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放課後の帰り道。
梅雨の終わり特有の湿った風が吹き、空にはまだ夕立の気配はない。
だというのに、二人の間だけがどこか重たく濁っていた。
朔はいつもより二歩後ろを歩いている。
晴弥は気づかないふりをして、歩幅を変えない。
「今日も、なんか冷たかった」
小さく漏れた朔の声。
聞こえていないはずがない距離なのに、晴弥は答えない。
その沈黙に耐えられず、朔は急ぎ足で並び、晴弥の袖を掴んだ。
「ねぇ、どうして逃げるの?」
「逃げてねぇよ」
振り払うでもなく、強く否定するでもなく。
ただ、感情を見せたくない、そんな抑えた声音。
朔は眉を寄せたまま、晴弥の顔を覗き込む。
「俺、何かした? 嫌われるようなことした?」
晴弥は俯き、無愛想な表情で視線を逸らす。
(違う。そうじゃない)
(自分の気持ちが、怖いだけだ)
でも、言えない。
「……別に。そういうのじゃない」
「じゃあ、どういうの……?」
一歩踏み込んだ朔の言葉に、晴弥の喉が詰まる。
その時、ぽつり、と頬に湿り気が落ちた。
空を見上げると、黒い雲が静かに広がり始めていた。
「晴弥、俺……っ」
朔は震えた声で続ける。
「俺のこと……嫌いになったなら、言ってよ……」
その言葉が胸に刺さった。
嫌いなんかじゃない。
むしろ――。
けれど、その先を言葉にする勇気が、どうしても足りない。
「……めんどくせぇよ」
ぽつりと零れた言葉。
本心を隠すための、最低な選び方。
朔の瞳が、揺れた。
雨が降り始めたわけではないのに、光を反射して濡れて見える。
「……そうなんだ」
小さな声。
小さすぎて、雨音に消えそうな声。
「ほんと、無愛想だよね。晴弥は」
「……」
「でも、俺……そんなとこも、好きで……」
言いかけて、朔は自分で口を塞ぐ。
心の奥に隠していた想いが、勝手に溢れそうになる。
晴弥が目を見開いた。
(好き……?)
その瞬間、玄関灯が柔らかな光を落とした。
朔の家の前だった。
雨音が強くなり、二人の肩と髪を濡らしていく。
朔は濡れた前髪の向こうで、無理に笑った。
泣いているのを悟られたくない子供みたいに。
「もういいよ。帰って」
踵を返そうとした腕を、晴弥が咄嗟に掴んだ。
初めて、強引に。
「……よくねぇよ」
その声は震えていた。
朔の腕を掴む手にも、力が入っている。
「お前が何思ってんのかは、知らねぇけど……」
晴弥は言葉を探すように、雨の中で口を開閉する。
「……嫌いじゃ、ない」
雨音が二人の呼吸を包む。
遠雷が小さく響いた。
朔は振り返らない。
だが肩が震えている。
「……じゃあ、どうして?」
晴弥は答えられない。
本音をぶつけることが、どうしようもなく怖い。
朔の頬から、雨と涙が落ちる。
それが自分のせいだと気づいているのに、言えない。
「……俺さ、近づきすぎると……壊れんだよ、いろいろ」
晴弥は呟いた。
それが、今の自分にできる精一杯の告白だった。
朔はゆっくり顔を上げる。
濡れた頬に貼りついた髪をそのままにして、晴弥を真っ直ぐに見つめた。
「壊れたっていいよ。俺、晴弥となら……」
言い終える前に、晴弥は朔の手首を掴んだ。
ぎこちなく。
でも拒絶ではなく、求めるような力で。
雨に濡れた掌が重なる。
玄関灯の淡い光に照らされながら、二人の距離はほんの少しだけ近づいた。
「……俺、今すぐは無理だ」
「うん」
「でも……逃げねぇから」
「うん」
朔は泣きながら笑った。
その顔を直視できなくて、晴弥は少しだけ目を逸らす。
夕立が、二人の間の緊張を洗い流すように勢いを増す。
それでも、離れない。
二人の指は、まるで確認するように、ゆっくり絡んだ。
雨の中、言葉にならない想いだけが確かに伝わっていった。
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瀬名 紫陽花