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第十章 白霧山の彼方へ
第十七話 静かな月と深紅の熱
ジントがこの森一帯の瘴気を吸収したのだろうか。
そんな考えが一瞬よぎるほど、辺りを覆っていた霧は静かに晴れていた。
木々の隙間を抜ける風は澄み、先ほどまで漂っていた重苦しい気配も消えている。
残っているのは、激しい戦闘の疲労だけだった。
「ジント、大丈夫か?」
ダイチに支えられながらジントは浅く呼吸を繰り返していた。
顔色は青白い。
額にはじっとり汗が滲み、力がうまく入らない。
「少し横になろか」
シュンタが慌てて荷物を漁り、毛布を広げる。
「ほら、こっち」
「……ごめん……」
力ない声だった。
ジントはそのまま、毛布の上へ静かに横たわる。
その様子を確認すると、ハヤトとジュウタロウは壊れた結界石を回収し始めた。
砕けた破片。
ひび割れた魔石。
どれもさっきの戦闘の激しさを物語っている。
ハヤトは小さく息を吐いた。
「……かなり消耗したな」
額にはまだ汗が滲み、頬も少し紅潮している。
ジュウタロウも静かに頷いた。
「満月前とは思えない瘴気量だった」
いつも通り落ち着いた声。
だが僅かに呼吸が荒い。
その時だった。
薄く目を開けたジントが、ふとダイチの腕を見る。
「……ダイチ、それ……」
「ん?」
腕に浅い切り傷が走っていた。
先ほど魔物の爪が掠ったのだろう。
「こんなん平気やって」
ダイチは笑って誤魔化そうとする。
だがジントは無言でその腕を引き寄せた。
「えっ」
そっと傷口へ手を当てる。
次の瞬間、淡い光が溢れた。
月明かりのような優しく静かな光。
傷口を包み込み、ゆっくりと塞いでいく。
「ジント!こんなんかすり傷やて!」
ダイチが慌てる。
「無理すんなって!」
腕を引こうとする。
けれどジントは離さなかった。
その腕をそっと抱えるようにして静かに治療を続ける。
やがて、傷跡は綺麗に消えていた。
それを確認すると、ジントはふわりと微笑む。
「……よかった」
その笑顔は、疲れ切っているはずなのにどこか安堵していた。
「みんながいたから……大丈夫だって思えた……」
ぽつりと呟く。
そして安心したように、そっと目を閉じた。
すぐに静かな寝息が聞こえ始める。
ダイチは固まっていた。
「……オレ、腕掴まれたままなんやけど……」
赤くなった顔で、困ったようにジントを見る。
「ええなぁ〜、オレが代わってあげたいわ」
シュンタがニヤニヤしながら言う。
「いや、無理やて!」
ダイチが即答した。
「……これはオレの役目やし!」
「何その得意気な顔」
シュンタが吹き出す。
ハヤトとジュウタロウも、そのやり取りを見て小さく笑った。
温かな空気。
ほんの少し前まで、命懸けで戦っていたとは思えないほど穏やかだった。
けれどハヤトはふと、手の中の壊れた結界石へ目を落とす。
静かな声で呟いた。
「……早く、月の一族の隠れ里を見つけないとな」
その言葉にジュウタロウも月を見上げる。
白い月はさらに強く輝きを増していた。
「満月の晩は……さらに危険な状況になるかもしれない」
低い声だった。
誰も否定しない。
森へ落ちる影は、先ほどより深く濃くなっていた。
静かな夜風が木々を揺らしていく。
満月は、確実に近付いていた。
◇
翌朝。
ジントは鳥のさえずりでゆっくり目を覚ました。
木々の隙間から差し込む朝日。
揺れる木漏れ日。
昨夜の激しい戦闘が嘘みたいに、穏やかで優しい朝だった。
「……ん……」
まだ少し重い身体をゆっくり動かす。
ふと横を向いた瞬間。
「………っ!」
すぐ隣で毛布に包まり、丸くなって眠るダイチの顔が飛び込んできた。
気持ち良さそうな寝顔。
規則正しい寝息。
どうやら昨夜、腕を掴んだまま眠ってしまったらしい。
ジントは小さく笑った。
「……そっか、あのまま寝ちゃったんだ」
ゆっくり身体を起こす。
その時。
「ジンちゃん!?」
少し離れた場所から慌てた声が飛んできた。
夜番をしていたシュンタだった。
「起きて大丈夫なん!?」
心配そうに駆け寄ってくる。
ジントは少し驚きながらも、柔らかく微笑んだ。
「うん、もう大丈夫そう」
そう答える。
だがシュンタは安心した顔をするどころか、紅い瞳でじっとジントを見つめていた。
「……何?」
不思議そうに首を傾げる。
するとシュンタは、少し視線を逸らしながらぽつりと呟いた。
「ジンちゃん……
あんま無理せんといて欲しいわ……」
いつになく弱気な声だった。
「ダイちゃんもそうやけど……
俺ら、ほんまに心配しとるからさ……」
朝の静かな空気の中、シュンタはぽつりぽつりと言葉を続ける。
