テラーノベル
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まどかの記憶は、今にも戻りそうだった。田島は、それがどれほど彼女に負担をかけるかを理解していた。
だが、止めるわけにはいかない。
まどかの腐敗は、ゆっくりだが確実に進んでいた。
時間は、もうそう残されていない。
「なぁ、俺の腕、食うか?」
田島の言葉は、冗談とも本気ともつかない。
まどかは少し眉をひそめて言った。
「……いやよ、そんな毛むくじゃら」
その言葉とは裏腹に、彼女の口元からよだれがきらりと落ちた。
田島はそれを見て、笑うこともできず、ただ焦りを募らせた。
「とにかく急ごう」
田島は、まどかの記憶を引き出すため、あの動画を再生した。
アイドルグループの公式チャンネルに投稿された「新マネージャー就任記念」の映像。
メンバーたちが堀北を囲み、笑顔で祝福している。
「死ぬ直前に見た人物、覚えてる?」
田島はオブラートに包まず、まどかに問いかけた。
「この動画に映っているだろ?」
堀北が花束を受け取るシーンで一時停止する。
まどかは、画面を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……思い出した」
田島の予想通りだった。
まどかを殺したのは、マネージャーの堀北。
そう確信しかけた田島は、念のため言った。
「一応、指さしてみて」
まどかはゆっくりと画面に指を近づける。
その指先が堀北に届く寸前、まどかは方向を変えた。
田島の表情が一変する。
「えっ……差し間違い?」
まどかは首を横に振った。
「メンバーだよな? その子」
まどかが指さしていたのは、佐々木由香。
グループの中では、まどかに次ぐ人気を誇っていた。
だが、センターの座は常にまどかのものだった。
由香は、あと一歩で届かないその距離に、ずっと苦しんでいた。
そして、その苦しみは、やがて嫉妬へと変わっていった。
その瞬間、まどかが泣き崩れた。
「記憶が……記憶がすべて押し寄せてくる……」
田島は慌てて声をかける。
「だ、大丈夫か……」
しばらく泣き続けたまどかは、ようやく冷静さを取り戻した。
「ごめん……もう大丈夫」
そして、まどかはゆっくりと真相を語り始めた。
グループは長らく人気が出ず、低迷していた。
そんな中、堀北がマネージャーに就任する。
噂は本当だった。彼はもともと熱烈なファンで、人気の低迷を危惧して業界に飛び込んだ。
ファン心理を熟知していた堀北は、巧妙な戦略でグループの人気を急上昇させた。
テレビ出演が増えるにつれ、まどかの中性的な雰囲気が注目され、センターとしての存在感が際立っていく。
だが、それは同時に、メンバー内の格差を生み出した。
特に佐々木由香は、異常なまでの嫉妬心を抱いていた。
まどかは、由香がそれほどの嫉妬心を抱いていることに、まったく気付いていなかった。
……気付いていれば、何か変えられたのだろうか。
そんな問いが、まどかの胸に静かに残った。
まどかが殺される寸前、由香はその感情を吐露していた。
「あなたばっかり……どうして、あなただけ……」
その言葉が、まどかの記憶の最後に刻まれていた。
田島は、まどかの話を黙って聞いていた。
彼女の震える声、涙の跡、そして腐敗し始めた身体。
すべてが、彼女の“生きていた証”だった。
そして、真相は明らかになった。
まどかを殺したのは、堀北ではない。
──佐々木由香。
嫉妬に突き動かされた少女だった。
田島は、苦笑しながら呟いた。
「名探偵には向いてないな……」
マネージャーを疑った自分を、少し恥じた。
だが、ふと眉をひそめる。
「でも、妙だな」
まどかが殺されたとして、あの山奥まで由香ひとりで運ぶのは無理がある。
「共犯がいるよね?」
まどかは、静かに頷いた。
「うん、最後に見たのはその男」
「知ってるやつ?」
「知ってる。由香推しのファン……」
田島は言葉を失った。
「自分の推しを、まどかにけしかけたんだ……」
まどかは小さくうなづいた。
田島は、頭の中で点と点を繋げていく。
まどかの失踪は、公式には“卒業”として処理されていた。
ファンの間でも、突然の発表に困惑が広がった。
だが、今なら分かる。
メンバーが犯人なら、“卒業”という形の偽装工作も、それほど難しいものではない。
運営に理由を伝え、まどか本人の意思として処理すれば、誰も深くは疑わない。
むしろ、アイドルの世界ではよくある話だ。
殺される瞬間も、まどかは覚えている。
その恐怖心は、計り知れない。
だが、事の真相は意外なほどあっさりとしたものだった。
ふたをあけてみれば、女の嫉妬劇。
それが、アイドルグループの中で起きたのだ。
まどかが、ふと呟いた。
「グループの名前、UNDONEって意味知ってる?」
田島は首をかしげる。
「ごめん、変わった名前だとしか……」
「だよね。これね、未完成って意味なの」
「未完成……」
「私たちみんな、何らかの問題や秘密を抱えていた子の集まりなの。不登校、いじめ……そして私にも秘密がある」
田島は、まどかの“秘密”には触れず、聞き流すことにした。
「だから未完成?」
「うん。直接的ではないけど、ぽくない?」
まどかが笑った。
その笑顔は、腐敗した身体の中に、確かに“生きている”まどかの魂が宿っていることを示していた。
「でも……真相は明らかになったけど……」
田島の声が沈む。
「……けど?」
まどかが問い返す。
田島は言葉に詰まった。
これをどう処理すればいいのか。警察に駆け込むことはできない。
そもそも、ゾンビとして一度死んだ人間が生きているという事実自体が、大きな壁になっている。
まどかの正体も、真相もわかった。
なのに、どうすることもできない。
結末を読み間違えた……いや、勢いだけで安易に考えていた。
田島はうなだれるように、その場に座り込んだ。
そんな田島を見ていたまどかが、クスッと笑う。
「そんなの簡単よ」
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