窓は開いていなかった。けれど、どこかから風が入ったような気がした。
熱を抜けたあとの静けさは、いつも思ったより澄んでいる。
互いの体温が重なっていたことさえ、嘘みたいに遠ざかっていく。
蓮司は、寝返りひとつ打たない遥の背中を眺めながら、指先でシーツの縁を引き寄せた。けれど、それを遥に掛けることも、まして触れることもせずに、そっと離す。
「――ちょっと動かないで。今、めっちゃいい角度してる」
そう言いながら、ベッド脇の椅子に投げてあった鞄を引き寄せ、ノートとペンを取り出す。いつものノート。落書きも、課題も、どうでもいいことも詰まったページの裏に、ざらついたペン先を走らせる。
遥は応えない。だが、薄く開いた目がゆっくり瞬いたのを、蓮司は見逃さない。
拒絶も、同意も、媚びもない。まるで、風景の一部みたいに、遥はそこにいた。
「――なあ、いつかこれ、画材にしても怒らないでね。裸婦像ってやつ。まあ、お前、男だけど」
ペン先を止めずに、蓮司は勝手なことを口にする。
それに対して遥はまた黙ったまま、まぶたを半分だけ閉じる。眠気なのか、無関心なのか、あるいはただの沈黙なのか。
でも、そのわずかに脱力した目の端には、わずかな光が浮かんでいた。
すべてを拒むわけじゃないけれど、求めてもいない。
おそらく、そういう目だ。
蓮司は輪郭をなぞる。首筋のライン。頬にかかる髪の影。
冷めてなお柔らかさの残る肩の傾斜と、虚ろに浮いた瞳の輪郭。
「……色気出そうとしてないのに、色気あるの、なんかずるいよな。お前って」
返事はなかった。期待もしていない。
ただ、描いている。自分のためでも、遥のためでもない。
残るかどうかも知らない線を、ただ走らせている。
やがて、ノートを閉じると、蓮司はため息とも笑いともつかない吐息を洩らし、再びベッドに身体を預けた。
遥の体に触れないように、しかし近くにいるように、重なりきらない距離感で横になる。
目を閉じる前、ちらりと横を見る。遥は、さっきと同じ顔で、同じ呼吸で、ただ黙っていた。
まるで何もなかったように。けれど確かに、ここにいた。