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夜の部屋は、静かだった。
ただ、その静けさが異様に重い。
蛍光灯の光が白く壁を照らし、影が床に長く落ちている。
颯馬は椅子に腰かけ、足を組んでいた。
その足元には、うずくまる遥。
肩で息をしている。頬には赤い痕、唇の端には乾いた血。
「……どこまで俺をバカにすりゃ気が済むんだよ」
颯馬の声は低く、笑っているのか怒っているのか分からない。
「学校であいつと話してたろ。何話してた?」
遥は答えられなかった。
喉の奥が震え、言葉が形にならない。
「言えよ」
机の脚が蹴られ、音が響く。
それだけで遥の体はびくりと跳ねた。
「……別に……話して、ない」
「嘘つけ」
次の瞬間、頬に衝撃が走る。
視界が揺れ、耳鳴りがした。
颯馬は立ち上がり、すぐ目の前にしゃがみ込む。
笑っていた。
けれどその笑顔は、優しさのかけらもなかった。
「俺がずっと黙ってたのは、誰のためだ?
家でも学校でも、お前守ってきたのは誰だよ。
……それを、全部あいつに持ってかれるのか?」
遥はゆっくりと顔を上げる。
その目には涙ではなく、怯えと諦めの影。
「……守ってなんか、ないくせに」
小さな声だった。
けれどその瞬間、颯馬の表情が変わった。
「は?」
空気が一気に凍りつく。
次の瞬間、遥の肩を掴んだ手が、乱暴に押し倒す。
背中が床に打ちつけられ、呼吸が詰まる。
「守ってねぇ? 俺がいなきゃ、とうに壊れてただろ」
「壊してんのは、お前だろ……」
その言葉に、颯馬の目が細くなる。
吐息が荒く、声が低く沈んだ。
「お前さ……誰のおかげで生きてんのか、ほんと分かってねぇな」
髪を掴まれ、顔を上に引き上げられる。
痛みに呻きながらも、遥は目を逸らさなかった。
「俺、お前に感謝されてもいいくらいだと思ってんだ。
殴るのも、蹴るのも、全部“気にしてるから”だよ。
……そうでもしなきゃ、お前、どこまででも他人に流されるから」
その言葉を吐きながら、颯馬は微笑んだ。
優しさを装ったその笑みが、何よりも醜く見えた。
「……それが“守る”って言葉の意味かよ」
遥の声は震えた。
「だったら、そんな優しさいらない」
その瞬間、乾いた音が響く。
何度目か分からない衝撃が頬を走り、視界が一瞬白く霞む。
颯馬は静かに立ち上がり、見下ろす。
「“いらない”とか言うなよ。
お前がどんな顔しても、俺はやめねぇから」
沈黙が落ちる。
その沈黙の中で、颯馬は冷たく呟いた。
「お前が苦しんでるとこ見てると、安心すんだ。
……だって、それが“俺のもの”だって、分かるから」
遥は動けなかった。
身体の痛みよりも、言葉の重さが心を沈めていく。
それが“愛”だと信じきっている弟の瞳が、何より恐ろしかった。
蛍光灯の下、白い光の中で二人の影だけが歪んでいた。
その夜、遥はどれだけ目を閉じても、颯馬の声が頭から離れなかった。