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裕彰さんがくれたメールを改めて全て確認したら寝付けなくなってしまった。
自棄になって先輩にもらって冷蔵庫に入れっぱなしになっていたビールを飲んだら、すっかり酔ってしまった。
おかげで眠れたのはいいんだけど、どうしても眠りが浅くなってしまう。
目覚めたのはいつもよりかなり早い時間だった。
まだ真っ暗だ。
何時だろう、とスマホを見ると、裕彰さんからメールが一件来ていた。
『発表は社長の都合で朝一になった。待ってる』
たったそれだけの文面。
わたしは、ぼんやりと天井を見つめた。
…行かないつもりでいた。
社長までが姿を現すということは、それだけ重要な発表だということだ。裕彰さんと亜依子さんのことで重要だと言えば、やっぱりふたりの婚約発表しか思いつかなかった。
それはこの恋の結末でもあり、わたしへの最後通告でもある。
『俺は、愛した女は最期まで愛し抜く』
まさか、みんなの前で婚約を破棄するとでも言うのだろうか。
亜依子さんを捨て社長には恩を仇で返し、平凡な一般職員のわたしを取るとでも言うのだろうか。
…そんなドラマみたいなこと、有り得ない。
それとも、亜依子さんとは仮面夫婦でいて、わたしを人知れず愛するつもりでいるのだろうか…考えられない…。
もうよく解かっていた。
しょせん、現実は現実だ。
みんな幸せなハッピーエンド?
そんなメルヘン、この現実に存在なんかしない。
永遠の愛?
そんなの…ただの幻想だ。
それにしても寒いな…。
タイマーの時刻にはまだけっこうある。もうヒーターつけちゃおう、とベッドから抜けて、ふと窓の外が気になった。
変だな…まだ日が出ていないのに、やけに明るい…。
カーテンを開けた。
そしてわたしは立ち尽くした。
いつも窓には灰色のコンクリートの街並みしかうつさなかった。
それが今は、一面真っ白。
夜空からはなおもしんしんと雪が降り続いていた。
それは、ここでは決して見ることができないと思っていた、厳かで幻想的な光景だった。
『いつかみてみたい』
そう、裕彰さんが憧れた景色…。
彼も今、この光景を見ているだろうか。
ごめんなさい。
裕彰さんごめんなさい…。
せっかく見たかった景色なのに、わたしと一緒に見たいって言ってくれてたのに。
隣にいれなくてごめんなさい…。
涸れたはずの涙が頬を伝った。
けどそれは、これまでとはちがった熱い涙だった。
やっぱり好き。
裕彰さん、あなたが好きです。
わたし、もう一度信じますね…。
こうして広がる白の景色のように、もう一度まっさらな心で、あなたを愛を信じます…。
※
始業時間五分前というぎりぎりに出社すると、どの部署ももぬけの殻になっていた。
みんな朝礼に行くためにラウンジに集まっていた。
九時十五分ぴったりになって、最初に前に立ったのは社長だった。
「日頃より社のために尽力をつくし感謝している。知っての通り我が社は転換期に立っている…」
最前列の一番右端に課長がいた。わたしたちに背を向ける形で座っている。
その左隣りには服部部長がいた。
服部部長がいることには少し驚いた。
裕彰さんとは親友だから、特別扱いなのかもしれない。
亜依子さんはすでに社長のやや後ろ隣りで社員と向き合うようにして座っていた。
すこし緊張した面持ちで、社長からの合図をうかがっているようだ。
「…よって、より若い力に社の未来を託すにあたり、ぜひみなに報告したい件がある。これはキミたちにとってはとてもおどろく事実であり、大変な混乱をきたす可能性が生じるかもしれない。が、あくまで社や皆のことを思っての発表であるということをご賢察いただきたい。また、これはわたしの家庭の事情でもあることを先に断っておきたい」
いよいよ、その時が来た…。
亜依子さんがすっくとたち、静かの社長の隣に立った。
いつもの毅然としたパンツスーツ姿ではあるけれども、その顔には少し緊張した表情がにじんでいた。
次に立つのは…いよいよ裕彰さんだ。
他の社員たちも考えていることは同じようだった。
やわらかい茶色の髪をした後姿に、視線が一気に集まる。
「ここにいる営業部社員でわたしの娘でもある日野亜依子だが、このたび婚約したことを報告したい。―――相手は、我が社の優秀な人材である…」
すっと社長の手が最前の席に伸びた。
ざわり
ラウンジ内がにわかにざわついた。
だれもが紹介を受けて亜依子さんの隣に立った人物に目を見開いた。
わたしを含めて。
「紹介しよう。娘亜依子の婚約者であり、営業部部長を務めている服部友樹君だ」
一気にざわめくラウンジ内。
「えー…どういう、こと…?」
「え?え?じゃああの動画はなんだったの?」
わたしも信じられなかった。
でもたしかに裕彰さんは座ったままで…立っているのは服部部長だ。
なにより…部長の横で照れるように視線を下に向ける亜依子さんの微笑に、偽りなどはみじんも感じなかった。
社長は再び口を開いた。
「娘と服部君の交流は実は長く、二人が大学生の頃から始まる。この度の吉事によって、二人が絆をいっそう強め、社を二人三脚で担ってもらいたいと思っている。よって、来月より服部君には専務の任についてもらい、より社の中心に近い部分にたって経営について研鑽を高めてもらいたいと思っている」
それはつまり、ゆくゆくは服部部長が社長になる、ということを示唆していた。
有能なトップの誕生を喜ばない社員はいなかった。一斉に拍手が鳴り響いて、誰もが服部部長と亜依子さんの婚約を真実と受け入れた。
その割れんばかりの音に背中を押されるように、わたしも真実を受け入れざるをえなかった。
『仕事はできるんだけどねぇ、それ以外はマイペースで、変わり者で、不器用で…』
そ…っか…。
この前の亜依子さんの言葉はたしかに服部部長に当てはまらなくもない…。
じゃあ…
じゃあ…
あの動画はどういうこと?
あのポーチが部屋にあった理由は??
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