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◆◆◆◆
『おお、市川―!今日はもう来てくれないかと思ったよん!』
画面をつなぐと、今日も集まった12つのワイプの真ん中にいた赤坂は嬉しそうに目を見開いた。
「あー、マジで疲れた……」
つぶやきながらネクタイを外し、途中コンビニで買ってきた缶ビールを片手で開けた。
『市川のとこはアフターファイブとかノー残業デーとか、夢のまた夢だな』
名前も思い出せない男子がハイボール片手に笑う。
「なにそれ。そんなの都市伝説だろ?」
ふっと鼻で笑いながら缶ビールを掲げると、
『かんぱーい!市川おっつー!』
『お疲れ―、輝馬君!』
クラスメイト達もそれぞれの飲み物を掲げる。
『市川君、お疲れ様』
今日は左下にあるワイプを見つめる。
優美はすでに頬をほのかにピンク色に染めながら小首を傾げている。
(……すげえ可愛い)
輝馬はその瞳を見つめた。
3年間思い続けた彼女は今、県内の南部の方で、高校時代からの夢だった保育士になっている。
できることなら食事でも誘いたいのだが、高校時代に玉砕した経験から、輝馬は臆病になっていた。
成績は良かった。
所属していたバスケット部でも活躍していた。
女子にモテたし、男子にも人気だった。
仲だって悪くなかったと思う。
学園祭で一緒に実行委員をしたときなんか、二人で遅くまで残ったりして、結構いい感じだったと思ってたのに。
迎えた3年生の夏。
学園祭が終わった直後に告白した輝馬への彼女の答えは、NOだった。
何が彼女の中でダメだったのかは、未だにわからない。
『ホント、お仕事頑張っててすごいよね』
画面の中の優美がこちらを見つめる。
あの日から、
どんな女と付き合っても、どんなに女を抱いても、彼女を忘れることができぬまま、
輝馬は7年目の夏を迎えようとしている。
『あ、そうだ。市川にも聞いてみようよ』
赤坂が言った。
「んん?」
輝馬は連日らやらされたスマホゲームのせいで霞む目で必死に画面の中の赤坂を見つめた。
『あのさ、市川。首藤(すとう)さんって覚えてる?』
「ストウ……?」
輝馬は眉間に皺を寄せた。
ストウ。ストウ……。
「うわ……」
思わず出た声に、クラスメイト達が笑う。
「ヤバいヤバいヤバいヤバイ!!」
輝馬は両腕を組みながら肩をすくませた。
「思い出した……!!首藤だろ!?首藤灯莉(すとう あかり)!」
『ピンポーン』
『大正解―』
男子たちが笑い、女子が少し困ったように微笑んだ。
『市川だけは、忘れたくても一生忘れられないでしょ』
男子生徒の一人が笑う。
『あいつ、お前のストーカーだったもんな』
首藤灯莉。
彼女は男子も含めた3年4組の中で、一番体重の重い生徒だった。
肉に埋もれた細い目。
上向いた鼻。
上側だけ妙に厚い唇。
自分でブリーチしたらしい長い茶髪が、猫背の丸い背中を覆っていた。
そして、ぞっとする容姿もさることながら、不気味なのはその奇行だった。
休み時間には、カバーをかけた文庫本を読んでいて、そのほとんどが男子でもドン引きするような濃厚な官能小説だった。
そして地味な見た目とは裏腹に、意外とはっきりした性格をしていて、好きな教師の授業は出て、嫌いな教師の授業はとことん出なかった。
さらには、輝馬は見たことなかったが、廊下を歩くときもなぜか校庭を見つめニヤニヤと笑っていることもあったらしい。
そんな学校一嫌われものの彼女が、学校一人気者だった輝馬を呼び出したのは、ちょうど夏が終わり、秋に入るころだった。
『市川君、ちょっといい?』
昼休みの教室でもなく、体育館までの移動中でもなく、彼女は輝馬が用を足して出てきたばかりの男子トイレの前でそう言った。
『好きです』
『え、なんで』
輝馬は間髪おかずにその失敗した能面のような顔に聞いた。
『なんでって……』
言い淀む彼女に、
『だって俺、好かれるほど、首藤と話してないし』
輝馬が頭を掻くと、彼女は気まずそうにデカい体を左右に揺すった。
『……でも、好きだから』
身体が太っていると、声も太くなるのだろうか。
彼女は下手すれば男に聞こえなくもない太く低い声で言った。
『ごめん、無理』
“当然でしょ”という言葉はなんとか飲み込んだ。
それでも彼女は悲しそうに俯くと、ドスドスと足音を立てながら、廊下を走り去っていった。
それからというもの、俗にいうストーカー行為が始まった。
学校を出ると、通っていた塾までついてきたり、帰るために電車に乗ると、いつのまにか同じ車両に乗ってきたりした。
挙句の果てには盗撮。
クラスメイトの話では、物陰に隠れて、またはデスクにカメラを隠しながら、輝馬の写真を撮りまくっていたらしい。
それを使って何をしていたかは、想像したくないがーー。
「……んで?首藤灯莉がどうしたって?」
不味くなってしまったビールを無理やり口に含みながら、輝馬は片目を細めた。
