セナさんに話を聞いてもらったおかげで随分と気持ちの落ち着いた私は、周囲を見る余裕が出てきたので、当初の予定通りに景色を楽しむ事にした。
青い空の下、広い庭園が美しい姿を広げている。それらは全て丁寧に手入れされていて、花々はとても瑞々しい。定番の薔薇だけでなく、百合や鈴蘭など、見知った姿の花がかなり多い事に少し嬉しくなる。どれも、私の好きな花ばかりだ。
温室や植木で作られた迷路っぽい雰囲気の場所も少し離れた場所に見え、興味を引く。今度案内してもらおうかな?——と、私が考えていた時だ。
「…… ——イレイラァ!」
遠くから声が聞こえ、私は即座に立ち上がり、声のする方に顔を向けた。予想通りの姿にパッァと気持ちが明るくなる。
(——カイルだ!)
「カイル!もう大丈夫なの?」
やっと目覚めたカイルの姿に安堵し、嬉しい気持ちで胸の中が一杯になる。
いつものラフな格好では無い、司祭の様な服に身を包んだカイルが、私の傍まで駆け寄って来た。嬉しさを前面に惜しみなく溢れさせながら、大きな体でギューッと私を抱き締める。そんな彼の温かな体温がとても気持ちい。
「イレイラッ!あぁ、イレイラ、良かった!元気になって、本当にっ」
「カイルも元気になったんですね。本当に良かったです」
彼の背に腕を回し、彼の抱擁に応える。その反応にカイルは喜んでくれたのか、抱き締めてくる力が強くなり、正直少し苦しい。
「——カイル様がいらっしゃいましたので、私はこれで失礼させて頂いてもよろしいですか?」
セナさんが立ち上がり、カイルに許可を求めた。
「あぁ、頼むよ。…… 二人で居たい」
「了解致しました。では、私も久方ぶりの妻に逢って来る事にしましょう」
『妻』というワードに私は驚いた。神官である事から、私は勝手にセナさん達は皆独身者だと思っていたからだ。
「セナさん、ご結婚されていたんですか?」
「はい。六年前に先立たれたので書類の上では単身者ですが、彼女の事は常に『私の妻』だと思っております」
微笑み、そう教えてくれる。
(そうか、セナさんも繰り返し愛している方がいるのか)
先程の言葉は、転生の先輩だからこそのアドバイスだったのだと改めてわかった。
「イレイラ様は、妻のエレーナにはもう会いましたよね?」
名前を聞き、庭に行く事を勧めてくれた神官の少女の姿が頭に浮かぶ。
「はい、あの小さな神官の子ですよね。…… え?確か、あの子はまだ五歳じゃ?」
セナさんは四、五十代の風貌だ。五歳の幼女を『妻』と呼ぶのは流石に色々問題ありな気がする。
「六年前は年上女房だったんです。なかなかお互いに適正年齢で再会出来ず、結婚まではせずに終わった人生もありました。記憶が無く、神官職につかないという期間もありますしね」
「あ…… 」
“神官”であるお二人も、私達のように出逢いと別れを繰り返しているのか。色々なものが噛み合わぬ事にヤキモキした事も多いのだろうと思うと、胸が痛んだ。
「セナ?もういい?流石にもう」とカイルがぼやく。もう彼は限界そうで、悪い事をしてしまったなと思った。
「失礼致しました。——では、私はこれで。予定がまとまりましたらまたご連絡致しますので、それまではお二人の時間をお楽しみ下さい」
セナが私達に向かい一礼し、神殿の方へ戻って行った。
「…… やっと、二人きりだ」
感無量の様子でカイルが呟く。彼はベンチに腰掛けると、私に向かい手を広げて見せてきた。
「座ろうか。少し話がしたい」
笑顔での『膝に座れ』アピールがスゴイ。悩む私に向かい、ぽんぽん膝を叩いて無言のまま圧だけで『早くっ』と続ける。これは断れないなと諦め、私はそっと彼の膝に座って、背後からの抱擁を受け入れた。
ギュッと抱き締めたまま、彼は黙っている。まるで私の健在をその身に染み込ませるかのように。私もそれに応え、彼の腕にそっと手を重ねた。
時間も忘れ、しばらくそのままでいると、カイルの方から口を開いた。
「体は、もう大丈夫?」
「はい、私はもうすっかり。でも、カイルは大丈夫なんですか?目が覚めたばかりですよね?」
「残念な事に本調子なんだ…… 。イレイラと一緒に居たいのに、きっとこの後謁見予定でびっしりになるかと思うと此処から逃げたくなるよ」
「それで、普段着ではないんですか」
「二度手間とって、君との時間を失いたくないからね」
カイルが私の頭を抱き寄せ、額にキスをしてくれる。ちょっと前よりもその口付けに甘さを感じ、少し肩が震えた。
「…… ごめんね?まさか倒れるなんて思っていなくて。過去に嫌な事があった場所なのに連れて行くなんて、軽率だったと反省している」
「いえ、もうその件は大丈夫です。セナさんと色々話して、ちゃんと…… 整理出来ましたから」
「セナと?…… 僕がその役をやるべきなのに、……悔しいなぁ」
私の肩に顔を埋めてカイルが抱き締める腕に力を入れる。本当に、悔しそうだ。
「…… そうだ、記憶は?昔の記憶は戻ったの?」
「ライサさんとの一件だけは、そんな感じです。でも他の事は、まだ」
首を横に振り、私は目を伏せた。他の件は『思い出した』のとはちょっと違うから。
「そう…… 」
カイルの残念そうな声が耳に痛い。
やっぱり、カイルは私に猫の時の記憶が無い事を気にしているんだろうか?だとしたら、私は追体験で知った事が少なからずある事を話した方がいいのかもしれない。
——そう思い、その事をカイルに話そうと口を開いた時、カイルが先に言葉を発した。
「イレイラ、君を連れて行きたい場所があるんだ」
「…… それは、どこですか?」
「行けばわかる。けど…… どうか気負わないで欲しい。記憶を取り戻して欲しくって連れて行きたい訳じゃないんだ。過去を思い出せなくても、僕達には未来がある。思い出せない事に執着するよりも、これからを大事にしていきたいからね」
それを聞いて私は口を閉じた。追体験の事は…… また、今度にしよう。
私は微笑み、頷いた。
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