
指先に赤土が染みこみ、じっとりとした冷たさが伝わってくる。
彼は、母親が亡くなる直前の夜を思い出した。
喧嘩したまま家を飛び出し、そのまま——会っていない。
「……なんで、今……」
スマホの画面が突然、真っ赤に染まり、アプリが強制終了された。
同時に、地面の中から複数の手形が浮かび上がる。
土の中に引きずり込まれる感覚——
気づいたとき、詠一は南新宿駅のホームに倒れていた。
スマホは割れていたが、音声ファイルが1件だけ再生可能だった。
タイトルは、「Record_0000」。
再生すると、あの夜の母の声が、明瞭にこう言っていた。
「……もう一度、話せるなら、怒らないよ」
彼は、スマホを胸に抱えたまま、
しばらくホームのベンチで、目を閉じていた。