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金原を追ってやって来た龍は、その鼻先で、ピシャリとガラス戸を閉められた。
「いやっ、ちよっ!社長!部屋に来いって、言っといて、なんですかぃ!」
「廊下で立ち聞きしとけっ!」
金原の怒鳴り声が流れて来る。
まったくと、呆れながら、龍は、金原の部屋のガラス戸を開けた。
「で?なにか、大きな動きでもあるんですかい?」
金原は、風呂上がりの汗取り様に着ていた襦袢を脱いで、シャツのボタンを留めていた。
「まったく、ハリソンのやつが、調子外れな時間に来やがるから、こっちは、着替えもできん、湯冷めする」
ブツブツ言いながらも、手早く着替えを済ませた金原は、龍へ、座れと椅子を勧め、書類らしき物を仕舞ってある戸棚に備え付けられている引出しを開けて、紙を取り出した。
「……社長、地図、ですか」
「略図だがな」
言いながら、龍の前に置くと、金原は、指で大きく円を書く。
「ここが、ロシア。わかるな?どうやら、荒れているようだ。暴動が起こるのか、政変が起こるのかは、わからん。だが、一国が、潰れる事態になりかねんと……」
「ハリソン……ですかい?」
金原が、うんと、頷き続きを語ろうとしたその時、まさに、そのハリソンの声が、玄関から流れて来た。
「おお!虎ちゃん!お久しぶりー!うれしいなぁー、虎ちゃんの人力に乗れるなんて!さあー!行こう!原宿駅方面へ、走ってもらえるかい?」
「えっと、ハリソンさん。駅、じゃなくて、方面ですか?!って、どこ行きゃーいいんだ?!」
「じゃ、とりあえず、原宿駅で」
へぇーい!と、虎の威勢の良い声がする。
「……社長、ハリソンは、原宿駅から、帰るんですかねぇ?」
「いや、違うだろ……」
「ですよね、あの口振りは。というか、なんですか、いかにも隠し事をしていますって、バレバレの弾けぶり」
あぁーと、龍は呆れ果て、頭を抱えた。
「……原宿駅方面……ねぇ……」
一方、金原は、じっと考え込んでいる。
「社長?」
「龍!代々木練兵場だっ!」
「陸軍の練兵場!!」
「そうだ、ハリソンは、陸軍の実態、兵隊が、どれぐらい使えるものなのか、探っているんだ」
「はぁーー、ってことは、欧州どころか、また、ロシアと一戦交えると?!そんじゃー、ロシアどころか、日本だって、痛手食うでしょうがっ」
「……まあ、そうなれば、だが、ハリソンは、ロシアにこだわっていたな……」
「社長!もしかして、今の欧州の戦争に、派兵を求められるってことでは?ロシアが、当てにならない、その、穴埋めに日本を!」
確かに日本も、かの地の戦争に参戦はしていた。が、地理的な問題、欧州と亜細亜という問題から、いわゆる、後方支援的に軍需物資を輸出するという、限られた役目での参戦だった。
「今でこそ、物資が足りんと、日本を頼っているのに、その日本まで、出兵してしまったら……立ち行かなくなるだろうに……」
ですよねーと、龍も、考え込んだ。
「社長!虎が帰って来るのを待ちましょう!何処へ行ったか、虎から聞けば良いだけの話でしょ。辺りの桑畑の視察ってこともあり得ますぜ?」
「は?桑畑?!」
「生糸の原料、おかいこさんの餌になるでしょうが?!」
「龍よ、あのな、桑畑が、どうこう見なくとも、絹織物が目当てなら、問屋街でもぶらつきゃいいだろう?なぜ、原宿駅周辺でなければならんのだ……」
「原宿ねぇ……」
「まあ、いい、ひとまず、虎が帰ってくるのを待つとして……ロシアに、何かしら起こるのは確かなようだ。樺太に投資はしている。しかし、あくまでも、あそは島だ。島民の暴動で、収まるだろう」
言って、金原は地図を見て、
「……陸……か」
と、意味ありげに呟いた。
「そりゃ、ロシアは、大陸ですからねぇ」
龍は、のほほんと、応じたが、一瞬の間をおいて、あっと、叫んだ。
「社長!半島ですか!やつら、また、南下してくるつもりじゃ!」
「ありうるな。シベリアと、満州は、隣接し、さらに、朝鮮国、半島が列なっている訳だ。そのまま、中華へ侵略と、足を伸ばすのか?どうあれ、陸続きだ。亜細亜いや、日本も他人事ではないということか……」
金原は、ますます渋い顔をした。一国として建国しようと躍起になっている満州地域は、日本にすり寄ってきている。ロシアが攻めよって来れば、確実に、日本へ援助を求めるだろう。いざこざに巻き込まれるのは、目に見えていた。だから、ハリソンは、投資の整理を、と言ったのだろうか。
「いや、ちょっと、待ってくださいよ、社長。ハリソンは、ロシアが、危ないと、言った訳でしょ?そんな、国がまとまらない状態で、よその国へどうこうできるんですかい?」
そもそも、すでに、欧州で、ドンパチやってんだ、それ以上、どう動くんですかと、龍は、まくし立てる。
「……まあ、どうなるかは、わからんが、用心しておくべきだろうなぁ。少しづつ、株を整理するか……」
「あっ、そろそろ!社長!八代の兄貴が戻って来るころでしょ!」
地図を見つめていた金原は、さっと顔をあげ、そうか、と、少し興奮ぎみに龍へ、応じる。
「八代が、戻ってくるな。あいつの話を聞けば、先が読める!」
「いや、まずは、虎が戻って来るのを待つ、でしょう!」
「うん、確かに。ここで、話していても、埒があかない。ハリソンの行き先で、たってき動かなければならない事は、見えてくるはずだ、というか、龍!」
すっかり忘れていたのだが、と、金原は、勢い立ち上がり、龍へ命じた。
「ドレスの用意だ!」
「ドレス?!ですかぃ?!」
「ああ、ハリソンに、集まりに誘われた。夫婦同伴でな」
意味が掴めないと、龍は、戸惑っていたが、金原が最後に発した言葉を聞いて、今度は、龍が、勢いよく立ち上がった。
「夫婦!!!言ったよ!夫婦ーー!!」
「そう、だから夫婦で……」
目を爛々と輝かせる龍に、金原は押されて、しどろもどろになっていた。
龍はというと、夫婦!!!と、ばかでかい声で叫んでいる。
「いや、だからな、ロシアが……」
などと、肝心の時勢について、金原が口を開いても、龍は、よっしゃ!と、弾けきるばかりだった。
と──。
「きゃあーー!!だ、誰か!!奥様がっ!!」
奥で、お浜が叫んでいる。
金原と龍は、顔を見あわせた。そして、転がりそうになりながら、慌てて部屋を出た。