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昼休みの喧騒が、今日はいつも以上に耳障りに感じた。
「ねぇ、見た?
昨日の帰り、天野と神崎が一緒だったんだって」
パンをかじりながら囁くクラスメイトの声が、朔の耳に刺さる。
「傘に一緒に入ってたらしいよ。男女でもないのに、あれってさ」
クスクスと笑う声。
視線が、汚れた消しゴムみたいに転がって朔の方へ向けられる。
朔は急いで席を立ち、廊下へ出る。
呼吸が浅くなる。
胸の奥が痛む。
(なんで、そんな言い方を……)
だが痛みよりも先に浮かぶのは、晴弥の顔だった。
噂なんて気にしない。
そう決めていたはずなのに。
朔はどうしても、晴弥がこれを聞いたらと思うと足が震えた。
(晴弥……どう思った?)
廊下の奥で、朔は“その本人”と目が合った。
晴弥は冷たい視線を向けたあと、一瞬だけ表情を曇らせる。
その後すぐ、感情をすべて伏せた顔に戻した。
「……お前、先に行けよ」
そう言って、朔の横をすり抜ける。
声は静かな怒りを含んでいた。
「ちょっと待って、晴弥」
呼び止めようと伸ばした指先が、空を掴む。
晴弥は、噂を知らないはずがない。
朔と一緒にいることで、注目を浴びている現状を――一番よく理解しているのは彼だ。
「迷惑……なの?」
裂けるように、声が震える。
晴弥は振り向かない。
(言ってくれたらいいのに。
どう思ってるか、少しでいいから)
言葉にならない想いばかりが積み上がり、朔の胸を圧迫した。
放課後。
空からまた、細い雨粒が落ち始める。
昇降口の靴箱で傘を探すが――
(あれ、ない?)
昨日晴弥に貸してもらった傘。
返却されていないのはいつも通り。
代わりに、黒い折りたたみ傘が一つ、無造作に置かれていた。
手に取ると――それは晴弥の傘だった。
握った瞬間、心臓が大きく脈打つ。
「……貸してくれたんだ」
嬉しさが胸の奥に広がる。
まだ繋がっているのかもしれない――そんな期待が芽生える。
靴を履き替えて外へ出ると、傘も差さず、雨の中を歩き出す後ろ姿が見えた。
晴弥だった。
「晴弥!」
朔が傘を手に走り寄る。
雨粒が肩に跳ねて弾ける。
もう少しで追いつく――
そう思った瞬間、晴弥は振り向きもせず歩幅を大きくする。
朔との距離を、まるで意図的に――。
「待ってよ!
なんで……逃げるの?」
声が震えて喉を突く。
晴弥は止まらなかった。
その時、近くを歩いていた男子が朔に声をかけた。
「天野、大丈夫? 急に雨だし、これ使う?」
彼が差し出したのは、新しいビニール傘。
朔が受け取ろうと伸ばした手は――
その瞬間、強い雨風の向こうから刺すような視線を感じて、止まった。
晴弥が、立ち止まっていた。
だが次の瞬間、晴弥は何も言わず背を向け――
朔を、そのまま置き去りにして歩き去った。
泥が弾け、晴弥の靴と背中に雨が叩きつける。
黒い髪が濡れて、首に張り付く。
朔の胸が、ぎゅっと掴まれたように痛んだ。
(嫌われた……?
俺のせいで噂になって、迷惑かけて……
だから距離をとってる……?)
全てが自分のせいに思えて、足が震える。
気づけば雨音は、自分の呼吸をすべてかき消していた。
朔の手から滑り落ちた傘が、地面にカタンと倒れる。
「……俺、そんなに……ダメだったの?」
一瞬だけ視界が揺れ――涙か雨か、もうわからなかった。
その時、肩を叩く手があった。
「天野、大丈夫か?
……アイツ、悪い奴じゃなさそうだったけど」
別のクラスメイトの声。
朔は弱く首を振る。
「俺が悪いんだ。
ごめん。なんか、色々……」
「なんでお前が謝るんだよ。
もし迷惑なら、そもそも最初から仲良くしねえだろ」
それだけ言って、友人は去っていく。
朔は、倒れていた晴弥の傘を拾った。
まだ手の温度が残っている気がして、胸が熱くなる。
(本当は、晴弥だって……俺を避けたいわけじゃない)
噂を気にして、自分を守るように距離を置いている――
そんな気がした。
でも、言葉がない。
触れられない。
届かない。
空は暗く、雨は強くなる一方だった。
朔は濡れた髪をかき上げ、固く唇を噛む。
――ちゃんと、向き合いたい。
逃げたくない。
すれ違ったまま、終わらせたくない。
抱えた傘を胸に、朔は心の中で呟く。
(もっと言葉にしなきゃ。
届くまで、やめたくない)
雨粒の冷たさとは裏腹に、その想いだけは燃えていた。