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その夜、ンドレスは箱庭座の裏手で煙草も吸わずに立っていた。
吸わないくせに、誰かが捨てた箱だけを靴先で転がしている。考えごとをしている時の癖だった。
写真のことは、もう知っていた。
眩しい箱の中では、あの一枚が「よく効く札」として回されていたからだ。
胸の奥がむかつく。
自分で切り捨てた過去を、いまさら他人の手で値札つきにされるのが腹立たしかった。
明晰夢のあとから、昔の場面が妙に鮮明になっている。
卒業式の日。
体育館の外はまぶしくて、サペが珍しくそわそわしていた。
封筒を握りしめ、エリアを追いかける背中。呼び止める声を飲み込み、そこで立ち尽くした自分。
あの時、ンドレスは勝手に答えを出した。
自分だけ置いていかれる。
工房でも、公園でも、二人の間でも。
確認するより先に、腹を決めた。
それが自分の生き方だと思っていた。遅いよりましだ、迷うより先だと。
けれど、あれは速さではなく、怖さから逃げたのだ。
「……最悪だな」
自分で言うと、声が乾いていた。
背後から足音がする。
ゼフィレルだった。風に飛ばされそうな薄い色の服で、暗がりに似合わない女だ。
「写真、評判いいわよ」
「趣味が悪い」
「うちの仕事なんて、だいたいそう」
ゼフィレルは肩をすくめる。
「でもあなた、あれ見てから顔がずっと最悪」
「元からだ」
「そうね」
彼女は笑わなかった。
「戻るの?」
ンドレスは答えない。
戻る、という言葉は軽すぎた。自分が捨てたものを、拾いに行けば済むみたいに聞こえる。
「許されたいならやめといた方がいい」
ゼフィレルが静かに言う。
「この町の人たち、やさしいけど、都合よく記憶を消してくれるほど甘くはないから」
ンドレスは鼻で笑った。
「そんなつもりで行くかよ」
許されるためじゃない。
あの日、自分が確かめもせず切った線に、自分でけりをつけるためだ。
その時、風にあおられて一枚の紙が足元へ転がってきた。
黒い名刺だった。
ンドレスは踏みつける。
パキ、と角が折れた。
自分の速さで壊したものは、自分の足で追いついて壊し返すしかない。
#勧善懲悪
#勧善懲悪