私は陰から、何か、形容できぬ壁越しに、彼女を見つめてゐる。彼女は美しく、この世のものとは到底思えない。神がこれを創り給うたなら、私は神に感謝しよう!神よ、どうも彼女をこの世に産み出してくれてありがとうございます、と!平伏して、私の思いを伝えたく思ひます。けれど、それと同時に、こう伝えたくも思ひます。神よ、どうか彼女を、私だけのものにさせて下さい!他の者が、決して目に入れぬように!他の者が、決して彼女を知ることが一生涯ないように!と!
私は、彼女を心より愛している。彼女の一挙手一投足、全てが私には真新しく、優雅さと神秘さを持って、私に迫ってくるのだ。彼女は事あることに、私を魅了し、誘惑してくる。「ほら、僕は美しいでせう?僕の元に、駈け寄ってきて頂戴?」と。けれど、ああ、私は、彼女の元に向かうことはできない!彼女と僕との間には、隔たりが、決して触れ合えぬ壁があるのだ。その壁が、なんと憎たらしいことか!どう足掻こうと、どうなることもならない壁。私が何をしようと、沈黙を続ける壁!ああ、そうやって、悠然と構えている姿が、なんと憎たらしいことか!
壁は、劇場の舞台と観客席のようなものなのだ。彼女は劇場にゐて、ああ、その眉目秀麗さを舞台が引き立ててゐて、私達はそれを眺めるのです。正面の最前列からでも、桟敷席からでも、好きなところから、好きなように、眺めることができます。望むのなら、舞台裏にだって赴くこともできますし、舞台に上がることだってできるのです。けれど、彼女が、私をその瞳で射貫くことはないのだ!彼女が僕のことを認識し、「ああ、今日は。君、僕に何か用かい?」なんて、優しい声音で聞いてくれることは決してないのだ!
全ては仕組まれていて、脚本通りに動いてゐるのだ。単なる、時間潰し。長い長い人生の余暇に過ぎないのだ。他の人間も、そのことを十二分に理解して、彼女を見やる。どれほど彼女が華美に振る舞おうとも、「ほれ、見ろ、なんて美しい女なんだろう!こんな女が、ゐてくれたらなぁ!」なんて、冗談混じりに、軽率に、他の人間は言うのだ。そして、自分の気が済んだなら、フーテンした若者みたいに、ぶらぶらと劇場を後にするのだ。その後、気儘に、馬鹿みたいな、愚かな生活を繰り返しながら、彼女のことを忘れてゆく。そして、私みたいな人間を見つけたなら、その汚らしい顔を綻ばせて、「なんだ、君、まだあんな子供騙しに現を抜かしているのかい?そろそろ、大人になったらどうなんだ?」なんて、私のことを嘲笑するのだ。畜生め!お前達はそうやって、私の居場所を侵してくるのだ!それで、私を馬鹿にするだけならいいのだが、「あの女、それほど麗しい女だったか?あの劇場も、外面だけだっただろう?あんな女は、どんな両親の庇護の元で育ったのだろうねぇ!あんな、粗野な女!」なんて、言ふのだ。黙れ!黙れ!人を規定し、箱の中に納めてくる、クソみたいな、人間!けれど、いいのだ。彼女のことは、私だけがわかっていたら良いのだ。笑え、笑うがいい。勝手にし給へ。彼女は、私にのみ微笑んでくれたらいいのだ。
彼女はいつも、私の眼前にいる。いつも、私の傍にいてくれて、私を励ましてくれるのだ。「ほら、君、僕が付いているんだから、背筋を正し給え。僕が、いるんだからね。」と。けれど、君はいない!いないのだ!分かってるだろう!そうだろう!なぁ!
私が望むのは、ただ、彼女を味わうことなのだ。その髪、その瞳、その所作、その香り、その声音、五感を持って、いや、ほんの少しでいいから、味合わせてもらいたいだけなのだ。ただ、それがなんと難しいことか!ただ、これだけなのだ。やれ彼女の夫になろうとか、彼女の親友となって、彼女を導こうとか、そんなことは出来なくて良ひのだ。ただ、ただ、どうか、頼むから、私の傍に来てくれ給え!どうか、どうか、私に、その姿を現しておくれ!後生だから!ねぇ!
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