交通事故で恋人の菜々子を失い、弱っていた自分がいたのは事実だった。
そこへ玲子が声を掛けて来た。
今思えば、彼女と深い関係になるべきではなかったと、涼平は後悔していた。
いくら、付き合わなくてもいいと言われたからと言って、
女性側にその責任を全部押し付けるのは男として卑怯だ。
涼平は、今日玲子に誠心誠意謝るつもりでいた。
ひどい事を言われる覚悟もできている。
それほど涼平は今回の引っ越しを機に、何もかも全てをリセットしたいと思っていた。
この地へ移り住んできた事によって、涼平は何かが変わる予感がしていた。
先にカフェに着いた涼平は、自転車を停めてカフェに入る。
するとカウンターには詩帆がいる。
詩帆に気づいた涼平は、まっすぐカウンターまで歩いて行った。
「いらっしゃいませ」
詩帆は涼平が近づくと顔を上げて笑顔で迎えた。
『あ、昨日の朝の人だわ』
詩帆は昨日の事を思い出す。
涼平の姿を一度見たら忘れる人はいないだろう。
がっちりした肩と厚い胸板、そしてブラウンの少し長めの髪には
緩くウェーブがかかっている。
白シャツの袖口や衿から伸びている腕や首元、そして彼の顔は真っ黒に日焼けしていた。
左の手首にはサーファー御用達の腕時計がはめられており、手には黒のリュックを持っていた。
彼の堂々とした立ち居振る舞いには、自信が溢れている。
きっとメンタルもかなり強い人なのだろう。
詩帆がそんな事を考えていると、
「ブレンドのグランデをひとつ」
涼平はコーヒーを注文した。
詩帆はすぐにコーヒーを用意すると、涼平に渡した。
それを受け取った涼平は、一瞬何かを言いたそうだったが、
「ありがとう」
と言ってコーヒーを持って奥の席へ向かった。
涼平が席に着いてから十分後の事だった。
店の自動ドアが開くと、カツカツとヒールの音を響かせながら、
三十歳前後の綺麗な女性が入ってくる。
髪は肩までのワンレングスで、黒のパンツスーツを着たその女性は、
カウンターには寄らずにそのまま客席へと向かう。
その女性は玲子だった。
玲子は窓際でゆったりとコーヒーを飲んでいる涼平を見つけると、
彼の傍へツカツカと歩み寄り、真向かいの席へ腰を下ろすと不機嫌な様子で言った。
「家じゃなくてなんでここなの? 私は住所を教えてって言ったのよ!」
玲子はいきなり涼平に食って掛かったような言い方をした。
すると涼平は、
「ごめん。でもさ、前にも言ったよな? もう終わりにしようって」
そして涼平はさらに続けた。
「中途半端な関係を続けて来た俺に全て責任がある。本当に申し訳なかった」
涼平は真面目な顔をして言うと、両手を膝に置いて玲子に頭を下げる。
すると玲子は怒りを露わにしながら、
「それは私の事が嫌いになったっていう事なの?」
玲子がそう捲し立てると、
「いや、好き嫌いの問題じゃなくて、そもそも俺達はそういう関係じゃないって最初に言ったよな?」
そう言ってから涼平はしまった! という顔をした。
「最低っ!」
玲子は吐き捨てるようにそう言うと、次の瞬間涼平の左頬を掌で思いきりひっぱたいた。
バチッ!
店内にその音が響き渡ると、客達が一斉に二人を見る。
すると叩かれた涼平は、左手で頬を押さえると、
ただただ玲子に向かって頭を下げるだけだった。
「あんたなんてこっちから捨ててやるわ!」
玲子はそう言い放つと、ガタンッ! と音を立てて椅子から立ち上がり、
再びヒールの音をカツカツと響かせながら店の外へ出て行った。
後に残された涼平は、参ったなという顔をしながら玲子の後ろ姿を見送る。
そして周りの人達に向かってスミマセンスミマセンと言いながらぺこぺことお辞儀をしていた。
詩帆は一連の騒動をカウンター越しから見ていた。
横にいた女性スタッフ二名も、その様子を見ながら、
「キャーッ、凄い!」
「ほんとほんと、ドラマみたいな修羅場!」
興奮した様子で囁いていた。
詩帆はというと、思わずフフッと笑っていた。
きっとあの人はこんな事くらいでは動じないだろう…
そう思っていた。
詩帆が予想していた通り、涼平はその後何事もなかったかのようにリュックからパソコンを取り出すと、
仕事を始めた。
しかしよく見ると、涼平の左頬には女性の手の跡がくっきりと残っていた。
相当強くひっぱたかれたのだろう。
詩帆は、涼平の隣の席に残されたマグカップを片付けに行くついでに、
店の保冷剤を一つ手に取り涼平の方へ歩いて行った。
そして、
「よろしかったらお使いください」
そう言って保冷剤を涼平のテーブルに置くと、
隣の席のマグカップを回収してからすぐにカウンターへと戻った。
涼平はその保冷剤を手に取ると、しばらくポカンとした様子で
詩帆の後ろ姿を見ていた。
しかし次の瞬間、
「やっぱ、いてぇな……」
そう呟くと、微笑みながら詩帆が持ってきた保冷剤を左の頬に押し付けた。
その保冷材は、熱を持った涼平の左頬にひんやりと心地よく感じた。
コメント
4件
モテ男は本当に大変....💦 凄い修羅場だったけれど( ̄▽ ̄;)アハハ.... これでスッキリ決別できて良かったですね~❗️😆👍️ クレーマー対応時といい、詩帆ちゃんは一切動じず 落ち着いていて凄い‼️😮
詩帆ちゃんって凄いわぁ、涼平さんが玲子に罵倒されてぶたれても、このくらいじゃ動じない,って分析して笑って保冷剤をスッと渡して終わらせれるんだよ、こんな凄い女子知らないんだけど🤭
プライドの高い女って本当に面倒🌀😤