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視界の中でユラユラと動く黒い尻尾が見える。よく手入れされた、綺麗な毛並みだ。
奥にボンヤリと映る視界には驚くほど大きなキャットタワーと窓にドアがある。まるで巨人族の部屋に放り込まれたみたいな気分だ。
窓から入る日差しはとても心地よく、春を感じさせる花の匂いもする。お腹は存分に満たされていて、とても幸せな気分だ。
状況をもっと知りたい。周囲をもっと見渡して、何が起きたのか確認したいと思うのに、何故か出来ない。まるで“誰かの記憶”を追体験しているような感じが少しする。
あくびをして、瞼を閉じる。すると、『昼寝でもしようかな』という考えが、脳内に聞こえた。
うつらうつらと誘われるまま微睡んでいると、不意に体をゆっくり持ち上げられた。だけど抵抗する気がおきない。されるがまま、そのまま眠ろうとする気持ちが捨てきれない。
『おネムみたいだね、可愛いイレイラ』
聞き覚えのある優しい声が耳をくすぐった。
『眠るなら僕の腕の中でないと、拗ねてしまうよ?』
頭を優しく撫でる手が、とても温かい。優しくて、気持ちよくって、益々眠くなる。
あぁ幸せだ、この幸せがいつまでも続けばいいのに。
(忘れたくない、ずっとこのままカイルの側にいたい…… )
——そう強く願った瞬間、私はハッと意識を取り戻した。
「——今の、何⁉︎」
思わず叫んでしまった。変な体験をしたのだ、叫ぶなという方が無理だった。
意味がわからない!
完全に、さっきまで一瞬自分は猫だった。見える視界も考えも、触れられる感触すらも。匂いまでわかって、別の『人生』…… いやいや、『猫生』?
——まぁいい!そんな感じのを経験していた。
バッと、慌ててさっきまで触っていた猫仕様っぽい籠の様なベッドに再び触れる。これを触った瞬間不可思議な体験をしたからだ。『魔法』ってやつのせいかもしれない。『それならまた同じ事が起きるかも』と触れてみたが…… ——今度は何も起きなかった。
「何だったんだろう?…… さっきの」
少し怖くなった。起きた現象の理由がわからないのは恐怖でしかない。頭痛で倒れたあの瞬間からこんな事ばかりが続いているが、それでもやっぱり怖いものは怖かった。
(他の物だと、どうなんだろう?)
不思議に思いながら見た先には、キャットタワーがある。ゴクリと…… 私は息を飲んだ。心臓がドキドキしてくる。またさっきと同じ現象が起きるかも?と思うと怖い様な、気になるような。そんな迷う気持ちと知りたい気持ちがせめぎ合い、頭の中で激しく喧嘩する。
(どうしよう?やめとく?いや、でももう何も起きないかもしれないし…… )
心では決めかねているのに、勝手に手が動いていく。ゆっくりと。でも確実に手が伸びていって、キャットタワーに私が触れた瞬間、また先程の様に視界が真っ白になった——
「うわぁぁ…… 」
二度目の体験に驚き、その場にしゃがみこんで私は頭を抱えた。恥ずかしい事に、めっちゃくちゃ楽しかったのだ。
——キャットタワーで遊ぶ事が。
登ったり降りたり噛み付いたり。好き放題やらかしていた。それを笑顔で見つめるカイルの顔がすごく素敵で、その姿をチラチラ見ては嬉し過ぎてニヤニヤしていた。
『もっと私を見ていて!』って脳内で叫びながら、遊びまくっていた。
「…… もしかして、これって…… 『残留思念』ってやつ?」
物に強い思いが残るという『残留思念』。本で読んで、何となくそんなモノがあるっぽいくらいには知っている。元の世界でそんなものを読める能力なんて私には無かったが、魔法世界らしい此処ならば、あってもおかしくはないかもしれない。
「よし、まずは実験と検証!」
私は頭をあげて気を取り直し、空腹だった事もすっかり忘れて、片っ端から周囲の物を触りまくったのであった。
カイルが国王陛下達との謁見から戻って来るまでの間に、この現象について色々な事が推測出来た。
どうやらあの体験は『残留思念』ってもので間違い無いようだ。全ての物にそれが残っているわけではなく、何度触っても何も起きない物もあった。
この現象は『私の能力が覚醒した!』みたいな厨二病的なものでは無く、此処に住んでいたお猫さまの能力だったみたいだ。
残っていた記憶の中のカイルが言うには、『髪や瞳の色が濃い者は、魔法を使うセンスがある』という決まりがどうやらこの世界にはあるらしい。黒に近ければ近い程魔力の量が多く、操る能力の質も高い。そして、この『残留思念』を其処彼処に残し、私に追体験をさせてくれているお猫様は——『黒猫』だった。猫なのに瞳の色もほぼほぼ真っ黒で、潜在能力が相当高かった事がわかった。
それを操り、好き勝手な事をしていた記憶は無かったので、彼女は別に『魔法使いな猫』にはならなかったみたいだ。無意識に、高過ぎる能力のせいでそこかしこにうっかり記憶を残してしまった、といった印象だった。
記憶の中のお猫様は、何処に居ようと常にカイルを意識して行動していた。彼から見える場所、隠れてもすぐに見つけてもらえる場所、寝る時は必ず彼の膝か腕の中。
『癒されたい』という彼の願いを叶える様に行動し、傍に居る。
親に対するような心情でカイルを見つめていた時もあれば、恋人を見る様な目で見ていた時もあった。時の流れできっと彼女はカイルへの想いを、『助けてくれた保護者』から『伴侶』や『番』へと変えていったのだろう。
『カイル大好き、離れたく無い』
その一心に溢れる小さな記憶の数々は、甘い蜜の入る壷に頭から叩き落とされたみたいにくどく、でも——とても幸せなものだった。
相変わらず『やだ、これが前世の私?』みたいには思えなかったが、なかなか出来ない面白い体験に、私はこの短時間ですっかりハマってしまった。
(もっと色々な物に触って、色々な経験がしてみたい!)
段々と、この神殿の中を案内してもらえる日が楽しみになってきた。