『佐藤がこの間、駅前で会ったんだってよ』
左下でなぜか敬礼している佐藤を睨んだ。
「マジで?よく気づいたな……ってあんなのが歩いてたら誰でも気づくか!」
輝馬は佐藤の返答を予想して、笑いながら言った。
『それがさ』
佐藤は画面に顔を寄せるようにして囁いた。
『気づいたのはあっちのほう。俺は全然気づかなかった』
「へえ?あんな特徴的なのに?」輝馬がなおも笑いながら言うと、
『……あのさ、これ、マジなんだけど』
佐藤はますます画面により、顔面のほとんどを陰で覆われながら言った。
『めちゃくちゃ痩せてて、超きれいになってたの』
「はあ?うっそだー」
笑う輝馬に、佐藤がむきになる。
『いやいや本当だって!じゃあ、今度飯でも行こうぜ。マジで違うから』
「飯でもって……連絡先交換したのかよ?」
驚いて目を見開くと、彼は何やら取り出した。
『名刺もらったんだけど。これ、どう思う……?』
佐藤の画面をのぞき込んだ。
黒い紙に赤いバラ。その真ん中に灯莉と印字されていた。
「うわ。ソープかデリヘルじゃね?」
つぶやいた輝馬に、佐藤が頷く。
『やっぱり?なんか借金があるとかなんとかで、しょうがなくやってるみたいなんだけどさー』
佐藤は頭を掻いた。
「へえ。ってか正直、今いくら綺麗になっててもさ、あの高校時代のビジュアルを思い出しちゃうと萎えるって。勃つもんも勃たねえよなー」
思わず漏れた輝馬の本音に男子生徒が賛同し、女子たちが困ったように笑った。
『……………』
しかし右下にいる優実だけは、なにやら難しい顔をしながら、画面をじっと見つめていた。
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ーーここは?
輝馬はあたりを見回した。
窓から差し込む光。
生徒たちの笑い声。
ここは、藤呂高校の廊下……?
『市川君、私ね……』
振り返ると、そこには逆光に照らされ、顔に黒い影を作っている女が立っていた。
『来週、誕生日なの』
―――は?だから?
自分の声は聞こえない。
しかし彼女の黒い顔は悲しそうに歪んだ。
『その……誕生日は一緒に過ごしてほしいなって』
―――はは。なんで俺が?
『だって、私たち、付き合ってもう結構経つでしょう?』
――なんの冗談を……!
笑い飛ばそうとしたところで、彼女は輝馬の手を取った。
『その日、私、安全日だから……』
そしてその手を自分の胸元に持っていく。
『私のハジメテ、もらってくれる?』
抵抗したいのに手を振りほどくことはできない。
彼女の湿った熱い手に掴まれた掌は、はち切れんばかりの白シャツの、ボタンとボタンの間にできた隙間から、無理やり挿入させられた。
『……ああ……!』
女がつやっぽい声を上げながら、腰をくねらせる。
感覚はほとんどないが、どうやら胸の突起まで押し込まれているらしい輝馬の指が、手首をつかんだ女の手によって左右に揺らされ、そのたびに女が吐息交じりの声を漏らす。
『……あんッ……!』
――やめろ……!!
ついに女は足を少し開くと、今度は輝馬の手を自分の股間に導いた。
―――おい、何してんだよ……!?
手がスカートの中に押し込まれる。
『……あンッ……!イッくぅッ…!!』
生暖かい湿気が、
少し濡れた硬い陰毛が、
輝馬の掌を包みこんだ。
◇◇◇◇
「やめろおお!!!!」
輝馬は飛び起きた。
「……!?」
家だ。
自分のマンションだ。
輝馬がローテーブルを蹴ったことによってマウスがズレたのか、ノートパソコンのディスプレイが青白く点灯する。
いつの間に寝てしまったのだろう。
傍らには空になった缶ビールが3つ転がっており、先ほどまで一緒に飲んでいた同級生たちは黒いワイプに姿を変えていた。
「………たく。勘弁しろよ!あいつらがあんな女の話題を出したりするから……!」」
輝馬は片膝を立て、額にびっしょりとかいた冷や汗を傍らに置いてあったティッシュでふき取ると、ため息をついた。
(しかし、あの女は俺の人生史上一番のホラーだったな……)
そう呟いてから、傍らに投げ捨てたビジネスバックからはみ出した、できたてホヤホヤの白いプレゼン資料を見つめた。
―――それでいい。
誰かの声が聞こえてきた。
楽しいのを見つけたら――お前がどうして楽しいと感じたのかを考えてみるんだ。
それがわかったら――もっと楽しきなるにはどうすればいいのかを考えればいいんだ。
俺が言いたいのは――そういうことだよ。
『私のハジメテ、貰ってくれる?』
「…………」
輝馬は手繰り寄せるようにビジネスバックを引き上げ、立ち上がった。
ダイニングチェアに放り投げていたスーツの上着を手に取ると、玄関まで走った。
(……早く!この恐怖感が消えないうちに……!)
輝馬は玄関の戸を開けた。
「…………!」
そこには東の空から今まさに登ろうとする太陽が、燃えるような真っ赤な光を放っていた。