「俺、こん中じゃ一番弱いし、
たいしたことできへんけど……」
言葉が詰まる。
「それでも、ジンちゃんの支えになりたいんよ……」
真剣な深紅の眼差し。
その言葉にジントは目を瞬かせた。
少しだけ間があって。
ふっと、表情がやわらいだ。
そしてシュンタの頭に手を伸ばす。
ふわりと髪に触れ、そっと撫でた。
「!?」
シュンタの目が大きく見開かれる。
ジントはそのまま、やさしく髪を梳くように撫でながら微笑んだ。
「……ありがと、シュンタ」
包み込むような、静かな笑顔だった。
「…………っっ!!!」
シュンタの顔が一気に真っ赤になる。
慌てて俯いた。
「ほ、ほんま反則やて……!!」
耳まで赤い。
「ずるいわ……ほんまに……」
ジントはそんなシュンタの頭を、微笑みながら撫で続けている。
その時だった。
「………………!!!!!」
背後から凄まじい圧が飛んできた。
二人が振り返る。
そこには、いつの間にか目を覚ましていたダイチが無言でこちらを見ていた。
笑顔。
なのに怖い。
「……オレの知らんとこで、何しとるん……?」
低い声だった。
そのまま二人の間へ割って入る。
「えっ」
ジントが固まる。
シュンタは一瞬ムッとしてダイチを睨んだが、すぐにニヤリと笑った。
「あちゃあ〜」
わざとらしく肩を竦める。
「オレとジンちゃんの逢引現場、見られてもうたなぁ」
「何が逢引や!!」
ダイチが即座に突っ込む。
「あんなん、ただの“なでなで現場”やろが!!」
「ええやん!!お前独占欲強すぎやって!!」
「悪いかっ!!」
「悪いわっ!!」
「なんでや!!」
朝っぱらから騒がしい声が響く。
その声で、ハヤトとジュウタロウも目を覚ました。
二人は半ば呆れたように、その光景を眺める。
「……朝から元気だな」
ハヤトが苦笑する。
ジュウタロウも小さく息を吐いた。
「いつものことだ」
「なあ! ハヤちゃんもジュウも聞いてや!」
シュンタが必死に訴える。
「ダイちゃん酷いんやで!
オレとジンちゃんを無理やり引き離そうすんねん!」
「何がや!!」
ダイチもすかさず言い返す。
その様子を見てハヤトが苦笑した。
「ほら、ジントも困ってるだろ」
そう言われシュンタはジントへ視線を向ける。
目が合う。
困ったように笑っている。
けれどその瞳は、さっきと変わらず優しかった。
その瞬間、シュンタの顔が再び熱を持つ。
「………」
「はぁ~……もうええわ……」
思わず視線を逸らす。
深紅の瞳は、隠しきれない熱を帯びて揺れていた。
ーー何やろ……。これって、庇護欲ってやつなんやろか……
穏やかな朝だった。
昨夜の戦いが嘘のように。
木漏れ日の下、五人の朝は静かに動き始めていた。
◇
生い茂る木々。
葉の隙間から差し込む陽光。
風が揺れるたび、木漏れ日が地面へきらきらと踊る。
鳥のさえずり。
草を揺らす音。
小さな生き物達の気配。
その全てが生命力に満ちていた。
昨夜、あれほど濃い瘴気と魔物に包まれていたとはとても思えない。
「……なんか、別の場所みたいやな」
馬を進めながら、シュンタがぽつりと呟く。
ダイチも周囲を見回した。
「あんな戦闘あった次の日とは思えへんな」
「ジントが瘴気を吸収した影響もあるかもしれない」
ハヤトが静かに言う。
その言葉に、ジントは少し複雑そうに目を伏せた。
けれど頬を撫でる風は優しく、胸の奥をざわつかせていた不快感も、昨夜よりずっと薄れている
不思議だった。
まるでこの森そのものが、少しずつ自分を受け入れてくれているような感覚があった。
五人はそのまま順調に森を進んでいく。
やがて、深い木々が途切れた。
視界が一気に開ける。
「おぉ……!
ダイチが思わず声を上げた。
目の前へ広がる、果てしない草原。
秋風に揺れる黄金色の草。
その向こうには、小さな煙がいくつも立ち昇っている。
「村や!」
シュンタが嬉しそうに身を乗り出した。
長い旅路。
険しい山道。
嵐。
魔物。
数え切れないほどの困難を越えて。
ようやく五人は、白霧山の麓にある小さな村へ辿り着いたのだった。
第十章 完
コメント
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あおいです🌷 第16話、拝読しました。 戦闘の後の静かな朝の空気感がとても丁寧で、特にジントがシュンタの頭を撫でるシーン、すごく好きです。「支えになりたい」っていう真剣な気持ちと、それに応える優しい仕草にじんわりしました。そしてダイチの lovely な嫉妬!朝からあのやりとり、思わず笑顔になっちゃいました。最後の村到着で、また新たな章が始まる予感もわくわくしますね。comiさん、素敵な時間をありがとうございます🤍